第31話 誰の味方になろうというのか

 ――暗い。瞼を持ち上げると、そこは変わらず薄暗い空間だった。まァ、そりゃあ地下だろうしな。別に太陽の光を浴びたいって訳でもないし、いいんだけどさ。


 なんか、妙にヌクい。どうやら俺の身体は丁寧にもベッドの上に横たえられているらしい。なんなのこの好待遇。慣れない優しさにむしろ警戒感増しちゃいそうなんだが?


 ――なんだか、とても幸せな夢を見ていたような気がする。内容はさっぱり思い出せないけど。


 上半身を起こして、一体何があったんだっけ……などと考えつつ、メガネなど必要としないにも関わらず、俺の手は周囲をまさぐった。すると、右手があたたかいものに触れる。


 これは……人肌?


 目をかっ開いて視線をそちらにやると、どうやら俺の手はベッドのすぐ脇に腰掛けていた人物の、太ももの上に乗っかってしまっているらしい。


 恐る恐る顔を上げていくと……頭の上にピョコッと耳が乗ってる。……薄く笑みをたたえたカーリーさんの顔に遭遇した。


 カーリーは右手を挙げて、いつでも俺の頬に平手を打てるようにチャージしている。そんな風に見える。


「……………………変態?」


 長い沈黙の後、カーリーの口から零れ出たのは、そんな心無い言葉だった。ひどい。「さっきも言ったよね。改めて確認するけど、やっぱり変態なの?」そんなニュアンスに感じた。たった四文字に、よくそれだけの意味を込められたもんだな。


「ち、違う……と……思う……」


 言いながら、手を彼女の太ももから離して手元に持ってくる。視線も泳いでしまう。激しい後悔。


 エトやアランと違って、耳が上についてること以外は人間そのものな顔立ち。そのため、俺たちの尺度で美醜を判断しやすいと言えるが……いや別に、ね。女の子が美しかろうと醜かろうと、俺の態度は変わったりしないんだからね! だから俺からした客観的評価なんて必要ないと思うんだ。


 ああ、そうだ。結構なラノベを読んできて思ったことがあるんだけどさ、ラッキースケベって言葉あるじゃん。あれ、おかしいと思うんだよな。どこら辺がラッキーなん。何にもラッキーじゃなくね? だって嫌われるじゃん。スケベして嫌われるならもうそれただの犯罪だよね。いや、無統治王国アラロマフ・ドールに司法は無いのかもしれないけど。


 ……とにかく、仲良くなりたいと思っていた相手を不快な気持ちにさせてしまう時点で、もうすでにアンラッキーでしかないと思うんだ……ってこと。


 しかし、意外だ。こういう時って問答無用でぶっ飛ばされるのが通例なのでは……と疑問に思いつつカーリーの顔を見上げると、ひい! やっぱ怒ってる! 怒ってらっしゃるよ! けど……。


 ――さっきとは少し違う、ような?


「私は我慢してるの。なんでかっていうと、あなた達人間組織と理性的に話をするため。だから、できるだけ私を刺激しないでくれると助かるんだけど」

「――本当にスマン。わざとじゃないんだ」


 言うと、カーリーはムスッとしながらも頷き、右手を下ろしてくれた。


 ふぅ。


 俺が眠っている間に、オババやレイス達がとりあえずカーリーが落ち着くまで説得してくれたということだろう。


 今は何時くらいなんだ? 時計を見渡すが、生憎この空間には時計というものがないらしい。まぁ、一家に一台くらいしかなくても不思議はない。里でも結構な貴重品だったし。ああいう機械的な技術を使ってるものは、とにかく貴重で高価だと相場が決まっている。


 うーん。結構長く眠っていたような気もするけど、でもめっちゃ寝たような気がしたのに数分だったみたいな経験もしたばっかりだしなァ。


「……あなた」

「え?」


 カーリーの方から喋りはじめるのが意外で、俺は話始めの方を聞き逃しかけた。


「人間の組織でどういう扱われ方をしてるの。居心地は。そうなった経緯は」


 うおお、一気にまくし立ててくるな。


 会話に困るよりは、多すぎるくらいがいいのか。ぼんやりとした炎が、カーリーの青い瞳に反射して揺れている。今までで一番目が開いてる気がする、この女。


 ……ヘマるなよ、俺。しっかり返答しろ。


「……最初は確かに嫌々だったけど、中々どうして悪くねェ……と、今では思えてるよ」


 それから俺は、自分がヴァリアーで生活することになった経緯と……ヴァリアーでの日々を、煤に汚れた黒ウサギシンデレラへと語った。



 * * *



 興味津々、といった態度で話を聴いてくれる奴がいるってのはなんかむず痒いな? 自分が必要とされている瞬間を感じるって言うか。


 でもそれが、俺の心をあっためるだけかっていうと、一概にそうとも言えなくて。やっぱり俺から興味を離されるのが怖い。失望されるのが怖い。見切りを付けられるのが怖い。そんな己の内面が見通せてしまう精神のありようをやれ“大人になる”だの“自己分析ができる”だのプラス査定にする連中も、結局は自分を肯定したいだけだって思ってしまうし。


「――勿論、幼馴染を守れたっていう最初の結果があってこそだけど。今はそこで貰った大量の借りを、あいつらに働いて返してる状態……みたいな?」


 俺は今、何をしているんだろうか。例えば、クレアやゲイル、里の皆が今の俺を見て、「レンドウらしい」と思ってくれるだろうか。……失望、されないだろうか?


 気高く孤高の吸血鬼、そのなれの果て。……果てちゃったのかよ。まだ続きをこうご期待な段階じゃねェのかよ。


 ……正直、自分で自分に驚いているとこはある。意外なほど人間に従順で、今こうして初対面のカーリーに向き合ってることもそうだけど、よくそんな心に余裕があるよなあ、って思ってる。


「お前もこっちに来てみ……コホン。来てみるのも悪くないと思う」


 ――俺はどうして、多少なりとも本気で、割と面倒ながらも魔人こいつらの為に動けているんだ。


 それはこの目の前の女に親身になって、あわよくば先に選択してもらって、あわよくばその行く末を見守ることで、あわよくば俺自身の人生に答えを示して欲しいからか? あわ欲張りすぎだろ。あわってなんなんだよ。


「俺も、できるだけ手伝うし」


 よくもぬるっとそんな発言ができたもんだな、俺サマよ。


 自分でもいっぱいいっぱいな人生の苦痛を、誰かと分かち合ったって二倍になるだけじゃねーか。一緒に押しつぶされましょうってか? ちっ!


 ……それで、俺はどういう返答を期待しているんだ。


 理論では分かっているつもりになって、冷徹な思考に徹してるフリをしても、結局俺たちは情にほだされる。ほだされてしまう。


「……そこまでい……、言ってくれるなら、」


 ほら、眼光だけで他人を殺められるかコンテスト――名づけて目力めぢからコンテスト――で上位に勝ち残れること必至のカーリーだって、結局はこうなる。どうにもならない問題なんだよ。俺たちは種族の垣根を超えて、手を取り合うしかないんだ。


 周りを敵だらけにしてしまえば、きっと心が壊れてしまうから。

 だったら、その関係をなんと呼べばいいのだろう。


「……よろしく」


 カーリーの方から、右手を差し出してきた。俺はそこで迷うのも空気を悪くするだけだと思い、脳みそを空っぽにして、右手を持ち上げた。


 彼女の手を、精一杯努力して、優しく取る。


「ああ、よろしく……」


 俺のこのうざったい心の内を明かせないうちは、多分“友達”って言葉に相応しい存在は現れないだろう。


 うん、まぁいいんじゃないの。さっきは適当にごまかしていたけれど、この女の外見は決して悪くないよ。こいつの世話をするとか、役得だ~とか馬鹿みたいなことで脳内をピンクに埋めれば、もうちょっとこの生活を楽しめるんじゃないの。世話するっつったって、俺もまだレイスやリバイアにヴァリアーの歩き方を教えてもらってる段階なんだけどな……。


「……」


 にへら? 違うな、そこまでじゃない、もう少し崩れていない、きちんとした笑顔寄りの笑顔だ……をカーリーが浮かべて……なに、お前そんな顔もできるのかよ、案外かわ……ンン、いいじゃねェかとか考えていると。


 俺から見て部屋の右奥にある扉が開かれて、中から見知った人物が表れ……てない。誰だ。


 えっと、マジで誰だっ……け?

 見覚えがないこともないかもしれない。


「よーよー、お二人さん、仲睦まじいねぇ」


 語尾に音符でもついてそうなノリの台詞を吐き出しながら現れた中肉中背ミディアム茶髪で、メガネの男。しかし、その眼はちっとも楽しそうじゃない。誰だか思い出せないが、俺の人間不信を解消させる逸材ではないな。だってこの顔つき、悪いやつでしょ、絶対。レンドウ知ってる。


 心の中ではシャイボーイなはずのこの俺サマにワルだって断定されてんの、チョーウケるんですけど。


「……別に――、」


 つーか、お前誰。そう続けようか迷った結果は、一旦保留で。

 もう少し向こうの出方を見たい。


 そう思っていると、その悪いヤツ(笑)の後からも、部屋へゾロゾロと入室してくる顔ぶれ。レイス、リバイア……あ、来たんだ。リバイアには応援を待たせていたはずだ。


 その彼女がここにいるってことは、この悪いヤツ(笑)がヴァリアーからの応援なのかァ。そうなんだろうな。めちゃくちゃ嫌だな。


 それと、ともすれば見逃しそうになるほど屈折した腰を持つオババに、アラン、エト、最後尾におじいさん。いや、さらに後ろ、やっぱり扉の影から何人かの子供たちの気配。


 ……あのさ、あのおじいさんと子供たちって、俺にだけ感じ取れる霊の類じゃないですよね? そういうのやめてね、ほんとに。


 逆にこれだけの規模のコロニーの総人口が総勢十名に満たないなんてことはないだろうし、本当に戦えない無力な人員はここには顔を出していないのだろうけど。いや、でもあのじいさんとチビ達は戦えるのか……? とそこまで考えて……二ヶ月前、俺にロングソードを突き立てたガキが≪ヴァリアー≫にいることを思い出した。怖い。レンドウコドモコワイ。


 茶髪が薄ら笑いを浮かべながら口を開く。その表情、癖になってんのな。


「いい感じに話は纏まったみたいだな? こっちはこっちで族長相手に色々と話したんだけどよ、まずは赤髪、お前がたらし込んだ女の方がどういう条件で承諾してるのか、教えてもらおうかね」


 ――いや誑し込んでねェよ。一々弁解するのも必死だと思われそうで嫌だった。目だけでそう訴えると、要点をさっさと伝える。てかマジでこいつ誰?


「俺の時と同じように、このカーリーって女だけをヴァリアーに連れて行く。お前らとしてみれば、それで丁度いい鎖の役目を話せて満足だろ。……あと俺の名前は赤髪じゃねェ」


 一応、≪ヴァリアー≫の体面も考えてやってるつもりだ。カーリーとこのコロニーの連中は、お互いがお互いを心配し合う関係となり、お互いのことを思えばこそ、ヴァリアーに従いながら生きていくかせが出来上がる。


 メリットを提示してやったというのに、茶髪の人を小馬鹿にした笑みは消えない。別に「良く考えまちたねー偉いでちゅねー」なんて褒めて貰いたいワケじゃない。だが、これでは相手の予想を越えられなかったのか。反撃の可能性に胸がギシッと軋む。俺自身のことじゃないのに、なんか胸が苦しい。


 ……別に、ちょこっと話しただけでカーリーたちに情が移ってるなんてことはない、と思う。俺サマ、そんなにちょろくない。


 ああ、分かった、嫌な奴という共通の敵を得たいんだ。だからカーリー、いつか一緒にこいつぶっ倒そうぜ? というか今でもいい、この場の全員でやろう。


 しかし、茶髪は何も言わない。まるで「続けろ」と言わんばかりの態度だ。まだ何か言えってのか。聴き足りないのか。俺の言い方が何かおかしかっただろうか? これ以上なにかを伝えようと思っても、さっきと同じ内容のことをちょこっと別な文章にして「新しいこと喋ってます」ってていでいくぐらいしかできねーぞ。作文の文字数稼ぎそんぞコラ。


 助けを求めてレイス、リバイアを見ると、レイスは俺の方がハッとするような表情で、真剣にこっちを……俺と茶髪を見ていた。


 ――こいつにも、試されてるのか。


 リバイアはというと、俺たちの会話の内容がいまいち理解できなかったのか、必死に何かを呟いている。多分、今までの会話を復唱しているのだ。健気だな。茶髪オイ、お前は「はい」とか「いいえ」とか言えよ。小さい子供の為に分かりやすい会話をだな……俺が言えた義理じゃないですか、そうですか。


「カーリーは、ここでトップクラスに戦える奴、だろ……? お前らが引っ張っていくには一番適してるハズだ。それで、俺をヴァリアーに縛り付けた理由と変わらないだろ?」


 何が足りないというのか。


「はぁ~……」


 茶髪はこれ見よがしに天を仰いでみせた。クソデカため息も付属してた。それが俺の怒りのボルテージを高めていく。


「赤髪、全然だめだ。色々と足りてない、いいか……」


 また赤髪って言いやがった。俺の本当の色は黒なんだよ。闇の色なんだよ。お前らが染め上げたで俺を語るな。


「お前をうちに引き込んだ理由と、そこのをうちに引き入れる理由を比べると、二つほど劣る点が見えてくる」


 一応、適当に俺をいじめたいだけではなく、もっともらしい理由が存在するらしい。まぁ、もっともらしいかどうかはこれから判断していくんだけど。


「なんだよ」


 劣る、というフレーズが気になったのか、傍らのカーリーも茶髪をねめつける。いや、人格とか能力の批判とかではないと思うけどね。ただ、嫌な奴が言うことは、言葉の意味以上に嫌な部分を内包してるように感じられるというか。


「一、お前は吸血鬼の中でも高貴な血統だ。だから吸血鬼やつらにとって失いたくない存在だってことの裏打ちが取れてた。だがこの女にはそれがない。貧民街の薄汚れた地下暮らしに、どれだけの価値を付けられようってんだ」


 その目が、カーリーを下から上まで眺めまわす。


「外見も別に、大したことないしな」


 その台詞を聴いた瞬間、立ち上がって茶髪をぶん殴りたい衝動に駆られた。


 ――調子に乗るなよ、人間!!


 オマエラの尺度で勝手に美醜を判断して、差別をするな。迫害するな。力で押さえつけて、鎖と枷で絡めとって、その能力を人間サマの発展のための歯車にするな。思い上がるなよ……。


 ギリギリで思いとどまれたのは、自分や自分の身内が槍玉にあげられた訳ではないからか、言われた当人が――カーリーが――自分の外見が貶められようと、対して反応を示さなかったせいか。


「さっさと次を言え……」


 とりあえず、二つ目の理由も聞いて、両方解決して論破してからぶん殴りたいと思いまーす。


「歩く辞書さん、今のは良くないと思う……」


 壁際で静観を決めていたレイスが、我慢ならんという顔で茶髪を非難した。茶髪はそれには答えず、そればかりかレイスの方に一瞥すらくれなかった。


 それより、やっと茶髪が人から呼ばれたな。アルクジショ……ああ! そういうことかよ、あの時のアイツか。前にこいつに会った時、その場には長と、意識がないまま車椅子に乗せられたクレアがいた。


 そもそも、ヴァリアーの連中に俺が吸血鬼の貴族の血統だとリークしたのはこいつだ。


 ――アルクジショ。いや、歩く辞書?


 なんでお前そんなこと知ってんだよ。お前の辞書には吸血鬼の里の事情まで書いてあんのかよ。「私の辞書に陰湿という文字はない」とか言っちゃう系男子だろどうせ。自分自身が臭ェと、中々それに気づけないもんだよなァ!!


「二、黒バニーをヴァリアーに連れてきて、そこで信頼を得るために仲良しごっこをするとしよう。無論お前らがな。……で、その間、ここの連中はどうなる」


 どうなる……どうなるだって?


「そんなの……」


 ――どうなるんだ?


≪歩く辞書≫の後ろで、レイスが「あっ」と声を漏らした。お前は、俺がいまだ気づけていない何かに気付けたのか。


「黒バニーが俺たちに忠誠を誓ってる間、俺たちがこいつらを滅ぼさない? そんなのは不可能だ。こいつらが」≪歩く辞書≫は振り返ってコロニーの面々を順番に眺めていく。その視線に当てられたアランは声こそ洩らさなかったものの、壁にぶつかった。ということはつまり、後ずさりしてしまったということ。エトは平静を保ったフリをして、オババは……表情が読めない。


「うちのメンバーは例外なく、容赦なく対処するだろうよ……うちには魔人嫌いが多いからなぁ」


 ってのは何のことだろう……あっ。


 横を見ると、カーリーも苦々しい表情。やむを得ないにしろ、勿論、悪いことをしている自覚がある。


 生活が懸かっているんだ。強盗……までここの連中が良しとしているとは思いたくないが、窃盗団と呼ばれても仕方ない方法で生活しているのだろうことは想像に難くない。


「……そんなのは――、」


 俺が言おうとしたことを手で制して、≪歩く辞書≫は続ける。

 容赦なく。


「赤髪。お前が人間の血液でしか栄養を摂取できない身体だったら、とっくに殺してる」


 まるで「その場合は俺が手を下す」「俺はお前を殺せる実力を持っている」そんな風にも聴こえるセリフだった。やってみるか、ああん?


「――お前が我慢していようが後で吐いていようが、曲がりなりにも人間社会に合わせる努力をしていることを俺は評価している。だからこそお前は“生かされている”んだ」


「えっ……」

「レンドウ……!?」


 ≪歩く辞書≫の言葉に大きく反応したのは、リバイアとレイスだった。胸がズキリと痛んだ。バレた。


 ――バレてしまった。


 どうして、俺はそれを秘密にしていたのだろうか。何故、レイスやリバイアに知られたくないと願ったのだろうか?


 人間の飯は、正直、ずっと口に合っていなかった。


 食事の時間の後に、隠れて嘔吐することもあった。しかし、生きるために頑張って適応してきた。手首に鎖を付けられていた間は、特に感情を殺していた。その日々はとても辛かったし……そう、辛かった。でも、それを言葉にしないことで、なんとか保ってきたんだ。関係も、何もかもを。親身になってくれていると思った、レイスやリバイアのために。そんな想いも確かにあった。


 驕りとかじゃないと思うんだが、誰にでも、俺と同じ苦しみが耐えられるわけじゃないと思うんだ。だからこそ、できるだけ苦しい話はしなかった。カーリーに、ヴァリアーは楽しく、明るい場所なんだと、そう希望を持ってもらいたかった。


 だが、こいつは……≪歩く辞書≫は、それら俺の“未熟な感情”から生まれるものを、ことごとく打ち砕こうとする。


「どうした? 悔しかったら、俺に解決策を提示してみろ。ここの連中に悪事をやめさせ、そのうえで黒バニーを納得させたまま連れてこい。……それがお前にできるか?」


 うるせェ! 今必死に考えてるっつの。無い頭をフル回転させてるんだッつの。

 お前の言葉でくだらない摩擦を起こすな。回転の力が鈍るだろうが。


「一番良いのは黒バニーだけじゃなく、ここにいる連中全員に首輪を付けて引っ張っていくことだな」


 我慢の限界だった。俺は布団から飛び上がって≪歩く辞書≫へ突進する。その首根っこを掴み――俺の手が丁度首輪の役割だ……お前にこそ、これがお似合いだ――壁に叩きつけた。レイスとリバイアが慌てて退いた。いや、レイス、受け止めてやればよかったんじゃないの。それとも、オマエも若干こいつにイラついてる?


 存外に平気そうな≪歩く辞書≫に辟易としながらも、怒りを発散したことで少しスッキリ。壁に背中から叩きつけられた≪歩く辞書≫を恐る恐る開放すると、特に反撃をしてくる訳でもなく、奴は腕を組んで俺の次なる言葉を待っている。頑丈な体を持っているからこその余裕だったのか。その眼光は鋭い。きっとこいつからすれば、今俺は凄い勢いで好感度を失ったんだろうな。


 だが、こいつが「全員に首輪を付けて連れて行けばいい」と言った瞬間、脳裏に浮かんだんだ。吸血鬼の里の皆が人間に敗北し、隷属れいぞくさせられた光景を。それはきっと種族としての終わりだし、怒りに我を忘れかけたことすら、吸血鬼としての誇りの一部だ。


 ここで怒らなきゃ吸血鬼じゃない。レンドウじゃない。


 俺が一番心配なのは、せっかく一度こちらに天秤が傾いたカーリーまでもが、人間に嫌気がさして「やっぱりヴァリアーに行くの、嫌」と言い出し始めることだ。俺が得た信頼をこの男に壊されたくない。


「……お前、さっき俺のことを評価してくれてるって言ったな?」

「確かに言ったが、それが?」

「なら話は早い。――協力しろ」


 怒気も露わな俺に、「これだからガキは嫌いなんだ」といった風に≪歩く辞書≫は肩をすくめる。


「先に言っておくが……「ここの連中にやさしくして~」なんて願いを聞くつもりはない」


「違う。そうじゃねェ。俺を評価してるなら、


 どっからどう見ても他人を説得して自分の為に動いてもらう為の言い方じゃないけど、≪歩く辞書≫は俺の怒りすらどうでもいいもののように“そのままの態度”で受け流す。そう、この男はずっと一定なのだ。分かってきたぞ。


 いつも周りを軽く見下したまま。プラス十の男でも、マイナス十の男でもない。いつもマイナス二の男なのだ。


 ――いや、どっちかっていうと、それはもう人としてダメなのでは。


「……はあ?」

「――お前ッ、副局長とも仲良さげにしてたよな。≪ヴァリアー≫内でも結構偉い方なんだろ。言ってしまえば金持ちなんだろ? だったら俺に金を貸せ!」

「…………」


 一体、何の話だ。どうしてそうなる。目が点、と言うほどではないが驚いている≪歩く辞書≫に、精一杯説明する。


「カーリーが≪ヴァリアー≫を信用して皆を招きたくなるまで、ここにいる奴ら全員が不自由しなくなるだけの金ッ! ……を、俺に……貸せ」


 部屋が、沈黙に包まれる。


 皆、理解するのに時間が必要、という様子だった。大きな目を見開いたレイスのまなじりに涙が滲みかけた頃、空間を超高速の振動が切り裂いた。端的に言えば。音が発された。人間の声。それも、大声だ。バカでかい、肉声。


「くっはっはっはっはっははははははははは!!」


 その発信源は……≪歩く辞書≫。


「はは、はははははは、はぁ……」


 ひとしきり笑って疲れが見えてくると、奴は辺りを見渡して、しかし恥じいる様子など一切見せず。


「あー、笑った笑った」


 懐に手を突っ込むと、奴は、ずっしりと重そうな巾着袋を三つ……いや、四つも取り出し、カーリー、エト、アラン、オババに向けて放った。そのコントロールは文句のつけようが無かったが、レイスは不安だったのか、オババに向けて投げられたそれをキャッチし、改めて本人に手渡しした。


「……俺は先に戻る。金額に文句があれば後で書面で寄越せ。文字が書ける程度の教育を受けた奴すら居ないのであれば、俺はもう知らん。これでいいな……


 それだけ言うと、≪歩く辞書≫はスタスタと歩きはじめた。迷わず入口を越えると、扉の向こうで一瞬だけ立ち止まって、彼の周りで何者かがわたわたする雰囲気。恐らく、子供たちが避けるのを待つために立ち止まったのだ。


 アランが巾着袋の中を確かめたと思いきや意識を失ったのか、いや、倒れてはいないんだけど、放心状態と言うか……に陥っているのを横目に、一足先に我に返ったエトが≪歩く辞書≫を追いかける。


「か、帰り道、案内します!」

「いらん、充分見えるし、道も覚えた」


 何気に恐ろしい台詞が聴こえてきた。まさか、俺並に夜目が効くのか? ただの人間が?


「そんな訳にはいきませんって!」


 二人の声は段々と小さくなって、聴こえなくなる。まぁそりゃあ、エトとしてみれば敵対組織の人間に勝手にうろちょろされたくないよな。ちゃんと帰るところを見届けないと安心できないだろう。


 二人がいなくなると、再び部屋には沈黙が訪れる。

 それを破ったのは、しばらく口を金魚のようにぱくぱくとさせていたレイス。


「す、凄いよレンドウ! あんな超理論を思いつくなんて!」


 ――褒められている気が一切しないんだが?


「重ね重ね、お礼……言わないとね」


 カーリーも喋り出す。


 ようやく緊張の糸がほどけたか、脱力したようにへたり込んだリバイア。


「あれ? でも二つ目の条件しか解決してないような気がします」


 お前、余計なこと言うなよリバイア。まぁ≪歩く辞書≫はもういないからいいけど。


「一つ目の、カーリーさんではレンドウさんに並ぶ価値がないってお話は……うっかり忘れちゃったんでしょうか?」


 きょとんとした様子で、リバイアが言う。可愛いなお前。……はっ!? 普段そんなこと言わないのに、この俺が!? いや、口に出してはいないからセーフなはずだ。弛緩した空気に飲まれて、脳みそがハッピーになっているのか。いや、それでもやっぱり口に出していなければセーフ!


「あの陰湿メガネに限ってそれはないだろ。人にネチネチ難癖付けられる要素の一つだ、次回使う時まで大切に取っておくつもりとかだろ、どうせ」

「ひどい評価だね……。レンドウの努力に免じて、目を瞑ってくれたんじゃないのかなぁ?」


 いつもの調子を取り戻し始めたレイスが、のほほんオーラを纏い始める。

 お前もさっきまでは、結構≪歩く辞書≫に対して嫌いっぽい雰囲気出してなかったか?


「あんたたちには、なんと感謝したらいいのか……」


 オババが歩み寄ってきて、俺に手を差し伸べる。姿勢を低くして、その手を取る。


「感謝されるにはまだ早ェよ。これからだ、これから」


 そう、全てはこれからなのだ。


 今日という一日、そこで取った俺の行動が正しかったのかどうか。それがいつか法廷にかけられる日が来る。その日も、今と同じように笑えるように。笑えますように、ではない。自らの手で掴み取るのだ。


「そんなことより、レ~ンドウ?」

「え、な……なんだよ」


 ……そんな決意を胸に秘めた俺に、レイスがちょっと怒ってる? のか。声をかけてきた。


「僕、君がずっと人間の食事で無理をして苦しんでたなんて、相談された覚えないんだけどなぁ~……」


 あァ、とても面倒くさい話題だ、これ。


「私もです! 同じ番外隊の仲間なんですから、なんでも相談してくださいよっ!」


 リバイアもそれに続いた。


 きっと、こいつらのおせっかいが嬉しく思える日も来る。

 そう思えばこそ、


「――はいはい」


 聞き流した風に、手をひらひらと振ってやる。それで二人の“優しさからくる怒り”が加速することも、「これからレンドウに負担を掛けない食事を考えよう!」みたいな話が始まることも、想像に難くなかった。


 そのやさしさが受けられることを知りつつ、俺は“いつも通りの俺”であり続けようとする。


「や、そんなの別に嬉しくないし」って。


 そういうフリ。


 ……俺も大概、ツンデレだな。



【2章】 了

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