第2話 来た! わたしの死亡フラグ(第二王子)!

 ***


 享年、十六歳。

 高校入りたての女子高生。

 それがわたしの前世。

 が、今は八歳の公爵令嬢ユーフェミア・グランツハイムである。


 この世界でのわたしは、それはそれは大切に育てられた令嬢で、父は毎日目に入れても痛くない、可愛いとべた褒めだった。

 母親はそんなわたしと父を見て、幸せだわとほろり涙を流す始末。

 欲しいものは何でも与えられ、気づけばわがまま高慢ちきお嬢様のできあがりである。


 正直、この世で一番偉いと思っていました、はい。


 そして今日は第一王子主催の園遊会で、初めてお城にやってきた。

 そこで同い年の第二王子を紹介されたところ、一目惚れした。


 金を溶かして薄く裂いたような綺麗で張りのある髪、その揺れる前髪の下から覗くのは晴天を溶かし込んだような碧い瞳。

 絵画の中の天使がそのまま飛び出てきたのかと思うような容貌に、わたしは一瞬で虜になった。


 一目散に穴場だと伯父から教えられた人気のない薔薇園へ強制連行。

 結果ぬかるみに足を取られて転び、不幸な王子は微塵も興味のない令嬢を押し倒す羽目になって……今に至る。


 でも、でも、だめ。


 この出会い方はぜえっっっったいに!

 やっちゃいけなかったのよ!


 なぜならこれは、破滅ルートへのフラグ起点だから!!








「わたしは聖地巡礼で二次元に浸れればそれで良かったのよ! 本当にその世界に入らせてくれなんて言ってないじゃない!? 神さまのぼけなす!!」

「……お嬢さま? 目が覚めた第一声がこれ……。すみません、今すぐお医者を――」

「いりません!」


 ベッドの側に腰掛けていたギルバートが立ち上がろうとするのを大声で制して、わたしはもう一度枕へと突っ伏した。

 ギルバートはしばらく逡巡した後、深いため息をついて丸椅子に座り直す。


「もう三日三晩昏睡状態だったのですよ。目が覚めて良かった」

「よくないわよ。こんな、こんな――」

「……お可哀想に。綺麗に傷が消えればいいのですが……」


 わたしよりもよほど落ち込んだ顔をしたギルバードが頭を優しく撫でながら言う。

 後頭部に出来た傷を憂えて、泣いていると思ったのだろう。だが見当違いも甚だしい。


 


「ギル。鏡をちょうだい」

「……ですが」

「いいから。見ておきたいのよ、ちゃんと」


 お気をしっかり、といいながらギルバートが手鏡をさしだした。

 枕からちらりと顔を向けて、そこを覗き込む。

 そこには見覚えのある少女の顔がある。


 艶やかな白銀の髪に淡い紫色の瞳。

 その瞳の色から将来は紫陽花の君と呼ばれる眉目秀麗な面立ちだ。

 だが今は額から後頭部にかけて、ぐるぐると包帯が巻かれている。

 バンドマンの下手くそなバンダナみたいだった。


「三針縫ったとのことで、お医者さまの話では、その、もう生えないかもしれないと……」

「生えないって?」

「……髪が」

「ハゲってこと!?」

「縫った傷跡の上、一センチ程度のところが……」


 前言撤回。ハゲはやばい。


「え、ちょっと、どこどこ?」

「え、だからここが……」

「いや、後頭部見えないって! 鏡もう一つ持ってきて! 後ろから映して!!」

「あ、ちょっと待ってくださいね……」

 ギルバートが急いでもう一つ手鏡を持ってきて後ろからかざす。

「見えます?」

「髪が邪魔! 避けて!」


 わたしは包帯を引っぺがす。

 ギルバートがいそいそと髪を持ち上げる。


「これでどうです?」


 鏡越しに、真剣な顔で髪をかき分けるギルバートが映る。

 それに強烈な既視感を覚えた。


「……毛繕いするサルみたい」

「サル?」


 あまりにも滑稽な光景に一瞬で冷めた。

 もういいや、と思って鏡を投げ捨てる。


「…………」


 髪をかき分ける作業が水の泡となったことにギルバートはやや不服そうだった。

 が、しばらく沈黙した後包帯を巻き直し始めた。


「ハゲ……。そういえばそんな設定だったわね」


 さすがにこの若さで、しかも令嬢がハゲをこさえたとなるとぶすりと胸に刺さるものがある。

 だが、やはり目下の問題はそんな陳腐なものではないのだ。


 気を取り直すためにふう、とため息をついて、改めて鏡の中の少女をまじまじと見つめた。


 氷のように冷たい眼差し。

 意志が強そうなつり上がった眉。


 ――生前大嫌いで、その破滅を心の底から望んだ悪役令嬢の顔!!


 ちょっとだけ、薄目を開けて鏡を覗き込んでみる。


 やっぱり悪役令嬢がいる。


 右目をつぶってみる。

 鏡の中の悪役令嬢は左目をつぶる。


 いよっしゃ!

 反対の目をつぶったと言うことは別人!


 ……なわけはなく。

 鏡は左右反転して映るんだから、当然


 つまり、鏡に映っているこのいけ好かない悪役顔の令嬢は、紛れもなくわたしというわけだ。


 悪役令嬢ユーフェミア・グランツハイムが登場するのは《薔薇騎士伝説》という乙女ゲームである。

 ジャンル別の売り上げランキングで堂々の一位を飾った本作は、中世ヨーロッパ風の世界でイケメンたちとの学園生活を満喫しつつ、愛を育んでいくという王道ストーリーだ。


 だが、このゲームが売り上げ一位になったのは単にイケメンがたくさん登場するからだけではない。

 女性向けゲームではおざなりになっていたRPG要素にもかなり力を入れているからだ。


 この世界には魔王復活の伝承があり、それに対抗すべくロゼリア教の神でるロゼリアさまが人間にスキルを与えている。

 そのスキルと育んだ愛を持って魔王を倒すというストーリー設定がなかなかに上手くできていて、それが人気を博した一つの要因ともなっていた。


 十五歳になったスキル持ちは学園に集められて教育を受ける。

 この学園が本作の舞台であり、授業や実習をこなす中で愛を育んでいくのだ。


 ちなみにわたしが十五歳で芽生えるスキルは〈より黒き者〉というやつだ。

 能力としては魔物とお話ができるという、とーっても悪役令嬢らしいスキルである。


 話を戻すと、この物語のヒロインは平民の出自にありながら、入学式の一週間前にスキルを発現させて学園にやってくる。

 実のところヒロインは、かつて魔王を勇者とともに滅ぼした聖女さまの生まれ変わりで、みるみる才能を発揮する。

 そして仲間(攻略対象)と絆を育み、エンディングでは見事魔王を倒して世界に平和が訪れる。


 主な登場人物は悪役令嬢ユーフェミアを含めた七人――。


「お嬢さま」


 飛び込んできた声に一瞬びっくりして飛び跳ねる。

 ちらりと鏡から視線を斜め上に向ければ、ギルバートの琥珀色の瞳と目が合った。

 慈悲深い眼差しでわたしに笑いかけている。

 手は頭に置いたまま、優しくなで続けていた。


「なに……ですか」


 記憶を取り戻す前のわたしなら横暴な振る舞いが当たり前だったけれど、今となっては庶民として生きた時間の方が長い。

 見事気弱さが勝って、とんちんかんな敬語が誕生した。


 突然(でたらめではあるが)敬語を使ったわたしにギルバートが目を瞠る。

 だが逸れも一瞬のことで、すぐさま柔和な笑みに戻ると言葉を続けた。


「紅茶を入れて参りましょうか。お嬢さまが大好きな木苺のジャムをたっぷり入れて」


 木苺のジャム、と聞いて生唾を飲み込んだ。


「……飲む。それから――」

「スコーンとホイップクリームですね。用意して参ります」

「……ありがと」


 再びわたしの言葉に目を瞠ったギルバートが、一礼をして立ち去った。私はその背中を見ながら、記憶の紐をたぐり寄せる。


 登場人物一人目、ギルバート・マクベス。

 彼は時折ログに登場する程度の、いわゆるモブである。


 琥珀色の瞳と、同色の長く伸ばしたきれいな髪。

 それを肩の上で緩く一つにまとめている。

 八歳の頃から小姓ペイジとして我が家に奉公していて、現在は十五歳で従騎士エスクワイアに昇級した。


 本来はお父さまの身の回りの世話をすべきなんだけれど、娘大好きで心配性なお父さまに言われて、執事としてわたしの身の回りの世話をしている。

 最期までわたしの唯一の味方であり、ともに処刑される青年だった。


 登場人物二人目はジルベルト・フォン・ローゼンハーツ。

 攻略対象の一人でもあり、このゲームの舞台ローゼンハーツ王国の第二王子。

 そう、わたしが怪我をしたとき、その天使のような顔を青ざめさせてドン引きしていたのが彼である。


 一見天使のように見える彼は、実際の所絵に描いたような紳士系ドSキャラで、その言葉責めに世の中のプレイヤーは悶絶した。

 わたしもその一人である。


 にもかかわらず、どうしてそんな推しキャラとあの庭園で出会ってはいけなかったかと言えば……。


「お嬢さま! 大変です!!」


 いつも冷静なギルバートが慌てた様子で駆け込んできた。

 その足音に紅茶がこぼれる! と心配したが杞憂だったようだ。


 手に紅茶を持っていない。

 もちろんスコーンも。


 残念である。

 仕事しろ。


「んもう、なんなのよ……」


 まだ若干わがままお嬢さまが抜けきっていないのか、ベットにうつ伏せのまま頬杖をついて深々とため息をつく。

 足をぱたぱたと上下させることも忘れない。

 おお、これは確かに悪役令嬢っぽいぞと一人で勝手に感心していたところ、


「ジルベルト殿下がお見えです!」

「へ?」


 こけっと掌から顎がずり落ちて、ぼふんと顔が枕にダイブした。

 しばらく現実逃避するように、そのもふもふの感触と石けんの香りを堪能して、


「~~~!」


 声にならない叫び声を上げた。


 来た、来てしまった!

 わたしの死亡フラグ!!

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