二十一話 対抗魔戦と西の四門と
寮の談話室。
すっかり季節は冬。
学園にも年末年始の足音が、すぐそこまで近づいていた。
学園の生徒には、年末年始にかけて二週間の冬季休暇が与えられる。これが、学園の一年で唯一の長期休暇。あとは、始業式後の夏季休暇しかない。そのため、生徒は冬期休暇を前にウキウキしている。
シトラスたちの寮部屋。
その談話室でも、今日で年内最後の授業をつい先ほど終えた生徒たちは、思い思いに羽根を伸ばして、休暇の話や、これまでの学園生活の話に花を咲かせていた。
シトラスはミュール、メアリーに加えて、レスタとエヴァと学園新聞の反響について話して盛り上がっていた。
「まぁ今の時の人だもんね」
私もクラスでシトのこと色々聞かれたわ、とはエヴァの談。
「学園新聞の影響で、中央の連中は名誉を取り戻す、って一部の連中が張り切っているみたいだから。これから学園が荒れそうな気がするな。北はアブーガヴェル様の目の黒いうちは大丈夫だけど、アブーガヴェル様は次の一年で卒業しちゃうから私たちも備えないと」
「あー、そうだな。シトもあの姉が卒業すると真っ先に狙われそうな気がするな。大丈夫か?」
レスタが一転して気遣うようにミュールとシトラスに視線を送ると、
「シトは死なないわ、私が守るもの」
気負うでもなく、シトラスに身を預けて目を瞑ったままメアリーがそう言った。これには北の二人は目が点になる。肝心のシトラスはどこか少し不服そうな様子。
「まるで物語の騎士さまね。ってことはシトがお姫様?」
「いやぼくが勇者になってメアリーも守るよ」
「お前の勇者はともかく、メアリーが守られている所はちょっと想像できないな」
「「確かに」」
ミュールの指摘に、思わず北の二人組の声が重なり、場は笑いに包まれた。
そんなこんなで時は流れて、カーヴェア学園は、年末年始の二週間の休暇に突入した。
「――という訳で、この休暇中はなにしようか?」
「それをなんであたしに言いに来たんだ?」
と言葉を返すのは、つい先ほどまで、学園の中庭に植えられた巨木の樹上で昼寝をしていたライラ。
シトラスはカーヴェア学園の中庭に足を運んでいた。
彼の後ろには、ミュールとメアリーの姿もある。
ライラはシトラスの呼びかけに、樹上から飛び降り、肩を並べた。
「いや、ライラ友達いなそうだし」
「おうおう一年のお前が四年のあたしに喧嘩売ってんのか?」
「……友達、いるの?」
「……友達なんかいらねぇ、人間強度が下がるから」
「わお、本当に友達がいない人にしかできない発言」
「やかましいわ」
二人は、先月の出会い以来、ちょこちょこと放課後に逢瀬を重ねていた。シトラスが、縮地のように距離を詰めた結果、たったひと月で、ライラとシトと気軽に呼び合うくらいまでに打ち解けるまでになっていた。
ライラが呆れたように、
「あたしには予定があるかもしれないだろ?」
「あるの?」
不思議ように首を傾げるシトラス。
「いや、ないけど……」
真っ直ぐに見つめられる視線から、逃げるように目を背けるライラ。
「ほらぁ。でもぼくはライラのことをもう友達だと思ってるよ」
「はっ、人族のぼっちゃんが酔狂なことで」
などと言いつつも、布越しにもわかるまんざらでもなさそうな態度。
そんな二人のコントのような掛け合いを、後ろから眺めていたミュールとメアリーであったが、ミュールがこらえきれず、二人の話に割って入る。
「で、シト。そろそろ紹介してくれねえか?」
「あ、ごめんごめん。この金髪の目つきの悪いのがミュールで、こっちの綺麗な赤い髪の子がメアリー。二人ともぼくの昔からの友達。で、この背の高いお姉さんがライラ」
「ミュールです……ところで先輩は、なんでそんなに顔を隠してるんですか?」
「……それに答える必要があるのか?」
ミュールの不躾な質問に、どことなくひりつく空気。
シトラスは特に気にしていないので触れたことはなかったが、至極まっとうな質問である。怪しいことこの上ない。
「なになに、ミュールはライラが好みの女性なの? 姉上といいカッコイイ感じの女性が好きなんだねー」
「違うわッ! いや、違わないけど、違うわッ!」
「どっちなんだい?」
「昔な! そりゃあ、初めて会った時はあれだったけど……今は違う! あんなおっかないの俺の手に余り過ぎて指折れるわッ!」
二人の横に立つメアリーの視線がライラを捉えていた。
基本的に他人に興味のない彼女は、普段はどこかぼんやりとしており、こうした他人に興味を持つこと自体が珍しい光景であった。
そして「あんたできるわね」とポツリと吐き出した台詞に対して、ライラは肯定するでも否定するでもなく、ただその肩を竦めてみせた。
ライラの胸に輝くブローチの色は黄色。七席の赤、次点の橙に次ぐ色である。七つに分けられた色の上から三つ目である。
「シトの姉って言うと、
「姉上は学園ではそう言われているみたいね。そう言えば、他に通り名ってどんなのがあるの?」
シトラスの疑問に答えるライラ。
「ヴェレイラが、"
「かっこいいね。ぼくも欲しいな
「自薦なら相当イタくねぇか? 今日から
ベルガモットを揶揄するや否や吹き抜けた風に、慌てて周囲を見渡すミュール。
それを見て笑うシトラス。怯えるくらいなら言わなきゃいいのに、と。
「だいたいはその戦闘スタイルや、その特徴を彷彿させるものが多いかな。シトはどんなのがいいんだ?」
「ぼくは勇者がいい! ほかだと騎士王とか、大戦士みたいなかっこいいのがいいな」
「騎士王と大戦士は今の時代は既にいるし、勇者はちょっと特殊で王家による指名制だからな。まぁシトがめちゃくちゃ強くなったらなれるかもしれない」
「がんばるよ!」
シトラスの笑顔に頬を緩めるライラ。
「まずは学園にいる間に四大行事で名前を刻まないとな。来月の対抗魔戦はでるのか?」
「うん。出るよ」
対抗魔戦とは、カーヴェア学園の四大行事の一つである。二人一組の行事であるため、参加者を希望する者は行事中の相方の確保が必須である。
「
「うん、いるよ。メアリーいい?」
「うん」
「はいできた」
むふー、と無邪気に胸を張るシトラス。
「……お前すげぇな」
ライラが目の前の何かキラキラした存在に恐れおののいていると、くいくいっとシトラスの袖を引くミュール。
「シト……俺は?」
「……ミュールのことは忘れないから……ね?」
「ね? じゃねーよ! ……しゃーね。ブルーでも誘ってみるか」
「いいね。ぼくからもブルーに頼んでみるよ。あ、ライラ。ブルーって言うのが、これまでに話してきたクラスにいる猫人族の子」
二人の会話の登場人物に、少し驚いた様子を見せるライラ。
「……お前が目にかけていたのは、ブルー・ショットだったのか」
「あれ? ライラはブルーとは知り合い?」
「まあな。人族と違って、学園に猫人族はそこまで多くはいないからな。っていうことはお前があの……」
なにやらぶつぶつ呟き始めたライラ。
「ライラは対抗魔戦は出るの?」
「いや、私は出ない」
「あっ……」
「……違うからな? だいぶ失礼なこと考えてそうだけど違うからな?」
シトラスが口元に手を添え、お察し、の表情を取ったことに対して、ジト目で睨みつけるライラ。
「私の戦い方は集団戦は向かないし、まぁ私らにも色々事情があって出ないよ」
「? 向き不向きか。そうか、そうだよね。そういう考え方もあるよね」
「確かに戦い方がわかれば、次の対戦までに対策の仕様もあるもんな」
バックアップ二人の反応に苦虫を潰したような顔で、
「それでも世の中には対策ができないバケモノたちがいて、この学園では、そいつらは七席って呼ばれているよ」
対抗魔戦とは、学園四大行事のうち唯一、二人一組となって挑むコンビ戦である。
その内容は前衛と後衛に別れ、生徒同士の試合、カーヴェア学園の用意した障害物、魔法生物を退けた点数を競い合うというものだ。競技の内容は選ばれるかはその年によって違う。その点で、対抗魔戦は他の四大行事とは違い、対策が取りづらい行事としても有名であった。
その競技の起源は、魔物や魔法生物退治の模擬戦とも言われている。
行事の性質上、接近戦の技能が問われる魔闘会では、力を発揮しづらい後方支援型が活躍できる行事であり、そちらが得意な生徒は、対抗魔戦に全力を注ぐ傾向にあった。
ベルガモットとヴェレイラのコンビが、入学以来二年連続で優勝を遂げており、今年はカーヴェア学園創設以来初となる三年連続の優勝にも期待がかかる。
こちらは関係者曰く、次元が違う。
下手したら一人でも優勝しかねない人物を二人も揃えたらもうどうしようもない、とのことである。
「じゃあメアリー特訓しようッ!」
◆
迎えた対抗魔戦当日。
新人戦と同じ闘技場に、カーヴェア学園中の生徒が集まっていた。
熱気は新人戦の比ではなく、どこからか軽快な音楽が流れており、ちょっとしたお祭り騒ぎである。
メアリーと一緒に闘技場に訪れたシトラスは、入口で整理係の人から大会の参加券を受け取り、闘技場の観客席に出た。闘技場内は既に興奮と熱気が渦巻いていた。全校生が集まる行事とだけあって、どこもかしこも喧騒に溢れている。
「試合がまだ始まってないのにすごい熱気……」
通路で立ち止まって周囲を見渡していると、おーい、シト。こっちだ、と声が聞こえる。
自身の名前を呼ぶ方角を見ると、座席を確保したミュールが大きく手を振っていた。その周囲を見ると、見覚えのある東の塔の顔ぶれで席が固められていた。
生徒の波をかき分けて席に着くと、会場の舞台に変化があったようで、闘技場が静まりかえる。
闘技場の中心部に進み出たのは、白髪白眼の童と見紛うような容姿の持ち主、学園長のネクタルであった。地面に届こうかという、彼の白髪が風に揺れる。
ネクタルは喉に手を当てて喋り始めると、闘技場にその声が立体的に響き渡る。
『あー、てすてす。あー、てすてす。……学園長のネクタルだよ。今日は競技を行うのには最適な快晴。今年もベルガモット嬢、ヴェレイラ嬢が支配するのか、この二年連続で優勝中のこのコンビを打ち破る者が出てくるのか。皆の健闘を祈っているよ。おっとっと、長い話は嫌われるから手短に宣言するね。……こほん、これより対抗魔戦の開催をここに宣言するッ!!』
ネクタルの大音声に合わせて、闘技場に歓声が爆発する。
そのあまりの激しさに闘技場が震えるほどである。
開催宣言をするとネクタルは壇上から下がり、今度は剣術教師のアペルが壇上に立つ。
『これより予選を行います。予選は五組に別れて行います。各ブロックで規定の人数以下になるまで続行します。参加券に書かれた番号に従って一から順に予選を行いますので、一番の生徒はこちらに。予選で前衛を務める生徒はリングに、後衛を務める生徒は、リングの外に引かれた五メートルラインより外側に立ってお待ちください。なお予選では、前衛と後衛は入れ替わりができませんので、そのつもりでいて下さい』
アペルが手をリングに手を翳すと、瞬く間にリングが隆起し、観客席とリングを繋ぐ階段がいくつもかけられた。毎年の恒例か上級生たちは、我先に階段を使ってリングに降り立つ。そして、新入生がそれに恐る恐る続く。
『さあさあ一番の生徒は急いで下さい。私が階段を消した時点で受付終了ですよ』
階段に列をなす生徒たちを眺めながら、シトラスは闘技場の入口で受け取った参加券をポケットから取り出した。
「シト、お前何番だ?」
「えっと、四番だね。ミュールは?」
「俺は五番だ。本選であおうぜ、負けるなよ?」
「ミュールこそ!」
二人が拳を突合せているとアペルの声が再び闘技場に響き渡る。
『予選試合のルールを説明します! 予選試合では、各組で二組が本選に出場できます。そしてその二組の決め方ですが、最後まで立っていた前衛のチーム二組とさせていただきます。後衛の選手はどんどんリング上の相手選手に魔法をたたき込んでください。そして前衛の選手は最後まで耐え抜いて下さい。逆に、前衛の生徒がリングの外に出る。あるいは気を失うと負けです』
『なお、前衛から後衛への攻撃魔法の使用は禁止です。後衛同士の戦闘も禁止とさせていただきます。ただし、後衛の生徒が五メートルラインを越えて前衛へ攻撃を行った場合は不正とみなし、失格となりますので気をつけてください』
『リング上で受けたダメージは、みなさんが胸元に着けているブローチが吸収してくれますが、一定以上のダメージを負うと、リング外に強制転移される仕組みになっております。そのため、ブローチは絶対に外さないで下さいね? 安全のためにブローチが外れた生徒も敗退とさせて頂きます』
一組目から熾烈な大乱戦であった。
アペルが開始を告げるや否や、リングを取り囲む後衛の生徒陣から魔法の一斉掃射。
対して、前衛は距離を取ろうと中央に向かい、前衛同士の中央の陣取り合戦の様相を呈した。
その間にも、後衛陣から魔法が絶え間なく打ち込まれるので、開始五分もしないうちに、三分の一の生徒が脱落して、リング上から姿を消した。
開始から十分を超える頃には、リング上の前衛の数は、開始時点の半分を下回るまで減っていた。
耐え抜いているリング上の生徒たち、そのほとんどが上級生である。上級生は徒党を組み、互いに背を預けるようにして魔弾の嵐を耐え抜いている。彼らの胸のブローチは中間の四位――七位ある階位の中間――の色である緑色以上の生徒たちが大多数であり、学園生活の成果を十二分に発揮していた。
この予選の恐ろしいところは、敗退したチームが引き続き、前衛選手に対して妨害行為を行うことができるという点だ。そのため、前衛をいくら倒したところで弾幕が薄くなる見込みが薄い。
だが、開始から十五分後にもすると、魔力切れを起こす生徒が多発し、弾幕が極端に薄くなる。
開幕から休憩もなしにリング上に魔法を放ち続けた影響だ。それでもブローチが黄色以上の上位三色以上の者となると、まだ打ち込める余力があるようである。
リング外の弾幕が薄くなると今度は、リング上での戦闘が激しくなるのは自明の理であった。徒党を組んでいた生徒も、ばらばらに別れてそれぞれ激戦を繰り広げている。
それから十分もしないうちに第一組の予選は終わった。
息を切らした男子生徒二人だけがリング上に残っていた。
二人は終了に喜んで感情を爆発させると、リング外の彼らのペアの後衛も同じように感情を爆発させており、そのうちの一人である女生徒は嬉しさのあまり号泣していた。
ついで、本選二組。
こちらは一組目と様子が違った。
下級生の中には一戦目の激しさのあまり、出場を辞退する生徒が現れはじめた。開始後も絶え間なく降り注ぐ魔法の恐怖に耐えかねて、自らリング外に降りる生徒もいた。
そして、第一組と比較して圧倒的な後衛からの弾幕。その中心には学園上位の橙のブローチを胸に光らせた女生徒の圧倒的な魔法。
第一組と違い、前衛同士の戦闘に行われるでもなく、後衛の力であっさりと本選出場者が決まった。
決まった当人の生徒たちも決まって当たり前、というような表情であったのも、予選一組とは対照的なものであった。
続いて、第三組。
『徒党を組んで戦う』という点では、これまでの組と変わらないが、その規模に違いがあった。
一人の男子生徒を中心に、統制の取れた動きで戦闘が行われていた。彼らはリングの角に陣取ったかと思うと、集団戦に入った。後衛も応じるようにそこに援護を入れる。
連携の取れた上級生の集団によって、面白いようにリング上は一層された。集団の中心となっていた男子生徒以外の生徒たちで戦闘が開かれ、最終的には、集団の中心人物と、他に橙のブローチを胸にする女生徒が勝ち残った。
闘技場が歓声に沸く中で、シトラスはぎゅっとその手を握りしめた。その視線の先には、歓声に包まれてリングを後にする集団戦で中心人物となっていた男子生徒。
「あの生徒……」
「ん? ……あぁ。四門の南、アップルトン家の嫡男――エステル・アップルトン。シトは本選で新人戦のリベンジするチャンスありだな」
「――うん」
「まぁ、まずはここを勝たなきゃな。シトの組には四門の西、ボルス・ジュネヴァシュタインがいる。こいつには気をつけろ。負けるなよシトッ」
シトラスの肩を叩いて励ますミュール。友人からの応援に笑顔で返すと、立ち上がってシトラスは隣に座っていたメアリーの手を差し出す。
「行こうッ!」
『それではこれより、予選第四組の試合を始めさせていただきます』
『それではみなさんの健闘を祈ります。予選第四組、はじめて下さいッ』
リングを取り囲む後衛の生徒たちから放たれる魔法。
しかし、その実、一年生の後衛は魔法での援護という点では、ほとんどできることがなかった。
ほとんどの一年生が魔法を満足に扱えないからである。一発や二発、不安定な出力の下で、魔力をかろうじて圧縮してリングに放つことが精々で、中には魔力を暴発させて、周囲を巻き込んで自爆する生徒の姿も。多くの一年生は、矢じりが潰された弓矢を用いての後方支援が主であった。
「シトは何を……?」
観客席からシトラスを見つめるミュールは、怪訝な顔を浮かべていた。
シトラスは、後方支援に加わるでもなく、地面を素手で掘り返し始めたからである。
そして、魔力で強化された手で掘り出した土を握り固め始めると、土球とでも言うべき球体をいくつも作っていく。
シトラスがせっせと土球を作り溜めていると、第四組では、これまでとは違う光景がリング上で起こった。
リング中央から一人の生徒が、後衛陣と相対するかのようにリングの端に躍り出たのである。
どよめく観客。
その生徒とは、鮮烈な赤いをたなびかせた女生徒、メアリーであった。
「あいつら何する気だ?」
一人で弾幕の最前線に飛び出したメアリーは、素早く視線を左右に動かす。
そして、その視線がシトラスを捉えると、ピタリと止まる。
「前衛から後衛への魔法の使用は禁止だッ! なにもできないさッ! やってしまえッ!」
上級生の一人が音頭を取って、孤立したメアリーに魔法を打ち込む。
その生徒が打ち込んだのは、人の身の丈ほどの大きな火球。
制御された火玉が、メアリーの頭上に降り注ぐ。
メアリーは手にした木刀を縦に振り下ろした。
二つに割れる火球。
それはまるで彼女を避けるように着弾し、リングを炙った。
一瞬だけ静寂が会場を包んだかと思うと、次の瞬間には興奮が爆ぜた。
これには放った上級生も、開いた口が塞がらない様子である。
ここでシトラスが動き始めた。
シトラスは作り上げた土球を、リング上のメアリーへ目掛けて投げ込む。
土球とは言え、勢いを持って投げこまれれば、容易に無視できるものではない。
味方であるはずの彼女に投じられた土球。
それをメアリーは、切るのではなく剣の峰を使って
投げこんだ速さ以上の速度ではじき返された土球は、今まさに魔法の詠唱を終えようとしていた他の生徒に叩き込まれ、その生徒はもんどりうって倒れると、起き上がることはなかった。
再び会場は静寂が支配した。
「は、反則だッ!!」
後衛を務める生徒の一人が吠えた。時を取り戻したかのようにどよめく会場。
だが、リング内外ではまだ時が止まっていた。このとき前衛から"後衛への攻撃"という事実に誰もが手を止めていた。
闘技場内の観覧席の二階に設けられたバルコニー。
観覧席から突起する形で作られたその席は、対抗魔戦ならびに魔闘会では来賓席である。リング全体を俯瞰して把握できるその場所から試合を監督していたアペルであったが、後衛の生徒からの反則の声に、前に立って階下のメアリーに視線を送る。
『……そうですね。メアリーさん、残念ながら――』
「メアリーはルールを守っているよッ!」
アペルは、失格を言い渡す言葉を遮るシトラスの言葉に耳を傾ける。
『……どういうことです?』
「ルールは"後衛への攻撃魔法の禁止"でしょ? メアリーは攻撃魔法を使ってないッ!」
『何を……。強化魔法を使われているでしょう?』
「うん!
『そんな屁理屈が――』
シトラスとアペルの言葉の応酬に盛り上がる観客。
メアリーはというと、堂々とした態度で、階上のアペルに視線を飛ばしていた。
これには苦々しい顔を浮かべるアペルだったが、彼の背後の来賓席から、アペルが二の句を告げる前に声がかかった。
アペルは、後ろを振りかえると、そのままリングや観客席からは見えない位置に下がっていった。
そして、少しの間があった後、観客にその姿を晒した。
『協議の結果――後衛に対しての前衛からの物理攻撃は、禁止ではありません。ただし、引き続き後衛同士においては、いかなる戦闘も禁じます』
アペルの説明に、観客席から再度どよめきの声が上がる。
生徒たちはあずかり知らぬことだが、この判断は学園長からの鶴の一声であった。
ちらりとアペルが背後を振り返ると、来賓席で王城から来た来賓客と談笑している学園長の姿が目に入る。自分が学生であった時から学園長であるネクタル。少年と見まがうほどの幼い容姿の彼だが、学園の長という肩書に恥じない権力を有していた。
リングを取り囲む後衛陣からは、不満げな雰囲気が伝わってくるが、そこは貴族の通う学園。
それ以上は上位者に異を唱えることなく、再度攻撃が始まる。
前衛から後衛への物理攻撃が許可されたとは言えど、リングから約五メートル離れた距離にいる後衛に、前衛から攻撃を加えることは困難であり、仮にそもそも加えたところで、大局的にはあまり意味がない。
その結果、リング上には少し異質な光景が広がることとなった。
リング中央に密集して鎬を削る前衛陣に対して、雨あられのように魔法、土球が降り注ぐ。
奇妙なことにそれらのほとんどは、リング端に一人ポツンと佇むメアリーの上を攻撃が素通りしていく。時折、流れ玉を切り裂き、時に打ち返すメアリー。
土球を打ち返した時の命中率は百発百中で、彼女が打ち返すたびに、後衛陣が一人また一人と打ちのめされた。
「まだまだ行くよメアリー。特訓の成果!!」
「お前らこんなことしてたのかッ!?」
メアリーは、シトラスから投げられた土球を、他の後衛の競技者に打ち返し続ける。
他の後衛の競技者からは、苦々しい顔を向けられるが当人たちは知らん顔。
つい先ほどアペルの説明で、後衛同士の戦闘が禁止であることを改めて明言されたため、彼らは妨害することもできない。
「シトといると明日からの学園生活が楽しみで仕方ないよ、ほんと」
ミュールは遠い目をしながら、楽しそうに土球をメアリーに投げ込むシトラスを、呆れたように笑う。
観客席からリングを囲む後衛陣を見渡すと、シトラスが明らかにヘイトを買っているのが、否、現在進行形で買い続けていたのがわかった。
諦観を漂わせるミュールの視線の先で、楽しそうにぽんぽんと土球を投げ続けるシトラス。
やがて、これまでの組と同じように後衛の魔力切れが始まり、試合の主体が前衛から後衛に移る。
しかし、そこからはさらにメアリーの独壇場であった。
彼女は踵を返すと、固まっている集団の懐に飛び込むと木刀を急所に叩き込む。
鈍い音を立てて倒れこむ生徒たち。男女のべつおかまいなしだ。その中で飛来する魔法は他の生徒を陰にして凌ぐ。徐々に上がっていく彼女の口角。
観客席も彼女の
剣だけではなく、手足を使った搦め手。さらに相手の急所を容赦なく狙う、相手を盾にする非情さ。幼さの残る美少女然とした容姿から繰り出されるのは粗野で残虐な喧嘩殺法。それは貴族の通う学園とはとうてい思えない手法であった。
効率性を求めて、急所を的確に貫いていくが、魔法攻撃ではないので、胸に付けたブローチは反応しない。
また、気も失っていないのでリング外に緊急退避する機能は発揮されない。さりとて痛みでその場から動けず。そんな生徒たちのうめき声と泣き声が、時間と共にリングを埋めていく。
リング上に残っていた生徒たちも、修羅場の経験が少ないものから徐々に恐慌状態に陥る。
やがて、一人の生徒が叫びながらリング上から飛び降りたのを皮切りに、残っていたほとんどの前衛がリング上から逃げ出した。
そして、あっという間にリング上は数名を残すことになった。
「お下がりくださいボルス様ッ!! ここは我々がッ!!」
最後に残った数名は、徒党を組んでメアリーに突撃するも、あっという間に無力化される。
ここまで残った生徒たちは決して弱いわけではない。ただ、メアリーが強すぎた。
メアリーは流れるようにボルト呼ばれた最後の一人に剣を振りかざした。これで終わりと――。
だが、そうはならなかった。
メアリーの剣をはじき返し、返す刀でその顔を狙う。
間一髪で上体を反らしたメアリーであったが、その崩れた体勢までも利用して、足技を逆に相手の顔に叩き込む。しかし、それを相手は筋肉隆々たる腕で受け止め、むしろ力技で押し返した。
最後の一人――彼こそが西の四門、ジュネヴァシュタイン家が嫡子、ボルス・ジュネヴァシュタイン――は、青髪碧眼で隆々たる筋肉を全身に身に着けた大丈夫。
体格に見合う精悍な顔つきだが、よく見ると十二分に幼さをその表情に残している。肌の張りも若々しい。
メアリーの口は、ここにきて明確に弧を描いた。
――なぁんだ。いるじゃない。切りごたえのありそうなのが。
外野で教師が何か言っているが、もはやどうでもいい。目の前にいる肉を切りたい。どうやって切り刻もうか。やはり、最後は首か。足はダメだ。楽しめなくなる。腕なんてもってのほかだ。闘争だ。闘争こそが快楽だ。あゝ、楽しい。楽しいなゝ――
「それまでッ!!」
リング上の前衛が二人となったので、アペルが試合の終了宣言を行うが、リングの様子がおかしい。
メアリーが腰を落とすと、ここにきて初めて構えらしい構えをとった。
体を半身にずらすと、足を大きく開き、クラウチングスタートのように大きく上半身を伏せる。しかし、視線はなおも相手を凝視している。アペルが慌てて静止の声を掛けるが一瞥もくれない。
彼女の踵が浮き上がり、そのつま先に力が込められるのが分かった。
ここにきて、メアリーの戦意を感じ取った各所に配置されていた教師陣が、強制的に彼女の無力化を図る。
試合進行はアペルが行うが、他の教師陣はリング上で気を失った生徒退避。また、必要以上に魔法の余波が生じた際に、周囲に及ばないように監督など、闘技場内外の様々なところに配置されていた。
そのうちの一人の教師が後で語ったのは、この時のメアリーがまるで突然消えたように感じた、ということである。
教師が静止のために繰り出した魔法が、メアリーが構えた場所に着弾する頃には、彼女は既にそこにはいなかった。
彼我の差を瞬く間に詰める。
まだリング上には意識のあるメアリーの被害者が数多くいるため、範囲魔法の使用を躊躇う教師陣。
カーヴェア学園の教師の中には実践に優れた教師も多く、彼女の進路を予測して魔法を放つが、尋常じゃない俊敏性でそれらをことごとく躱すメアリー。
ボルスも、落ち着き払った様子で腰を落とし、半身に構えて両手で握りしめた木刀を心臓の前に構えて迎え撃つ姿勢を見せている。
教師陣の攻撃を回避するために、軌道を変えて迫りくるメアリーに対して、視線だけで動かしたタイミングを計る。もはや両者の間にはさして距離はない。
ボルスの木刀を握りしめた手にいっそう力がこもる。集中しきった彼にとって観客から上がる悲鳴はもはや他人事である。彼もまたある種の
視線が交差する。
お互いの眼に称えるは歓喜。メアリーは遠心力を使った下方から地面を這うよう一撃を。ボルスは体格を活かした上方から叩きのめすかのような一撃を。
そして――。
しかし、その剣が交差することはなかった。
メアリーが驚くべき俊敏性をもって、飛び退くように後ろに下がったからである。ボルスの剣は空を切る。
「メアリー」
なおも戦意を隠せない様子のメアリーに、再びシトラスからの静止の声がかかった。
シトラスの声に体が固まるメアリー。
そこに教師陣の魔法が一斉に着弾した。
教師陣から放たれた魔法が、音を立ててリングを抉る。
モクモクと立ち込めた煙が去った後に残されたのは、ぼろぼろに倒れ伏すメアリーの姿。ややあって彼女の胸のブローチの機能が作動し、彼女はリングの外に強制転移させられることとなった。
なんともあっけない幕切れである。
ボルスも消化不良でどこか憮然とした様子であったが、ややあってリングの外、メアリーに静止の声をかけたシトラスに一瞥だけ送ると、踵を返し、リングを後にした。
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