32.大氷壁

リリスの大声に起こされたエイジたちが目にしたのは‥‥

蜃気楼の中に揺らいで見える街の影だった。


次第に街の輪郭が浮かび上がり、建物のシルエットがはっきりと見えるようになってきた。


「あれは‥‥ミラージュの街だわ!」


「え! どういうこと?‥いや、とにかく行ってみよう!」


一行はラクダワゴンを走らせる。



街は蜃気楼でも幻影でもなく、確かに存在していた。


近付くと街の門が開かれ、大勢の冒険者が臨戦態勢を取っている。


先頭に立つのは‥炎の覇王フレイムタイラントと呼ばれた男、フェルドだ。


リリスが歓喜の声を上げる。

「フェルド! 無事だったのね! でもどうして? どういうカラクリなの?」


「お前、リリスの嬢ちゃんか!? よりによってこんな時に‥こんなとこで何やってんだよ!」フェルドは相当焦っている。


「何って‥‥あれ? 何だっけ?」エイジの方を振り返る。


エイジは無邪気な笑みを浮かべて「気ままに旅してる途中だよ」と答える。


「そうそう! 旅の途中だったわ。あなたたちこそ、そんな大人数で‥あ、アビスね? あのドラゴン」


「そうだよ! あのクレーターん中にいただろ? とんでもねぇ化け物が‥。俺たちぁ、これから決死の覚悟で‥」「倒してきたわよ? あたしたちが」


エイジはナイトウとリリスに聴こえるように小声で伝える。

「(おい、ナイトウ、あのドラゴンはお前とリリスで倒したことにしてくれよ)」

リリスはエイジに振り返りウインクして『わかった』と合図を送る。

その様子を見て、ナイトウも無言でうなずいた。


フェルドは信じ切れずに目を白黒させている。

「んなバカな!! お前ら‥‥子どもやメイドまで連れて‥アビスだぞ? あの化け物を倒したってのか!?」


「疑うなら見てきなさいよ。穴の底に死体があるから」


・・・フェルドは数人の冒険者を連れて、クレーターを確認しに行って戻ってきた・・・


「はぁ、はぁ、、ほ・ほんとに死んでやがったぜ‥あの化け物が‥‥」


「でしょ~? ここにおわすは、異世界からの転生者、ナイトウ様なのです。お強いのですよぉー」リリスがナイトウに向かって手の平をキラキラさせる。


「ま・まぁ、光の守護者たるこの僕がちょっとその気になれば? あの程度の火トカゲなんて、フッ」キョドりながらも調子にのるナイトウ。



詳しい話はギルドホールでということにして、一行は移動した。


フェルドは恥ずかしそうな顔で語りだす。

「結局今回も、フロスに助けられちまったんだ。あの化け物‥アビスが迫ってきた時ぁ、正直、もうダメだと諦めかけたんだ。そん時、フロスが仕掛けた魔法が発動して街全体が蜃気楼に覆われた。で‥向うに幻影の街を出現させたんだよ。アビスはまんまと幻影の方に向かってったから、俺もテキトーに相手してよ‥ヤツが大技ぶちかまそうとしたタイミングで逃げてきたのよ。だが、夜が明ける頃には、幻影魔法も解けかかってきたんで‥‥こいつらと覚悟決めてたってワケだ」


リリスは腕を組みながらうなずいた。

「なるほどねぇ~。流石は『氷結のフローズン』ね。ちゃんと先を見据えて準備していてくれるなんて」


エイジも感心したように笑みを浮かべた。


そこへギルドマスターのハーディンが顔を出す。

「リリスさん、ご無沙汰ですね。本部とヴァレンシアに連絡を入れたよ。心配をかけてしまった‥。フローズンの幻影魔法が発動している間は、遠話が使えなかったんだ。して、そちらの方々は?」


リリスはエイジたちを紹介した。ナイトウは『異世界からの転生者』として各ギルド支部まで知れ渡っていた。


「なるほど。それで、この大陸を旅して巡っているのか。最近じゃアビスなんて怪物も出現するから、気をつけないとね。しばらくはここに滞在するのかい?」


「そうねー‥エイジ、どうする?」

「街を出たらー‥また何日も砂漠の旅だろ? 退屈だからなぁー‥しばらくこの街を拠点に、何かしよう。ダンジョンとか遺跡とか、あるよね?」子どもっぽさ全開のエイジ。


フェルドが額に手を当てて軽快に笑いだす。

「ははは! 子どもは無邪気で良いや! あーっはっはっ!」


ギルドホールにいた冒険者たちも釣られたように笑いだす。

アビスの脅威・絶望から解放され、安堵感で満たされている彼らはいつまでも大声で笑い続けた。



それから数日間、エイジたちはミラージュ近郊のダンジョンや遺跡を探索して過ごした。



そんなある日───。


「ジー、メイ、ボクたちの家が‥‥」エイジは何かを感じ取っていた。


執事とメイドも意識を集中する。

「‥やや! これは確かに‥何としたことか‥‥」

「防護フィールドが常時発動状態にありますね」


「(それだけじゃないけど‥まぁいいや)」エイジは何かに気づいていた。


エイジたちの屋敷は神の力で護られており、決して突破されることはない。

巷では『封印されし謎の館』などと呼ばれていた。

その防護フィールドかみのちからが常に発動していることを感じとったのだ。


「こんなことは初めてだね。うーん‥(気になることもあるし)‥一度帰ってみようか」


「それならば、わたくしが、ひとっ走り‥‥ぃぇ、そうですな。ここからですと、二ヵ月~三ヵ月の旅になりますが、それも一興ですかな」


エイジはリリスに事情を説明して、一旦帰ることにした。


早速旅支度を始めると、ギルドの方がざわついているのに気づいた。


話を聴いてみると、グリーンウッドの村から『西の森林の奥に氷の壁が出現した』と連絡を受けたそうな‥。

『氷の壁』といえば、ここでは氷結のフローズンの十八番だ。彼女に何かあったのでは‥とザワついているところだった。


グリーンウッドはエイジの屋敷のすぐ近くにあった村だ。


「あたしたち、次の行先をグリーンウッドに決めたところだったのよ。道すがらフローズンのことも探してみるわ。‥いいわよね? エイジ」


「ボクは構わないよ。ボクの用事は急がないから」


その話を聴いていたフェルドが、真剣な顔で「俺も連れていってくれねーか」と言い出した。

「フロスの身に何かあったのだとしたら、今度は俺が助ける番だ。頼む」


リリスはエイジの顔色をうかがいながら、エイジが頷いたのを確認して答える。

「あたしたちはー‥構わないけど、この街の防衛は大丈夫なの? またアビスの襲撃があったら‥」


ギルドマスターのハーディンは険しい顔で腕を組み考え込む。

「‥‥正直、今の状況でフェルドも不在となると街は完全に手薄になってしまうが、他の冒険者たちだって、ランクAの精鋭が揃っているんだ。フェルドとフローズンのお陰でいつも出番は少ないけどね」


ハーディンはフェルドの肩に手を当てて言った。

「フローズンの近況と荒野の確認、頼めるか?」


フェルドはしっかりと頷く。「ああ、任せてくれ。‥ありがとう、ハーディン」



翌日───。



一行はミラージュをあとにした。


「‥‥で? なんでナイトウも一緒なんだよ‥‥」エイジはあからさまに嫌そうな顔を向ける。


「僕だけ仲間外れにしないでくれよぉ。役に立ってみせるさ。僕の実力はまだ見せたことは無いけどね」

確かに、今のこいつがどれだけ戦えるのかは知らない。が、『異世界からの転生者』として、女神とやらに授かった力は本物だ。

万が一のときには、囮くらいにはなるだろう‥。エイジはそんなことを考えていた。


リリスが自信満々に言う。

「ふふん、ナイトウが瞬間移動できるあのネックレス、あれをミラージュのギルマスに預けてきたわ。もしミラージュが危機的状況になったときには飛んでもらうわよ」


しかしナイトウはニヤリと笑い‥「『その』ネックレスのことかな?」とリリスの首元を指さす。


見ると、ミラージュのギルマスに預けたはずのネックレスが、リリスの首に下がっていた。

「ぇえーーー! なんで!? あたし確かに‥‥」


「ふふふっ。そのマジックアイテムは相手を選ぶのさ。原理は知らないけど‥このメンバーの中では、リリスさんにしか適合しないみたいだよ」ナイトウ‥恐るべし。


「まるで呪いのアイテムね‥‥。ぇ? 待って‥っていうことは、あたしはこれから先ずーっと、どこにいても、突然ナイトウが現れる恐怖と対峙しなきゃいけないっていうの!? 嫌よ! そんなのー‥」

リリスは事の重大さに気付いて心底嫌がっている...。

「エイジー‥なんとかしてよぉー‥」流石にエイジに泣き付くが、エイジは「まぁ、まぁ、そのうちね」と苦笑いを見せた。



砂漠の旅は半月ほど続き、砂漠の最北端の街で馬車に乗り換え、さらに北を目指す。


やがて北の荒野が近づいてくると、景色の異様さに気付いた。


雪をかぶった山脈‥にしては真っ直ぐ水平過ぎるそれは、紛れもなく『氷の壁』だ。


『それ』が視界に入るようになってから、麓まで辿り着くのに数日を要した。


あまりにも巨大な氷の壁‥‥大氷壁。


どこまでも高く、どこまでも続く長い壁に、一行は圧倒される。


「こいつぁ‥‥間違いねぇ。フロスの壁だ‥。しかし、こんな巨大なのは見たことねぇぜ‥‥。もう山‥山脈じゃねーか‥」


エイジは氷の壁をコンコンと叩いたり、透明なその奥を覗いたりしている。

「いったい、どうしてこんな大きな壁を‥‥ぁ、北の荒野の浸食を塞き止めるため?とか‥」


リリスは概ね同意しつつも信じられないといった表情を浮かべる。

「それにしたって、こんな巨大な壁を生み出すほどの魔力‥‥彼女は無事なのかしら‥‥」


みんなで壁を見上げて佇む。


「よし! ちょっと上まで行って、向うがどうなっているのか見てくるよ」ナイトウが唐突に言い出した。


「この壁を、ナイトウが登れるのかい?」エイジは一抹の不安を抱きつつ確認する。「(こいつまた‥女神の力とか言って何かやらかすんじゃ‥)」


「大丈夫。任せて!」ナイトウはそう言うと、バヒューー‥ンと天高く飛び上がった。


みんな、小さくなっていくナイトウを見上げて無言で佇むしかなかった‥‥。


しばらくして、目の前に真っ黒い球体が出現し、その中からナイトウが姿を現す。「只今ー!」

例の瞬間移動だ‥‥。


エイジは複雑な心境を必死で抑える。「(ボクだって、やろうと思えばそんなことくらい余裕さ。でもやらないけどね。なんでも出来ればいいってもんじゃないんだよ。不便なことを楽しまなくちゃ。そうさ。不便だからこそ人生は素晴らしい‥ブツブツ‥ブツブツ‥)」


「どうだった!? 上に何かあったのか? フロスは!」フェルドが前のめりで問い詰める。


「いやー‥もの凄い壮大な景色が広がっていたよ。壁の向うは、なんだか赤い霧に覆われていてよく見えなかったけど、この氷の壁はずーっとずーーっと続いていて‥先が見えないほど続いているんだ。上には誰もいなかったよ。少なくとも、見える範囲にはね」


ガクッと肩を落とすフェルド。


「とにかく‥壁にそって北上してみましょう。きっとこの壁がグリーンウッドの方まで続いているのよ。エイジの家もそっちの方なのよね?」


みんなリリスの提案に賛同して歩き始めた。


果てしなく続く大氷壁に沿って‥‥。

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