ep.25 雨の日にまつわる探し物
パニーたちが外界に足を踏み入れてから、早くも一ヶ月が過ぎ去っていた。カフェの店番、農作業といった新たな日常にも徐々に身体が馴染んできた頃のこと。パニーとエイディはリムンでの期間限定メニューを考案するため、マクリスの推薦するカフェを訪れていた。そこは特にフルーツを贅沢に使ったタルトで名を馳せており、とりわけレモンタルトは絶品として知られている。パニーは迷わずそのレモンタルトを選び、エイディは店長のおすすめとして特に推されていたイチジクタルトを注文した。
「うわー! ねぇ、エイディ!すっごい、すごいね!」
「気持ちはわかるけどよー。落ち着けって」
「パティシエの情熱的美学を感じない?――香りも、うん、すっごくさわやか!――生地はー、うわっジンジャー生地じゃん。発想天才だわ。レモンの酸味も、ムースで包まれてて食べやすいし、ジャムなんて二層よ? 二層。めっちゃ凝ってて、なんていうかなー。酸味と甘味が戦って? 最後には手を取り合って平和が訪れた、そんな感じ!」
「――いや、最後どんな感想だよ。それ」
「昨日のテレビのまね。結構上手じゃない? ほら、お昼に見たやつ」
「あー、あれか、あの斬新食レポね。まー確かに、語彙力で押し切ってたよな」
「ね? ほら、エイディもー」
「んっ――おぉぉぉぉ!これはまさに果実の祝福! 口の中で果肉が融解し、果汁が奔流する! 押し寄せる波に、ただ身を委ねる至福の時――」
「果汁の奔流? なにそれ」
「――だなー、適当すぎた」
タルトが運ばれた瞬間から、視覚で美が紡がれる。ジンジャーの香りをまとった生地に、果実の溶け込むムース。甘味と酸味の二層に、最上層を彩る瑞々しいフルーツのスライス、それはまさに芸術だった。
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「はぁー、堪能したー! 俺の全感覚歓喜!」
「ほんとにねー!またこようね! 次は今月のおすすめってやつ食べてみたいなー!ウェナたちも誘ってさ!」
カフェを後にし、満足そうに帰路につくパニーとエイディ。だが、不意に背後から声がかかり、二人は振り返った。そこに立っていたのはリムンの常連である老婦人カルナ。いつもの穏やかな表情とは異なり、その顔にはどこか翳りが差していた。
「二人とも、こんにちは。少しいいかしら?」
「――カルナさん! こんにちは!」
「こんにちは。パニー。エイディも」
「こんにちは! どうされたんですか?」
「二人とも、ここ数日ココを見かけなかった?」
"ココ"とは、リムン周辺で気ままに暮らす黒猫で、住民たちに愛されている存在だった。人々は”ココ”と親しみを込めて呼び、その姿に笑顔を見せていた。パニーたちも、この一ヶ月で幾度かその艶やかな黒い毛並みを目にしていた。
「ほら、昨日は大雨だったでしょう? 普段なら雨宿りに来るはずなのに、姿を見せなくてね。気ままに遊び歩く子だから、最初はさほど心配していなかったんだけどね。周りに聞いてみたら、この三日間、誰もココを見かけていないっていうんだもの――」
カルナは胸元でぎゅっと手を握りしめ、彼女の全身が不安を伝えていた。こうやって近所の住民や知り合いに声をかけ、ココの行方を尋ねているという。
「そういわれると――私たちも、ここ数日見てないです、よね?」
「確かに、俺も見てないな」
「そう。どこに行ったのかしら――ありがとうね。もし見かけたら連絡をくれるとうれしいわ」
「ねぇ、エイディいいよね?」
「おう」
「??」
パニーとエイディは視線で会話をし、今日の予定が変更となった。
「私たちも探すの手伝います!」
「――まぁ、いいの? 予定とかあったんじゃない?」
「今日じゃなきゃいけない予定じゃないし、俺たちもココ、心配なんで」
「まぁ、優しいのね。ありがとう。助かるわ」
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カルナから託されたココの愛用毛布の匂いを頼りに、エイディとパニーは、捜索を進めていた。風の流れ、地面に残る痕跡、それらに意識を集中させ何か掴めるかと行動していたが、やはり昨夜の激しい雨が洗い流してしまったらしい。エイディの鼻をくすぐるのは湿った土と草の匂いだけで、ココの手がかりは一向に掴めない。
「――どう?」
「んー、やっぱダメだな。手がかりなし」
「そっかぁ――あ! ねぇ、あの木に登ってみたら? 上から見渡すの!――誰か来ないか私、見張ってるからさ!」
エイディはパニーに倣って素早く周囲の人影を確認すると、地面を蹴り、一気に幹へ飛びついた。軽やかに枝から枝へと移り、あっという間に頂上へと達する。偶然にも外界を高所から見下ろすことになった彼は、眼下に広がる建物と人々、故郷では決して目にすることのなかったその光景に、思わず見入ってしまった。
「どうー? 見つかりそうー?」
「――あ、やべっ。ちょっと待って」
パニーの声にエイディは意識を引き戻され、再び捜索に集中し直す。
「――あの猫はー、ちがう――こっちは――いや、違うな――あっちは――似てっけど違うか――うーん、いねぇぇーなぁぁー」
広がる風景を見渡し、エイディは耳を澄ませた。風のさざめきに紛れて届く様々な声。その中に"猫"、"降りてきて"という言葉を拾い、彼はすぐにその方向へと目を凝らした。遥か遠くの木の高みに、一匹の黒猫が身を縮めているのがはっきりと見て取れる。間違いない、あれはココだ。彼は今にも折れそうな細い枝にしがみつき、不安げな瞳で地面を見下ろしていた。
「――まじか、本当に見つけたよ俺。すげぇ――パニー! ココいた!」
「――本当!? よかった――」
木の根元では、先ほど声を上げていた数人の子どもたちがココを助けようと奮闘していた。手を伸ばして何とか木に登ろうとする子、足場となり支える子、声を張り上げて応援する子、不安げに見上げている子――それぞれのひたむきな思いが伝わってくる。ふと視線を凝らすと、途中の枝にしがみつき、必死にバランスを保ちながら不安げな瞳で地面を見下ろしている子どもの姿が目に入った。
「っと。木の上から降りれなくなってるっぽいわ、ココとココっぽい子ども」
「あ、おかえりって――えー!?ってココっぽい子どもって誰」
「わからん。つーわけで、パニー、俺先に行くから」
「わかった! ココは任せる! 私も必要?」
「んー? ココの様子次第だけど、カルナさんの家に直行、かな。 ま、何かあれば連絡する!」
「了解! いってらっしゃーい!」
木から軽やかに降り立ったエイディは、パニーと短く言葉を交わすとすぐさま駆け出した。目指すはココと子どもたちが待つ木。地面を力強く蹴り、疾風のごとく加速する。その圧倒的な速度に、歩道脇で談笑していた人々は思わず息を呑み、驚愕の表情を浮かべ、理解する間もなく、呆然と立ち尽くす。
「え? 今のなんっ――?」
「――いや、速っ!」
---
「――ココ!!」
「ニャー」
「はい、カルナさん。少しだけ怪我してましたが、応急処置は済んでます。今は安静にするように、とのことです」
「本当にありがとうね――助かったわ」
ココと、ココっぽい子どもの救出を無事に果たしたエイディ。子どもたちから寄せられる感謝の言葉と、尊敬の眼差しを背に感じながら、彼はココを腕に抱き、万が一に備え、ココを診てくれるという動物病院へと急行した。
ココは確かに衰弱していたものの、幸いにも深刻な外傷はなく、応急処置が施された後、しばらくは安静にするようにとの指示を受け静養することとなったのだった。
「本当に、本当にありがとうね。二人とも。もう、本当に心配したのよ。ココ」
「ニャー」
「それにしてもエイディはとっても足が速いのねぇ。驚いたわ」
「――あー。そうなんです。俺、足が速すぎて」
「そう、足が速すぎるのね。将来が楽しみね。そうだわ、二人とも。この後、まだ時間あるかしら?お礼をしたいわ。お夕食でも一緒にどうかしら?」
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「ひどい言いがかりだわ。まったく。彼の奥様が犯人だなんて、ありえないわ」
「彼女をご存じなんですか?」
「――あぁ、そうよね。あなたたちは最近この町に引っ越してきたばかりだったわね――私自身、奥様との直接の面識はないの。でもお亡くなりになったヴォリック・アエルソーンさん。彼はこの町にも名声が届くくらい有名な格闘家だったのよ。何年前だったかしら――お子さんを病気で亡くされて――そのすぐあとだったかしら、彼は引退されたの――」
「――そう、だったんですね」
「引退して久しいとはいえ、元格闘家。あの体格と力強さは並みじゃない。そんな彼を傷一つつけずに殺せるのは薬物で――相手に警戒させずに飲ませることができるのは――顔見知りの犯行だ、って疑いたくなる理由はわかるわ――けど」
「――あれ、でも、確か薬物検査では何も検出されなかったって言ってませんでしたっけ?」
「えぇ、でも検出されない薬物を使ったのではないかと言われているのよ――けどね、お子さんを亡くして悲しみに暮れる中、彼と奥様はね、他の病気の子どもたちを支えるプロジェクトを立ち上げたのよ。関連施設に寄付なども積極的に行っていたとも聞いたわ。本当に、二人とも人格者としても有名だったのよ」
カルナの家で夕食を囲んでいたパニーとエイディの耳に、テレビから流れる連続遺体遺棄事件の報道が飛び込んできた。画面には、被害者の妻を含む身内に疑惑の目が向けられていると淡々と語るコメンテーターの姿が映し出され、その軽薄にも聞こえる言葉にカルナは眉をひそめ、怒りを瞳に宿らせた。
「あぁ、ごめんなさいね。つい。それで、何か聞きたいことがあるのよね?」
「――はい、この人に、――っても、イラストなんですけど、黄色い髪で灰色の眼を持つ三十代くらいの女性、ご存じないですか?」
パニーはそっと手元の紙を広げ、テウシィーが描いた絵のコピーを差し出した。幼い頃に彼が描いたイラストをもとに、記憶の断片を頼りに再び描き直してもらったものだ。
「――そうねぇ。黄色い髪で灰色の眼ねぇ。黄色い髪の知人は何人かいるけれど、瞳の色はどうだったかしら――他の特徴はどうかしら?」
「いえ、これ以上はわからなくて――」
「あら、そうなのね。もう少し詳しく伺ってもいいかしら? この方とはどういったご関係なの?」
「テウシィーが――彼が幼い頃に出会った女性で、彼女からいただいたものがあって――それが私たちが探している人の持ち物に似ているんです――それで――何か手がかりになるかと思って――」
「まぁ、そうだったの――じゃぁ、もしかしてあなたたちは人探しのためにこの町へいらしたの?」
「――はい、そういう訳なんです」
「そうだったのね――この絵、一枚いただいてもかまわないかしら? 特徴が一致する人に会えたら、連絡するようにするわ」
「わぁ! ありがとうございます!」
---
「さっきの、どう思う?」
「――どうって?」
「さっきの、花棺事件について」
「花棺?」
「そ、なんかあの事件、『花棺』事件って通称になったらしいよ。遺体が花に包まれて横たえられて見つかったってテレビで言ってたろ? それが花でできた棺のようだってことで」
「そうなんだ――」
「――で、どう思う?」
「私は――」
カルナの家を後にし、帰路に就く中で、ふとエイディが言葉を漏らした。その問いかけにパニーは眉間に皺を寄せ、言葉少なに考えを巡らせた。
「わりぃ、やっぱ今のなし。質問が意地悪だった――パニーさ、ここ一ヶ月色々と調べてっけど、こういう事件には、積極的に手、つけてないよな?」
「――エイディは調べてるの?」
「まあ、一応な。どこに手がかりが隠されてるかわかんねぇからな、手あたり次第」
「そう――私――事件の数が想像以上に多くて、正直尻込みしてるんだと、思う。もし、こんな事件が私たちが追っていることと何らかの形で繋がっていたら――そう考えると怖くて――」
エイディはちらりとパニーに目をやったが、それ以上何も言わず、沈黙が二人の間に生まれた。
「――もちろん、私だってちゃんと調べなきゃってわかってるの。ここに来た理由だし、情報を集めることが今できることなんだから――でも、もしも万が一――なんか、ごめん」
「言っとっけど、別に謝ってほしいわけじゃないからな? ただ、パニーが何を思ってるのか知りたかったんだよ――これがさ、じいちゃんたちが言ってた『外界は危険だー!』ってやつなんだろうなー。まさにその通りでしたってわけだ」
「私にとっては想像以上だった」
「――まあ、まだ一ヶ月しか経ってないんだし、もともと長期戦覚悟だったろ? 焦る必要ないだろ」
「ありがとう、エイディ。ついてきてくれて心強い。これも想像以上」
「――だろ?」
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