ep.11 "幻贖の力"と海の民②
一部の宴が幕を閉じ、夕陽が西に傾き始める頃、皆は海岸沿いに集っていた。和らかな潮風が吹き抜け、海の薫風が一層濃厚に漂う。
そんな中、パニーとロロはペオの手を取り、中央へと導いていた。彼は少し緊張した面持ちで、二人に連れられて足を進めた。視線の先には母が立っており、その視線に応えるようにペオも母を見つめる。
ついに、その時が訪れようとしていた。
「――みんな、準備はいいかしら?」
「うん!私は、準備万端。いつでもいいよ」
「私も!」
「私も、大丈夫」
「ぼくも!」
「私もだよ」
「――みんな、行くわよ」
海の民たちは、次々と水の中へと滑り込んでいった。アイガが水面を切り開くと、後に続く者たちも波紋に誘われるように、海へと身を投じていった。
「――ロロ、もう少し右に寄ってちょうだい」
「わかった、えーっと、このくらい?」
「ええ、いいわ――パニーは少し後ろに下がって。ええ、そのくらい。ちょうどいいわ――ええ。いきましょう」
海の民たちは円陣を組み、アイガの合図で両手を広げた。海面は次第に凍り付き、手から放たれる力が結集し、大きな円形の氷が海面に出現した。
「――えぇ、強度も問題なさそうね――完成よ。みんな、いいわ!」
完成した氷のサークルの上を、ペオに続いて風の民と土の民が、次々と歩を進め始める。
「私たちは、先に行ってるよ」
「うん! お願いね!」
「――ペオも、準備はいい? 大丈夫?――緊張してる?」
「うん、ちょっとだけ――でも、うん。大丈夫!」
「そう?――待ってもいいのよ? まだ時間はあるし」
「大丈夫だってば! もう平気!――じゃぁ、みんな!行ってくるね!またあと――」
「――ちょーっと、待って」
「――うわっ!」
ペオがそう言って深く息を吸い込み、勢いよく海へと飛び込もうとした瞬間、ケイが彼を呼び止めた。ペオはバランスを失い、口を開けたまま振り返った。一瞬の戸惑いを見せながらも、視線を合わせるために顔を上げると、ケイは口角を上げて、嬉々とした表情を浮かべていた。
「な、なんだよー。びっくりしたじゃんかー」
「いや、なぁ。せっかくだしさ――意気込み、残してってよ。どうせ僕たちはここで待つしかないんだしさ。――な?ペオ、いいだろ?」
「――お!それいいな! 今日という日が、皆の心に留まるようにさ。かわいい、かわいいペオの、だいっじな瞬間に俺たち立ち会えないなんて、すっごくかわいそうだろ?な?」
「――えー、なにそれ。いきなりだなー」
「ほら、皆の顔見てみろよ。かわいい、かわいいペオが大好きなんだよ」
「――うーん、そうだなー」
ケイと、エイディからの突然の振りに、ペオはどう返答すべきか逡巡した。二人の言葉の真意を解することはできなかったが、ペオは頷き、氷上で待つ皆に向けて言葉を残すことにした。
「――えっーと、今日は、皆、本当にありがとう!――僕のためにこんなに祝ってもらえて、とっても嬉しくて――最初のショーもほんっとうに感動した! 皆が作ってくれたご飯もすっごくおいしかった! ダンスも音楽も楽しかった!目も口も耳も全部、僕の全身が喜んでる!――それで、えっと」
口を開きかけるが、すぐには言葉が紡げない。ペオの視線は一瞬、宙をさまよい、何を伝えるべきか思索した。
「――僕は、一番年下だから――だから、まだ子供だからって――頼りないかもしれないけど――でも」
少し口を閉じ、再び開きながら言葉を探すペオ。目を伏せたり、エイディとケイの顔を交互に見上げたりと、視線は彷徨う。たどたどしく、それでいて真摯な演説が続いた。
「僕――僕はね――この力を身に着けて、早く――どこまでも泳げるようになりたいんだ――冷気の調整も上手くなって、大きくなって、強くなって――それで――」
再び目を伏せ、まるで海の中に答えを探し求めるように足元を見つめる。視界の端で
「――ここを、今よりも、もっと、広い世界にするんだ!――シェルトたちが、自由に過ごせる世界にする!――もっと、もっとみんなが楽しく過ごせる。そんな世界にするんだ!――僕はみんなが大好きだから!――それが僕の、決意だ!」
無意識に心の内を紡ぐ。思わぬ大きく宣言に、ふと我に返り、ペオは些か居心地悪くなり、顔が紅潮する。皆の視線から逃れるように、大きく息を吸い込み、勢いよく海へと飛び込んだ。
「あー、おい! ペオ!」
「――言い逃げだな」
「あいつも、言ってくれるな」
「――あぁ、なんかパニーに似てきたな」
「アイガがここにいたら、腰抜かしてる」
「――たしかに」
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蒼く無限に広がる自由な世界。生物たちが
「――ねぇ、ロロ。ペオってさ、結構いろんなこと考えてたんだね。なんかさー、大きくなったなーってしみじみしちゃった」
「うん。私も全然知らなかっから、ほんとびっくりした――でもさ、誰かさんにそっくりだよね」
「えー? 誰の事?」
エムスタは先頭に立ち、
「――ペオ、おいで」
やがて、彼らの前方にヌプトスとアイガが現れ、二人はペオに向かって手を差し伸べた。ペオがロディから離れ、二人の方へ進むと、視線の先にはスコットリスたちが待ち受け、その中央にはシェルトが控えていた。
「――ペオ、いってらっしゃい」
心拍が一際高鳴った。瞳に映るシェルトの姿が揺らめき、息は次第に苦しくなり、もはや猶予はない。ペオは軽く頷き、一歩前へ進んだ。シェルトもまた近づき、二人の呼吸が徐々に共鳴していく。ペオが瞼を閉じ、二人の額が触れ合った瞬間、淡い光の糸が現れた。糸は揺れながら二人を包み込み、絡み合うように纏い始めた。やがてペオとシェルトの全身が糸に包まれ、その姿を周りから隠す。波打つように広がる糸は、海中に現れた新たなる太陽の如く、眩い輝きを放った。光が薄れ、ペオとシェルトの姿が再び鮮明に浮かび上がると、二人を繋いでいた糸がゆっくりと解けていった。
ペオはそっと喉元に手を当て、先ほどまで感じていた息苦しさが消失したことに気づいた。手や足を動かしてみると、ここに来る前よりも遥かに抵抗が減じていた。"幻贖の力"をこの身に受けた、何よりの証だった。
「シェルト――ありがとう!」
ペオは思わず笑みがこぼれ、シェルトに抱きついた。抱きしめながら、ふと、今、自分が自然に声を発したことに気付き、驚きのままに母を見た。今日は驚きの連続だ。
「ママ! ママ!ぼく――」
全身から喜びを発しているペオの声を聞いた瞬間、思わずエムスタの瞳に涙が溢れた。ヌプトスもアイガも同じような表情で、三人の涙は真珠となって漂い始めた。
こうして、"幻贖の力"を持つ海の民が、また一人、ここに誕生した。
---
「――では、ペオ。今度は我々からのプレゼントといこうか」
「――プレゼント? まだあるの?」
「あぁ。たった一度きりだからね。見逃さないでおくれ」
「――わかった!」
ヌプトスが指を鳴らすや否や、海中の生物たちは一斉に呼応した。無数の光が放たれ、自然が織り成す宴が幕を開けた。海中が光彩と色彩で艶やかに彩られていく。
「うわぁぁぁぁ!――シェルト! ねぇ、シェルト見て!」
アイガが腕を広げると、周囲の発光したクラゲたちが優雅に舞い始めた。クラゲの体から放たれる蒼白い光が、水中を柔らかく照らし、幻想的な光景を作り出していく。クラゲたちはペオの前に集まり、光の道を編み上げ、回廊のようにペオを誘導していく。
「さぁ――ペオ、シェルトおいで!」
「すごい! 道になった!――シェルト、行こう!」
ペオとシェルトが回廊を進むと、パニーとロロが発光する魚たちと共に待っていた。輝きを放ちながら、舞踊のように泳ぎ、その動きに合わせて次々と変化していく。彼らの軌跡が海中に美しい花火を描き出し、夢幻の世界となった。
「うわぁぁぁぁ!――パニーもロロもすごいや!」
ペオとシェルトがその光景に見惚れていると、忽然としてロディが現れた。ロディは優雅に身をひるがえしつつ、ペオたちの周囲を旋回し始めた。次第に迅速さを増していき、水の渦が形成され、ついには周囲の様子が消え去った。
「――ロディ?」
「ペオ!!――手を取って!」
水の壁から再びロディが現れ、手を差し伸べた。ペオがその手を握ると、ロディは力強く引き寄せ、二人は水流に乗って勢いよく進んでいった。
「――って、ぎゃー! 待って待って!早い早い!怖い怖い!」
「あ、ごめん――速度落とす?――どう? まだ怖い?」
「だ、大丈夫――ほんとは、こ、怖くないもん」
視界が馴染むとともに、先ほど見逃していた鮮やかな光彩が、海の中で螺旋を描きながら広がっているのが明瞭となった。蒼の世界は、光の虹に彩られた華麗な景観に変じていた。
「うわぁぁぁぁ!――すごいね!」
「さっきからずーっと叫んでるよ――ま、お気に召したようでなにより」
「だって、ほんとに、すごいんだもん」
「まぁね。言葉が見つからないよね――ほんとにさ」
光と色の交響が織り成す海中のショーは、一層幽玄なものへと変じていた。光の筋が交錯し、織り成す模様が次第に複雑さを帯びていった。
「――ロディは、早くても怖くないの?」
「僕? 僕はもっと早くても全然平気」
「すごいや! 僕ももっと大きくなったら、ロディよりも早く泳げるようになるかな?」
「――ペオが今よりもっと早く泳げるようになってるってことは、僕も、もっともーっと早く泳げるようになってるからね」
「――いじわるだ。僕今日誕生日なのに」
「でた、誕生日カード。ずるいぞ」
光は水面を超え、夜空へと伸びていった。単なる美麗さにとどまらず、海中のすべての生命が一体となり、その調和が創り出した奇跡の瞬間であった。
「――なぁ、ペオ。もっと広くて、もっと自由で。それでいてもーっと楽しい世界にするんだろ?ここを」
「え!――あ、さっきのは――えっと――その」
「すっごくいいじゃん! 僕も協力するよ!」
「――へ? ロディが?」
「そ。僕が。頼りになるだろ? ペオに先越されちゃったけどさ。俺もずっと思ってたんだ――だから、これからさ。一緒に考えていこうな」
---
「終わったみたいだな」
「――ね。特に問題なさそうでよかった」
氷上の舞台から見守っていた者たちは、海中で展開される光の演舞を目の当たりにし、儀式が無事に終わったことを悟った。
「あーあ、俺も見てみたかったなー」
「――ねー! 今日だけは、海の民になりたいよね」
「わかるー」
「全部の民になりたくない?」
「めっちゃ贅沢じゃん」
「でも、わかるー」
「――あ! ねぇ、ねぇ、もう一度、踊らない?海がすっごく綺麗だし!」
「お、いいな」
「オーラー!なんか歌える?」
「歌う―! 何がいい?」
「海っぽい曲で!」
「えー何それ!――んーじゃぁ、あ!!あの曲!」
華麗なる光景を背景に、幕が降りるまで、氷上で本日二度目の宴が開始された。
---
「あ!帰ってきた!――って、ぎゃゃゃゃゃゃゃゃ」
「――きゃぁぁぁぁ!!」
「――うわぁぁぁぁ!!」
海面が再び静寂を取り戻し、光の余韻が幽かに漂う中、ペオとシェルトが突如勢いよく海面に姿を現した。巨大な水飛沫が弧を描いて舞い上がり、祝福のシャワーとなって降り注がれた。氷上の者たちは歓声と悲鳴を上げ、大騒ぎとなり、先ほどまでの余韻は一瞬にして掻き消えた。
「ペオ! どうだった!?」
「――あのね! 僕、僕!」
ペオの嬉しげな表情を垣間見た瞬間、皆一斉に儀式が滞りなく遂行されたことを察知した。海の民は、ヌプトス、アイガ、エムスタ、パニー、ロロ、ロディ、そして、本日正式に"幻贖の力"を手にしたペオ。彼への祝福は、もうしばらくの間、続くこととなった。
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