第5話 出世の呪い

 ラルフは新婚生活を満喫していた。


 今もローンを組んで建てたばかりの新居から、愛妻エルザの見送りの下、出勤するところである。


「じゃあ、行ってくるよ」


「……」


「どうしたんだい、エルザ? 浮かない顔をして」


「あなた。あの気味の悪い女とは本当に別れたんですか?」


「ああ、もちろんだよ」


「私、なんだか不安なんです。というのもあの女、フィオナは学院でも怪しげな研究に手を染めていて。なんでも呪いに関して研究していたとか。私、あの女に呪い殺されるんじゃないかと思って」


「大丈夫だよ、エルザ」


 ラルフは励ますようにエルザの前髪を撫でる。


「フィオナは実家でも爪弾きにされている厄介娘だ。後ろ盾になっていた父親も亡くなって、今ではこの街にいられなくなり、暗黒街で身をやつしているだろうさ」


「けど、不安です。私のこと逆恨みしているんじゃないでしょうか」


「大丈夫さ。もし、彼女が君に危害を加えようとしたら、この僕が必ず君を守る。あの怪しげな呪術を使う女を騎士の剣でひと刺しにしてやるさ」


「それならいいんです。ラルフ、愛してるわ」


「僕もだよ、エルザ」


 ラルフはエルザを抱きしめてキスをした。




 ラルフは職場である騎士団の駐屯所に小走りで向かっていた。


 エルザに構いすぎたせいで遅刻しそうになったのだ。


(やれやれ。エルザにも困ったもんだな)


 そうして急いでいると、すぐ脇を馬に乗って颯爽と街路を駆け抜けていく男がいた。


 その煌びやかな衣装から侍従騎士の男だと思われる。


 本来、この禁域においては騎士といえども馬に乗ること、帯剣することを禁じられている。


 もしそれをすれば、反逆とみなされる。


 だが、騎士団長以上の身分ともなれば、特別に禁域内での乗馬、帯剣も許されるというわけだ。


 ラルフは馬に跨って颯爽と城に向かっていく男を苦々しげに眺めた。


(ふん。いずれは俺も侍従騎士になってやるさ)


 そんなことを考えていると、また馬乗りの男が隣を駆け抜けていく。


(今日はやけに多いな)


 さりげなく馬に乗っている男に目を配ると、そこには意外な人物がいた。


 アルフレッド・ウィズだった。


 ラルフはギョッとして、アルのことを凝視する。


 まるで幽霊でも見たかのような面持ちだった。


 アルとおぼしき人物は、馬を軽快に飛ばして領主の館へと入っていった。




 どうにか定刻ギリギリに駐屯所にたどり着いたラルフは、所長に白い目を向けられていた。


「おそいぞ。ラルフ」


「すみません」


「今日は新任の騎士団長が着任される日だ。初日から慌ただしくしいてはこの駐屯所全体の印象が悪くなってしまう。気を引き締めてかかれよ」


 ラルフは気心の知れた同僚と小声で話し合う。


「まったく。なんだっていうんだよ。いきなり団長が変わるだなんて」


「領主様による突然の人事だそうだ。なんでも本来、40歳以上でなければ就任できない騎士団長に特例で就任することになったとか」


「縁故人事かよ。やだねぇ」


「全員、静かにしろ。新しい騎士団長様が入ってこられるぞ。敬礼!」


 騎士達は一同敬礼する。


 しかし、入ってきた人物を見て、ラルフは唖然とする。


「皆さん、初めまして。新しくこのゼール区騎士団長となりましたアルフレッド・ウィズです。以降、よろしくお願いします」


(バカな。なぜ、アルが騎士団長に?)


 動揺したのはアルだけではなかった。


 新任の挨拶が終わった後、騎士達はめいめいにこの若すぎる騎士団長の就任について噂しあった。


「いったいどういうことだ?」


「あのアルという男、確か反逆の疑いで左遷された騎士では?」


「領主様が街の外で盗賊に襲われたところを助けたらしい。その際の勇敢な戦いぶりに、領主様はいたく感銘を受けられたとか」


「それでこのように特別な計らいを?」


「ラルフ、あのアルフレッドという男、確か昔、お前に仕えていた男だよな? 今回の騎士団長就任、どう思う?」


「何かの間違いだ。あいつは左遷されたはず。すぐに化けの皮が剥がれるさ」


 しかし、その後もアルの出世は止まらなかった。


 ラルフの呼び出された社交パーティーでは、常にアルの方が話題の中心にいて、持て囃されていた。


 どうやらアルが手柄を立てて、領主によって罪を許されたというのは本当のことらしい。


 街の有力者達はこぞってアルに取り入った。


 誰もがアルのことを出世頭とみなしているようだった。


 そればかりではない。


 有力者達はあろうことか、ラルフと距離を置くようになった。


 アルとラルフの確執から、ラルフに近付くのは危険だと感じているようだった。


 ラルフは慌てて、アルに和解を乞うた。


「アル、やはり俺のことを恨んでいるのか?」


「まさか、もう昔のことだ」


「そう言ってくれると助かる。仲直りの握手を」


「もちろん」


「ダークボアの討伐任務。まさか俺を外したりしないよな?」


「ああ。君こそかつての主人だからといって、俺の指揮下に入ることを拒んだりしないだろうね?」


「当然だよ。君の指揮に心からの忠誠を誓う」


「そう言ってもらえて安心したよ。では、これからは上司としてよろしく頼む」


「こちらこそ部下としてよろしく」


 ラルフはそう言って、アルに仲直りの握手をするものの、内心でははらわたが煮え繰り返っていた。


 いったいなぜこの男が俺の上司に?


 どれだけ考えても納得のいかないことだった。




「ラルフ。いったいどういうことなの?」


 家に帰るとエルザが問い詰めてくる。


「あの人、あなたに負けて左遷された人でしょう? それなのにどうしてあんなに出世しているの?」


「知ったことか。俺だって聞きたいくらいだ」


(くそっ。どういうことなんだ。なぜ、俺があんな負け犬の指揮下に入らなければならない?)


 そんなことを考えていると、執事が部屋に入ってくる。


「ご主人様」


「なんだ。こんな時間に」


「お忍びでご主人様にお会いしたいという方がいらっしゃっています」


「追い返せ。非常識だろこんな時間に」


「ですが、その……」


 執事はラルフの耳元で囁く。


「そのお忍びで来られているのがウィズ様でして」


「なっ、馬鹿野郎。なんでそれを早く言わない。さっさと準備して客間に迎えないか」


「はっ。承知しました」


 ラルフは慌てて寝巻きから正装に着替えた。


 アルは出世頭で、誰もが媚を売らなければならないのはすでに街の常識だし、ラルフもアルに媚びを売るのはもはや習性となっていた。




「やあ、ウィズ騎士団長。いったいどうしたんだいこんな夜更けに」


「済まない。こんな時間に訪れたりして」


 アルは悄然とした顔で言った。


「いや、気にしないでくれ。君と俺の仲じゃないか」


 ラルフはアルの生気のない顔つきに驚いていた。


 飛ぶ鳥落とす勢いで出世街道を駆け上がっている男の顔付きとはとても思えない。


「実は君に聞いて欲しい悩みがあるんだ」


「ほう。悩みとは?」


「俺が急に罪を許されて出世できたその秘密だ」


「出世の秘密?」


「そう。ここまで俺が出世できたのは俺の実力じゃない」


「なんだと?」


「俺が出世できた秘密。それはひとえにこの呪いのアイテムのおかげなんだ」


 アルは自身の身に付けている腕輪を掲げてみせる。


(呪いのアイテム?)


 ラルフは腕輪をまじまじと見つめた。


 確かに変わったデザインの腕輪だった。


 なぜ、今までアルを見ていながら気付かなかったのか不思議なくらい歪なデザインの腕輪だ。


 どこか原始的な装飾品を思わせる。


 まず、この街では見かけることのないデザインの腕輪だった。


 だが、少し変わっているだけでそれ以外何の変哲もない腕輪に見える。


「俺が暗黒街に左遷されていたことは知っているな?」


「ああ。そんなこともあったな」


 ラルフは言葉を選びながら言った。


「俺は来る日も来る日も自堕落な生活をしていたんだが、ある日、1人の黒魔導師に会った。その黒魔導師に己の不遇を相談したところ、1つの提案を受けた。自分の黒魔術の実験台になってくれないかと」


「実験台?」


「そう。【出世の呪い】の実験台だ」


 アルは腕輪を再び掲げて見せる。


「その腕輪に【出世の呪い】がかかっていると?」


「そう、その通り。黒魔導士はこの腕輪に出世の呪いをかけて俺に身に付けるよう提案した。そうすれば、街に戻ることができて、そればかりか分不相応なほどの出世をすることができると。事実、俺は物凄い勢いで出世した」


「よかったじゃないか。出世できたのなら」


「よかっただって? 冗談じゃない!」


 アルは声に必死さを滲ませて訴えた。


「出世のスピードが早過ぎる。期待と重圧で頭がどうにかなりそうだ。信じられるか? 侍従騎士隊の隊長に推薦すると言われたんだぞ?」


(侍従騎士……だと?)


 貴族の中でも選りすぐりの身分の者でなければ入れない隊であった。


 王にも謁見できるほどの特別な部隊である。


 ラルフは自分の心が激しく動揺するのを感じた。


「来週には侍従騎士団へ栄転の辞令が下る。俺には分かるんだ。この腕輪がそう囁きかける。そうなれば俺は……もはや以前の俺ではいられなくなる」


 アルは頭を抱えて懊悩する。


(意外と繊細な奴だな。たかが、出世するくらいでここまで憔悴するなんて)


 ラルフはアルの意外な側面を見たような気がした。


 人を信じすぎるきらいはあるものの、もう少し気骨のある奴だと思っていたのだが。


「なあ。俺はどうすればいい? この腕輪は誰か代わりに身に付けてくれる人間を見つけない限り外すことはできない。一生、ついて回る呪いなんだ。このままじゃ、俺は……」


「ふむ。じゃあどうだろう。その腕輪、俺が身に付けてやろうか?」


「なに!? 俺の代わりにこの腕輪を付けてくれるのか?」


「ああ、そうだよ。もちろんお前がよければだが……」


「ありがとうラルフ。お前には何と礼を言えばいいか」


「いいってことよ。俺達友達だろ?」


「ありがとう。本当にありがとう」


 アルはラルフに縋り付いて泣き腫らした。


 ラルフはアルの背中をポンポンと叩いて慰めた。


 だが、頭の中は腕輪のことでいっぱいだった。


 速く、アルから腕輪を引き受けたくてウズウズしていた。


「どうかな? 善は急げと言うし。早速、その腕輪を俺に引き渡してみては?」


「ああ、そうだな。この腕輪を引き渡すには、腕輪に触りながら渡し手と受取手が引き継ぎのちぎりを取り交わして……」


 そうしてラルフは呪いの腕輪を引き受けた。


(ククク。バカな奴め。2度も同じ轍を踏みやがって)


 ラルフは腹のうちでほくそ笑んだ。


 ラルフが腕輪の力で出世した暁には、アルのことを再び左遷する目論見だった。


 そして、その日からラルフの頭の中に謎の声が囁きかけるようになった。


『街外れの森に行け』


 初めは無視していたラルフだが、謎の声が余りにもしつこかったので、言う通りにすると、翼を負傷して地面を這い回っているドラゴンに出くわす。


 弱ったドラゴンを倒すのは造作もないことだった。


 ラルフはドラゴンを討伐した英雄として、街で一躍有名になり、持て囃された。


 一方、アルはというとラルフが手を下すまでもなく、逃げるように暗黒街へと立ち去っていった。


 あれだけ出世街道を駆け上っていたのに、と街の人々は不思議がるのであった。

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