短編集
はなぶさ
解答
それは雪がしんしんと降る夕方の出来事だった。
夜の仕事へと向かう電車待ちのホームでふと背後から声をかけられた。
振り返り視線を落とすと綺麗めな服装で片手には杖をもった老人が俺の視界に飛び込んだ。
「あと一週間。なにか言い残したいことはないか?」
俺の頭の上にはクエスチョンマークが浮かぶ。いきなり現れた老人にわけのわからないことを言われ気味の悪さだけがその場に残った。
「なにいってんだ。おっさん。誰かとまちがってんじゃねえの?」
俺の返答に老人は何も返さずただこちらを見つめる。変なやつに絡まれた。
俺はそう思っていると、これまで待っていた電車が到着するアナウンスが流れほどなくして電車が到着する。
見知らぬ老人の意味不明な一言で憂鬱な気持ちを抱えることになった俺は、舌打ちをその場に残し電車に乗り込んだ。閉まる扉の先、そして車内を見回す。先ほどの老人と同じ車両にいるのが嫌だったからだ。もしいるのであれば少しでも距離を取りたいそう思っての行動だった。だがその行動は意味をなさなかった。
老人は電車に乗ることなくそのまま俺が今までたっていたホームに微動だにせず立ってこっちを見ていたからだ。
俺はそのさまを見て苦笑いをし思う。
いや、何しに来たんだよあのおっさん。
仕事場に到着ししばらくは、ホーム上で会ったおっさんのことを忘れられずにいたが、それも姫が注文してくれた酒を何杯か飲むとその場の雰囲気と酔いで消えていった。
老人のことをすっかりと忘れたある日、職場の近くの道路で見覚えのある老人が立っていた。初めて出会ったときの気味の悪さをこのとき感じた。そもそも初めて出会ったときあの老人は電車に乗らなかったのに、仕事場の近くまでついてきていることに気味の悪さを感じたのだ。
俺は思い返した。こうして変な奴に絡まれるのはたいてい気の触れた客のせいだったりする。最近起こったトラブル、姫との些細な口論。思い返してみても俺が原因と思えるトラブルはなかった。
そのあともしばらく考えたが、いくら考えても思い当たる節にはたどり着かない。
得も言われぬ悪寒に体が包まれる。そして俺は直感的にこれはそのままにしていい出来事じゃないと思い、その悪寒を振り払うように力強く老人に向かって歩いた。
「おい!おっさ――」
「あと3日。なにか言い残したいことはないか?」
老人は俺の言葉をさえぎって告げた。
「いや、意味わかんねえし。何がいいてえんだよ」
「身の振り方を考えたほうがいいんじゃないか?」
そう問いかける老人に俺は荒々しく言葉をぶつけた。
「思い当たらないから言ってんだろ!?こんなストーカーみてえなことして楽しいかよ? 警察に電話するぞ」
老人はそれ以降俺の言葉に反応をすることなくその場に立っていた。
苛々とする感情を吐き捨てるように舌打ちをし俺は店へと入る。何があと3日なのか、身の振り方をどう考えればいいのか。いくら考えてもその答えが出ないままもやもやとした感情だけが俺の心の中に積もっていった。
それが原因なのか、今日口にした酒はどれも味がなく、姫が話す内容もどこか念仏を聞いているような気持になった。
「ねえー、ケントってば聞いてるぅ?」
席を移動して何度目かの姫との会話。最初は苦笑いしながらごまかしていた俺だったが、出会った老人と同じように定型文でそう聞いてくる姫に逃げられない銃口を突き付けられてるような不安を感じ俺は、普段だったら言わないだろう老人との出来事を話した。
「えーなにそれ?怖い話?」
常連の姫、アケミはおどけながら言う。その答えに定型文以外の返答が来てすこし安心した俺は今まで吸えていたかわからない酸素を胸に感じた。
「いや、ちげえよ。現実にあった話」
「えー、なら怖い話じゃん。男でもそんなことあったら怖いんだ?」
「うん……正直怖い」
能天気な声でそういうアケミに普段だったら言わないほど素直に俺は言葉が出てきた。
「なんか日にちをカウントしてるからそれが怖いのかもね」
「そりゃ俺だってそう思うわ」
「あっ、誕生日!」
「ちげえよ」
能天気な声で閃いたといわんばかりのアケミの言葉を遮る。
「俺の誕生日4月だし。つか俺の誕生日覚えてないのかよ」
「ごめんて。ごめんて!あたし人の誕生日雰囲気でしか覚えらんなくて」
「雰囲気ってそれ覚えられてないじゃん」
「あははー。どう?ちょっとは気ぃ紛れたぁ?」
お酒のせいか少し舌足らずにいうアケミの言葉に同調するように俺は「ははは」と笑うとアケミは再度ひらめいたといわんばかりに人差し指を立てぶんぶんとふり下しながら言う。
「ん! わかった!わかった!」
「何がわかったんだよ」
「減ってく日付だよぉー!それってジュミョーなんじゃない?」
「いや、なんでおっさんが俺の寿命がわかるんだよSFかよ。普通殺害予告とかじゃねえの?」
俺の回答にアケミは上唇を鼻にくっつけ変な顔をしてうなる。
「んー。別に殺害予告って直接言いにこなくない? 誰が殺しに来るかわかるし」
「それもそうだけど」
「ならジュミョーって考えるのがジュントーじゃなぁい?」
「いやいや、そもそも実行役は違うやつかもしれないだろ?」
「なんでケントはそんなに殺されることに固執するの? ケントって悪いことしてるの?」
アケミのその言葉に俺はうまく言葉を返すことができなかった。楽な仕事だとおもっているしこうやって姫を相手に話すのは嫌いじゃない。伸びていく売り上げを見るのは嬉しいしやりがいを感じている。だけど、世間からすれば俺のやっていることは体のいい搾取で忌避すべき職業だといわれている。
いつぞやだったか、テレビ番組で借金を抱えた女性が、インタビューで原因を答えるのを見てその責任を俺たちのせいにするのを見た。その当時は、自分の身の丈に合わないお金を使うヤツが悪いと思ったし、それを俺らの責任にされるのも憤りを感じた。
「……悪いことしてるとは思ってねえけど……」
「けど?」
「……アケミって借金とかしてんの?」
「あ、あはは……どうして、そんなこと聞くの?」
俺のその問いかけにアケミは驚いた様子でしばらく動きが止まると、作り笑いをして答える。夢を与える場所で夢を壊すような発言をしたなと思った。
「俺がわるいことをしているかどうか、知りたいから」
「…………」
俺の言葉にこたえることなくしばらく時間が過ぎると、アケミはすごく嫌そうな顔をし席を立った。
俺はその日を区切りとして仕事を辞めることにした。
それからの残りの2日は自分でもなにがしたいのかわからないままに体が勝手に動いた。真っ先に決めたのは引っ越しだった。それなりにいいマンションに住んでいたが家具からすべてを売却や後輩に譲った。そしてアケミを含めた姫たちと最後だからと一人ずつあって自分の貯金から切り崩し100万を包み一人ずつ直接会い渡した。
終わってみるとなんだか少し気分は晴れやかだった。自分のできる身の振り方でかえられるものは変えたし、返せるものは返した。これが正解とも思わない。持っているものは何もない。それこそ死ぬための準備を終えたような気分だが、思いの外前向きなのは、この2日で自分の行動で後ろめたさがなくなったからだと思う。その日はそのまま疲れたからかすんなりと眠りについた。
その日の夜、俺は珍しく夢を見た。
霧につつまれた街を歩く夢だ。人はだれも居なくただ独り歩く。
しばらくして目の前に見覚えのある老人が立っていた。俺はその老人を見たとき思わず笑ってしまった。それは夢に出てくるほど老人の言葉と姿を胸に刻んでいたんだと自覚したからだ。老人はなにも言葉を発することをせず俺をまっすぐに見つめる。
「最後に言い残すことだよな? なにもねえよ。身の振り方も変えたよ。身の丈にあった生活をするつもりだ。何が間違いか、何が正解かなんてわかんねえけど、死ぬ準備はできてるぞ」
一向に口を開かない老人に俺は先んじてそんな言葉を口にした。老人はなにも回答をすることなく無言のままこちらをただ見ていた。霧が濃くなり老人が見えなくなるとこのまま俺は目が覚めることなくこの場に取り残されるのではないかという不安に苛まれた。
ほどなくして今ではもう空っぽになった自室で俺は目が覚めた。
何かしたいことがあるわけでもない俺は、そのまま実家へもどった。最後に老人とあってから一か月がたった。俺はまだ死んでいない。俺の回答は間違っていなかったのだろう。
時折かんじる視線に俺は後ろをたまに振り返る。そのたびに俺は今日の出来事を振り返る。きっと今生きているのはあの老人が俺の生き方を採点して正解しているからだ。
なんだかそんな気がする。
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