競馬ノートの緻密さ
父の第二の人生を築き上げたのが競馬でした。ギャンブルとしても好きだったのかもしれないが、もしかしたら馬が好きだったのかもしれない。
馬が好きなら競馬するより馬主になれ、と思ったが、箱根駅伝同様、馬主になるだけの財政的瞬発力も持久力も持っている人は少ないため、競馬を通して馬を観察していたのかもしれない。一昔前は、週末となれば接待ゴルフで家を空け、競馬に興味を持ってからは競馬で週末不在というのが常。
父の場合は、競馬で賭けるということが着眼点ではなく、良くてもプラマイゼロの持久力をかけた挑戦の中で、書き上げた「競馬ノート」だ。この「競馬ノート」は、巷で出版されている、「東大生のノート」に匹敵するほどの代物で、戦国時代の茶器並みの価値を持っていたとされる、父の代から受け継がれる家宝になるはずのものだった。しかし、母の火砲を受け、比叡山の延暦寺焼き討ちにあったのである。
信長の比叡山の焼き討ちの理由は、「比叡山が信長の敵をかくまった」ことと、「延暦寺が私腹を肥やす悪の巣窟」だった。父の「競馬ノート」も焼き討ちにあった理由は、「競馬ノートが競馬にのめりこみ過ぎた父をかくまった」ことと、「父が競馬で私腹を肥やす悪の巣窟」になっていたからでした。
「競馬ノート」は、家計と敵対する「競馬場」と「G一レース」が父を競馬場へかくまい、家計と敵対したためと言われている。
「競馬場」は、その影響力と絶大な力によって、支出への口出し・介入を繰り返していた。そのため家計は手を焼いていた。家計は、「競馬」による父への支出の介入を止めさせようとして焼き討ちに踏み切ったというのが、歴史的に伝えられている内容である。
というのが戦国時代になぞらえた競馬劇なのであるが、この「競馬ノート」には、手書きではあるもの、全てのレースの予想と結果が、伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」のごとく正確に書き記されていたのである。
ご存じの通り、伊能忠敬が日本地図の測量を始めたのは五〇歳を過ぎてから。父の「競馬ノート」も五〇歳を過ぎてから測量を開始したものであり、その緻密さと分析能力、エクセルで書けば秒速で終わるチャートも全て手書きで、且つ鉛筆で記録されていたのである。ボールペンでメモをすることが一般的になった現代で、鉛筆メーカーが売り上げを伸ばせる原動力になったとも言われている。
さて、この「競馬ノート」、家計が脅かされる家族からすると悪の巣窟に思えるかもしれないが、視点を変え、当時エクセルに落とし込みピボット分析をしていたら、競馬新聞の予測から、過去の戦績の分析をもとに、勝利を高い確率で予想できたのではないかとさえ今は思える。
「競馬ノート」は、競馬新聞の予想欄を一旦大学ノートに定規を使ってチャート作り、書き写された後、馬の評価や傾向、騎手の戦績の傾向がびっしりと書き記されていたのである。緒方洪庵の塾生ですら、ここまでの書き写しはできなかったという。書き尽くされた大学ノートは、よれよれになり、もし生きて話ができるのなら、「大学生より書き込んでもらえている…」という言葉を最後に、生涯を閉じていたことだろう。父のノートと鉛筆の大量消費により文具メーカーの株価が急騰したのは、この頃である。
「競馬ノート」に夢中になって書き込む父を見て、ここまでの情熱を家庭に向ければ、孤独な人生からも確実に解放されていたであろう父に、
「このデータ分析をもとに馬券を買って、どれくらい当たるの?」
と尋ねたことがある。
「半々か、プラスが少し出るかというくらいかな」
とトントンか平均数%の伸びであれば、ミューチュアルファンドくらいの価値はあるデータ分析になっているのではと感じたのは記憶に新しいが、父が本当のことを私に伝えていたのかは分からない。そんなの、本当に大きな投資案件も、万人には伝えず特定の富裕層にしか情報を教えてもらえないことを考えれば、大きく当てたものは開示していない可能性もあるだろうと今では思える。
競馬をただ賭け事だけで終えてしまえば、ただのギャンブルとして悪い印象で終わってしまうかもしれないが、何よりこの「競馬ノート」の分析アルゴリズムを確立して、アプリが作れたとすれば、月五〇〇円のサブスクとしてでもマネタイズできた可能性も見えてきたかもしれない。
また、初代競馬予想アプリとして、過去の実績から未来の売上予測を予想する設計であれば、各企業の過去五~一〇年の売上データをもとにした、売上予測ソフトウェアの開発を受注できたかもしれない。B2C企業において、毎回売上予測に困っていた私としては、このような基幹ソフトが手元にあるだけで非常に助かる。
父が成し遂げた功績は、認められることはなかったが、それなりの知識人や技術者の手に渡っていれば、歴史は変わったかもしれない。
父への手紙
親父は、基本的に広く浅く進む人ではなく、これだと思ったものに邁進するタイプの性格なのだと思う。それがたまたま競馬だったから、賭け事になっていたから、良い印象を与えられなかったに過ぎず、データ分析を軸として、その製品の一つとして、「競馬ノート」が存在していれば、世間の親父を見るフィルターが変わっていたはずだと確信している。
恐らく、この「競馬ノート」が教えてくれたのは、「目的と手段を混同してはならない」というリーダーシップの基礎を教えようとしていたのは、今になれば分かる。
親父が時間をかけて手書きで仕上げた「競馬ノート」のデータ分析の時間を短縮できれば、その浮いた時間を別の事に割けるだろう、と言いたくても、その表現方法が見つからなかったのでしょう。
自分が苦手とするところを全て自分でやろうとすることを止め、得意とする人に権限移譲をすることで、自分時間を手に入れることができる、その自分時間で本来すべきことに集中しなさい、そう伝えていると思える自分にまで私も成長した。
焼き討ちにあうまで、よくここまで「競馬ノート」を作り上げてきたし、鉛筆やノートの消費において、文具メーカーの支援をしてこれたことは、喜ばしい出来事として、歴史が伝えてくれるでしょう。
難しい経営理論を教えてくれたことに感謝します。
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