ファックスの手紙に「貴君」
私は高校を卒業して一浪した。その滑り方も潔く、華麗で美しかった。今思えば、一校受けるだけでも高い受験料だが、あれだけ受けた意味あったかなと今は無駄にお金を使わせてしまったことを反省している。
どれだけ受かろうが、行く大学は一校。滑り止めは、滑りを是が非でも止めるために、限りなく合格A判定の大学を受けるのだから、一校でいいとすら今では思う。
一浪して大学の不合格通知が断続的に続いた頃、仕事から帰ってきた父が
「結果はどうだった」と半笑いで聞いてきた。
「ダメだった」と答えると満面の笑みで
「そうか。それは仕方ないな」というような感じで返してきた。不合格したことに不機嫌な顔をしていなかったと記憶している。
合格発表も佳境を迎え、あと数校の合格発表を控えたある日、父から
「あと、合格発表どこが残っているの?」と聞いてきた。
「〇〇大学の二学部」と言い終える前に、半笑い気味で
「恐らくダメだと思うよ」
と優しい上司が初めて部下を諫めるような鋭い指摘をしてきた。自分も、その指摘は間違いなく正しいと直感で感じていた。
正直、直感の八割はほぼ当たる。まだ二割の可能性が残っていると心の隅で思うことなく、図星を言い当てられたとショックを受けた。人間真実を知りたいという気持ちを誰もが思っているものの、自分が認識している自分の真実だけは、他人から指摘されたくないと思っている。父は、そういう意味では、先を見通せる力があったというよりは、あれだけ関わってきていない息子をしっかりと見てきたという証拠に他ならない。
そこで、父がアメリカに留学をしてみないか、という提案をしてきた。正直、不合格は辛い経験だが、留学というわくわく感が残りの合格通知はどうでもいい、という思いにさせてくれた。
そもそも浪人中に、いつか留学をしてみたいという気持ちが湧いていたからである。中学の頃から、英語だけはできた。全く話せないけど、テストだけはできた。アメリカという国にあこがれを持ってきたが、その国に本当に行けるのかという希望が図星のショックを打ち消してくれた。
たまたま留学組織のカタログが郵便桶に入れられており、父はちょうど経営者か重役に昇進をしたばかりの時で、留学が手に届く社会的な地位を獲得していたという偶然が重なった奇跡的な瞬間だった。
「あれだけ勉強して、日本の大学がお前を受け入れないって言ってるんだから、日本以外に行くしかないじゃない」
「日本から受け入れられない、来ちゃいました」っていう逆強制送還の経験を初めて受けたのがこの時でした。
父の勧め通り、説明会に両親と行き、そこで入学する大学まで決めた後で、入学に必要な英文のエッセイの宿題を終えて、入学手続書類と合わせて留学組織へ提出。合格発表の知らせを受けるまでは、そう長くはなかった。
結果は「合格」。
受験で二年間、あれだけ勉強に集中して完敗した後、僅か一ページかそこらの英文エッセイで受かるあっけなさ。これが三月の話。五月にはアメリカへ飛び立った。
今では、ラインやメッセンジャーなど、世界各地にいようが、日本との連絡手段は無料で可能だが、当時は国際電話しかない。そこで、特に日本の留学生はファックスと国際電話を使った。
学費の案内などの資料はファックスを使い、それ以外は、短い時間ちょっと国際電話で話すというのが唯一の連絡手段なため、両親と話をするという機会もかなり限られた。
ファックスが送られてくるのは、ほぼ母からで、父から何かを送ってくるということはなかった。そんな中、ごく稀に私宛の手紙をファックスでしたためることがあった。その中で父が私の事を「貴君」と書いていた。
「貴君」っていつ出てくるんだ、と見出しを読んだ人は、「前置き長っ!」と思ったに違いない。そう、ここで漸く「貴君」。二〇年以上前でも、私の年代で「貴君」と書く人もいなかったので違和感が凄い。思わず返信で「汝」と書いた方が相応に違いないと思ったくらいだ。
父は根っからの読書家だった。読む本は、殆どが小説なせいか、ファックスで送る内容も非常に文語体チック。文語体は、もうなくなっている時代だったと思う。あのまま行けば、漢詩調で送られてくることもあったかもしれない。そうこうしているうちに、アメリカでファックスの時代は終わりを迎え、Eメールとなった。
先にも述べた通り、父とPCは無縁の世界。父が地球ならPCは火星。この時代にイーロン・マスクによる火星移住計画があれば、まだ繋がっていただろうが、この時代を持って、父からの手紙も終焉を迎えた。
父への手紙
親父、「貴君」は今の世の中であれば、父と子の関係が威厳ある厳格な関係であれば使う表現なのかもしれませんね。きっと、「家族の中にも礼儀あり」という信念を貫いたのだと思います。
度重なる放屁も、今思えば厳格の籠った重低音を心に響かせてくれた貴重な体験でもありました。私がドラムを叩き始め、あれだけの長期間叩き続けられたことも、その重低音が体に染みつき、その情熱を世界に知らしめようと思った現れであると信じてやみません。学校では教えてくれない授業を提供してくれてありがとう。
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