1-3

 献身は報われない。


 そんなことは、出会ってからの十二年で何度も思い知らされてきたのだ。

 けれど愚かなアデリナは、どうしてもヴァルターのことを嫌いになれなかった。


 また苦しい恋をする人生を繰り返したくなどない。

 もしやり直せるのならば、違う人間になって、別の人を愛したい。


「だからっ、嫌だって言ってるでしょう! この自己中心男――」


 自分の声に驚いて、アデリナは目を覚ました。

 ひどく汗をかいていて、呼吸も荒くなっている。それに周囲がまぶしくて目が痛い。

 とにかく凄まじい不快感だった。


(ここは……?)


 懐かしい光景が広がっている。

 ここはアデリナの生家であるクラルヴァイン伯爵家のタウンハウス……その裏庭だった。

 アデリナは大きな楓の木に持たれていたらしい。

 膝の上には本が置かれている。木陰で読書をしていて眠ってしまったのだろうか。


「お嬢様、いったいどんな夢を見ていらっしゃったのですか? 自己中心、男?」


 あきれた声が響く。

 顔を上げると、アデリナ付きのメイドが必死に笑いをこらえている様子が目に映る。


「ロジーネ……」


 アデリナより四つ年上で、笑顔が可愛らしい赤毛のメイドのロジーネ……。

 すでに亡くなっているはずの女性が、目の前にいた。


(本当に時を戻す魔法が成功してしまったというの?)


 アデリナは自分の頬を抓ってみるが、夢から覚める気配はなかった。


「寝ぼけていらっしゃるのですか?」


 問いかけるロジーネは、二十歳前後に見える。

 ただ、それで今日が何年の何月何日なのかまではわからなかった。


(ヴァルター様……冗談はやめて……)


 キョロキョロと周囲を確認しても、元凶と思われる青年の姿はない。

 だからこそ、時を戻すと言っていた直前の発言が本当だったと思える。


「ほらほら、もうすぐ家庭教師の先生がいらっしゃる時間ですよ。そんな御髪ではいけません。お部屋に戻りましょう」


 幹にもたれかかっていたせいで、髪が乱れていたのだ。

 アデリナはロジーネに促され立ち上がり、私室へと向かった。


 鏡台の前に座り、自分の姿を確認する。

 まっすぐな紅茶色の髪に青い瞳――十代中頃のアデリナがそこにいた。


(私……二十八歳のはずだけれど……確かこのドレスは十六歳の誕生日直前に仕立てたもののはず)


 きっとロジーネに聞けば、正確な日付はすぐにわかる。

 けれど、今日が何日かを忘れてしまうのは不自然で、アデリナはしばらく過去の自分の行動を思い出しながら、とにかく他者から不審に思われないように過ごした。


 髪をハーフアップにして、ドレスを着替え、家庭教師からの指導を受ける。

 夕食では、両親との無難な会話を心がけ、ようやく正確な日付がわかる。


(私の誕生日の一週間前……ね……?)


 やはり十六歳の誕生日前で間違いなかった。

 つまりはヴァルターと出会う直前ということになるのだ。


(ちょっと状況を整理してみましょう)


 私室に戻り、ライティングビューローの前に座ったアデリナは紙とペンを取り出す。

 重要な出来事を文字にしながら、今後の展望を考えようと思ったのだ。



 アデリナ・クラルヴァインが、のちに魔王と呼ばれ恐れられるオストヴァルト王国の王、ヴァルター・ルートヴィヒ・オストヴァルトと出会うのは、アデリナの十六歳の誕生日当日だ。


 この時点でのヴァルターは第二王子で、冷遇されている。

 そして、軍に所属し身体能力の高い青年であるが、魔法の実力はいまいちで、王子としては凡庸というのが世間の評価だった。


(まぁ……実力を隠しているからなんだけど……)


 この頃のヴァルターは、王太子との争いを避けるために力を隠している。

 本当は妹のセラフィーナ以上に光属性の魔法的素質を持った青年である。さらにそれを超える闇属性の魔力を必死に封じ込めているのだ。


 この国で国王になれるのは男性だけだ。

 王位継承権を持つ王子であるヴァルターがわざと凡庸な人間を演じ、王位継承権を持たない王女のセラフィーナが理想的な王族でいるのは、彼らの処世術だった。


 ヴァルターが有能だと、王太子や公爵家にとっての排除対象となる。

 けれど二人とも無能だと、誰からも見捨てられ、人脈の一切を失うことになってしまう。

 生母である二番目の妃の死亡後、二人はそういう計算をして生き抜いてきたのだ。


(セラフィーナ様は『女神』と呼ばれ、慈善活動などに勤しみ、国民から慕われている。

 冷遇されつつも、一部の貴族……それから隣国の王族……彼女を妻に迎えたいと望む者は多いのよね)


 国王は、セラフィーナを政略結婚の道具として見ている。

 光属性は、治癒魔法などを司り、攻撃系の魔法にも転用できるすばらしい力だ。とくに聖トリュエステ国がその力を神聖視しているため、結婚相手としては引く手あまただ。

 現在二十歳のセラフィーナに婚約者がいないのは、国王がもったいぶって嫁ぎ先を定めずにいるからだった。

 けれど結婚適齢期を逃すはずはないから、そろそろ決めなければならないという状況である。


(ヴァルター様の望みは……セラフィーナ様の安全のはず……)


 王太子カールと公爵家が簡単には手出しできないくらいの権力を持った者と、セラフィーナを結婚させることが、兄としてのヴァルターの望みだ。


(でも……セラフィーナ様は半年後に結局暗殺されてしまう)


 ヴァルターの望みは、セラフィーナをオストヴァルト王家から逃すこと――それだけだった。

 けれど王太子カールの憎しみと猜疑心は、ヴァルターの予測を超えていたのだろう。

 セラフィーナが幸せになることも、ヴァルターがセラフィーナを介して権力者と結びつくことも、許せなかったのだ。

 セラフィーナは隣国の王太子ほか何名かの求婚者の中から相手を一人に定める前に、カールが放った暗殺者によって命を落とす。


 セラフィーナを失ったヴァルターは、それまでひた隠しにしてきた闇属性の魔力を一気に放出する。


 闇属性は聖トリュエステ国が敵視している力ではあるが、力そのものは悪ではない。


 ただし、力の覚醒を促すきっかけが負の感情だった。

 妹を失った悲しみと異母兄や父親に対する憎しみが、ヴァルターを変えたのだ。


 元々淡い色だった髪と瞳が闇に染まり、ミッドナイトブルーに変化していった。

 そこから先、彼は己の力を一切隠すことをせずに、妹を死に追いやった者たちへの復讐を始めた。


(そして我がクラルヴァイン伯爵家は……ヴァルター様にお味方するのよね)


 伯爵家に選択肢はなかった。

 ヴァルターとアデリナが婚約者同士であったため、カール側にすり寄っても間者かもしれないと疑われていただろう。

 それに、人柄がいいという美点しかないアデリナの父エトヴィンはなんの権力も持っていないから、王太子カールもクラルヴァイン伯爵家を取り込みたいとは考えなかったのだ。


(その選択は正しかった? それとも間違っていたのかしら……?)


 二人の王子の争いは、その後約三年続いた。

 内戦の中でクラルヴァイン伯爵家の者はアデリナ一人を残して皆、いなくなってしまった。

 けれど、最終的な勝者はヴァルターだ。

 もし伯爵家がヴァルターを裏切り、カール側についていたら、逆賊として滅んでいた。


 おそらく力を持たない伯爵家はどちら側の陣営に属しても、犠牲を払うことになるのだろう。


(ヴァルター様は……泣いている私に寄り添ってくれたんだった……)


 無駄なおしゃべりを楽しむ人ではなかった。

 婚約者とは名ばかりで、いつも冷たい人だった。

 内戦が始まってからは、自分たちが担ぎ上げた新たな国王と、家臣という関係だったはずだ。


 ヴァルターはなにも言わず、家族を失った悲しみで泣き続けるアデリナのそばにいてくれた。

 やがて新国王となったヴァルターは、家を失い価値がなくなったはずのアデリナを妃に据えると宣言した。

 二十三歳と十九歳……若き国王と王妃の誕生だった。


 おそらくアデリナが本気で彼に惹かれたのはこの頃だ。


 国王としてのヴァルターは決して愚王ではなかった。

 けれど、家臣の裏切りや不正を許さず、罪を犯した家門に対し温情を一切見せない姿勢が反発を招くことが多く、すべてが順調とは言い難かった。

 さらに、隣国が国境を侵してきたときは降伏など認めず、併合するまで戦う苛烈な対応を取った。


 そういう積み重ねが宗教的な影響力を持つ聖トリュエステ国との不和を生み、滅びの道へと進むことになるのだ。


「だからって……やり直しになんの意味があるのよ……」


 二十八歳までの記憶を持ったまま十六歳の誕生日直前に戻ったアデリナは、もやもやとした孤独に苛まれていた。

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