1-1 覚えていないなんて、無責任すぎるのですが
十六歳の誕生日前日。
父・エトヴィンの書斎に呼び出されたアデリナは、突然婚約者ができたことと、その婚約者が明日会いに来ることを知らされた。
「ヴァルター・ルートヴィヒ・オストヴァルト第二王子殿下……ですか?」
「そうだ、恐れ多くも国王陛下からのご提案だ」
クラルヴァイン伯爵家の子は現在アデリナ一人で、家存続のために婿を取る必要がある。
国王からの提案……つまり王命という意味だった。
それを断る力を伯爵家は持っていない。
アデリナの知らないところで、未来の夫はすでに決まっていたのだ。
「私の旦那様……」
第二王子であるヴァルターを婿として迎えることは名誉――ではなかった。
そのためエトヴィンの顔色が悪い。
ヴァルターは力のない第二王子だ。
彼の母親は宮廷勤めの女官で、財政難に陥っていた男爵家出身の娘だった。
当時の王妃は、王太子カールの出産後、体調を崩し寝込みがちだったという。
そんな時期に、国王のお手つきとなってしまったのが、ヴァルターの母だ。
国王の不貞を知った王妃はショックを受け、ついに回復することなく亡くなってしまった。そして王妃の死後まもなく、国王はヴァルターの母を二番目の妃として迎えることとなる。
当時、すでに彼女のお腹にはヴァルターと双子の妹であるセラフィーナがいたために、国王も焦っていたのだろう。
出産の時期から、王妃の存命中に国王が浮気をして子をなしたのは周知の事実となった。
国王の不義理を知った亡き王妃の生家である公爵家は当然ながら強く反発した。
ヴァルターの母は、妻帯者を誘惑した悪女というそしりを受け、貴族たちの侮蔑と嘲笑の的となる。
男爵家出身の彼女には、国王に望まれたら拒絶する力などなかったはずだ。
けれど貴族たちにとって、そんなことは関係ない。
国王の所業は表立って批判できないため、自然と不満のはけ口は弱い者へ向かう。
国王は立場が悪くなると、無理矢理手籠めにし、望んで迎えたはずの二番目の王妃を庇わなくなっていった。
力のある公爵家を敵にして、自分の立場が危うくなりかけていたことに気づいたのだ。
国王に見放された者の不遇は、誰にでも想像できるだろう。
結局ヴァルターの母は、王妃となってから四年後に故人となるのだった。
証拠はないままだが、おそらく公爵家が放った暗殺者に殺されたと言われている。
(国王陛下の意図は明白ね)
クラルヴァイン伯爵家は歴史ある名家ではあるものの、とくに目立った特産品も産業もない地域を治める平凡な家だ。
庶子ならばともかく、王子として生まれた者の婿入り先としてはふさわしくない。
あえて不釣り合いな家との婚姻を成立させることで、国王はヴァルターの立場を本人と貴族たちの両方に示しているのだ。
(冷遇されている第二王子。……国王陛下に冷遇されていることよりも、王太子殿下との不仲のほうがのちのち問題になるでしょうね)
王太子カールがヴァルターとセラフィーナを嫌うのは当然と言えば当然と言える。
カールは異母弟に対し、母親の
さすがに家族の情の少しくらいはあるはずの国王からカールに王位が譲られたとき、果たしてクラルヴァイン伯爵家は無事でいられるのだろうか。
「アデリナ……」
「ご心配なさらないでくださいませ、お父様。私も伯爵家の一人娘です。自由な結婚をするつもりは最初からございませんでした。まずは第二王子殿下との信頼関係を築くところから始めなければなりませんね」
「あぁ、そうだな」
これはおそらくヴァルターにとって、理不尽かつ不名誉な結婚だ。
クラルヴァイン伯爵家にとっても、利益をもたらす良縁とは言い難いものだった。
けれど、クラルヴァイン家の者は総じてそれなりの善人だ。
このときアデリナが願ったことは、不遇の第二王子が平凡な伯爵家で政争からは距離を置いて暮らせるようになればいいということだった。
前向きなアデリナは、避けられない結婚であるならば、ヴァルターとの信頼関係を構築することが自分自身の幸せにも繋がると考えていた。
そして翌日、ヴァルターが婚約の挨拶のために伯爵邸へやってきた。
アデリナはお気に入りのドレスを着て、両親とともに応接室で彼を出迎える。
「話は聞いているんだろう? 私がヴァルター・ルートヴィヒ・オストヴァルト。君の婚約者だ」
ヴァルターは、めずらしい銀色の髪にアイスブルーの瞳を持つ二十歳の王子だ。
十代の頃から軍に所属している彼は、たくましく、それでいて美しい人だった。
(なんて……綺麗で格好いい方なの……?)
アデリナは伯爵家の一人娘として家を守るために責任ある行動を心がけている。
その一方で、昨年社交界デビューを果たしたばかりの小娘でもあった。年上の見目麗しい青年が自分の夫になると知り、不覚にもときめいてしまう。
「ア……アデリナ・クラルヴァインでございます、第二王子殿下」
緊張のせいで不自然なお辞儀になっているのが、自分でもわかる。挨拶すらまともにできないなんて伯爵家の娘らしからぬ失態だ。アデリナの頬は羞恥心で赤く染まっているだろう。
挨拶を済ませてから、父の勧めで庭園を案内する流れとなる。
いわゆる「あとは若い方同士で」というやつだ。
大して広くもない庭だから、歩いているだけでは気まずい。
ヴァルターが庭園の中央にある池のあたりで立ち止まり水面を見つめている。
アデリナもそれに倣ったのだが……。
「なぜそんなに距離を取るんだ」
「それは……あの……」
無意識だったが、会話に適さないくらいに離れた位置に立っていたらしい。
美しい男性が隣にいて恥ずかしいという答えは、子供っぽくて到底言えなかった。
「いい。わかりきっていることを聞いた私が悪い」
(私って、そんなにわかりやすいの?)
アデリナは心の内を見透かされたことに動揺し、身体がカッと熱くなっていくのを感じていた。
ヴァルターと目を合わせることがどうしてもできなくて、ひたすらに水面を眺め続ける。
「……私と君が正式に結婚するのはおそらくは君が十八歳になってからだ。それまで定期的に関わりを持つ必要がある」
「はい、心得ております」
「……手紙を書いたら返事を書くように」
「……? もちろんですわ」
なぜ、当たり前のことを確認するのか、アデリナにはその意図が理解できなかった。
返事も書かない非常識な人間だと思われているみたいで、やや不満だ。
「社交の場にも適度に出なければならない。いいな?」
これもまた常識だった。
そして「出なければならない」という言葉に、アデリナは引っかかりを覚える。
「……は、はい」
ひとまず返事をするが、だんだんと彼の言いたいことを理解していき、同時に気持ちが沈む。
(手紙も書きたくないし、社交の場にも出たくない……。それでもヴァルター様は婚約者の義務をおろそかにはしないのだから、ちゃんとそれに応えろ……という意味ね……)
ほかに解釈のしようがない。
不本意なのは最初からわかっていたことだ。アデリナは反論はせず、ぎこちなく笑って見せた。
「これから、よろしく頼む」
ヴァルターが一歩近づき、手を差し出してきた。
これもきっと、仕方なくしているのだろう。
思い返せばヴァルターの表情は鋭利で冷たい印象のまま、アデリナには笑みの一つも見せていない。
(嫌われているんだ……)
未来の夫との初対面をひと言で表すなら「落胆」だった。
利益を望めない婚約であるのは互いに同じだ。だからこそ前向きに共闘できたらと望むアデリナと伯爵家の希望は、きっと叶わない。
それでもアデリナは差し出された手を握った。
「こちらこそ、よろしくお願いします。第二王子殿下」
急に婚約が決まり、それが本来なら王子が婿入りするなんてあり得ない、平凡な伯爵家になったのだ。
きっとヴァルターはそれを受け入れていないだけだ。
これから長い時間を一緒に過ごす相手なのだから、たった一日で諦めてしまうのはよくない。
アデリナはそう考えて、手に力を込めたのだった。
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