第16話 猫宮、身の証しを立てる②


 

 見藤が目を覚ましたのは、日がとっぷり暮れた頃だった。ゆっくりと体を起こすと、まだ休息が足りていないのか自然と欠伸が出る。

 すると何やら、事務所の方が騒がしい。


「何だ……?」


彼は不思議に思い、事務所へと繋がる扉を開いた。そこにはいつもの面子が揃っていたが、様子がおかしい。

 東雲に抱きかかえられた猫宮と、そんな猫宮にくってかかる久保が口論を繰り広げていた。猫宮は尻尾を膨らませ、毛を逆立たせている。一方の久保は、その顔に僅かな嫌悪感を滲ませている。

 すると、猫宮が埒が明かないと言わんばかりに大声を上げた。


「だァから、俺じゃないっつてんだろ!!!」

「だって、随分前に言ってただろ?僕が人間を食べるのかって聞いた時!」

「あれは言葉のという奴だ!」

「いいや!美味そうな奴がいるって言ってただろ!」


一体全体何の話をしているのか、と見藤は少し呆れた様子で呟いた。


「なにやってるんだ、君たちは……」


寝ぼけ眼を擦りながら、見藤は事務所内に移動した。

 

 寝起きの見藤は気だるそうにポリポリと首の後ろを掻く。少し寝癖がついた短い髪と、部屋着であろうTシャツにスエット。そんな普段と打って変わった格好は例によって東雲に凝視されているのだが、見藤は気にしないことにしている。

 すると、勢いよく久保が見藤を振り返った。


「見藤さん、ついに又八またはちの奴……人喰い猫になってしまったんですか!?」

「違うわ!!!愛嬌がある癒し担当のこの俺が、なんでそんな化け猫じみたことを!」


「いやお前、化け猫だろう……」


 見藤の冷静な一言も、口論を再開した久保と猫宮には届かない。そんな一人と一匹を心配してか、おずおずと東雲は状況を説明し始めた。


「久保君がこの資料を見ちゃって、それで……」

「……猫宮がやったと思った訳だ」


東雲の視線がローテーブルに注がれる。

 それを見た見藤は久保と猫宮がいがみ合っている原因を察して成程、と合点がいった。そこにはローテーブルに無造作に置かれた、今朝方に訪ねてきた記者が置いて行った資料。そう言えばあの後、置いたままにしていたのだと思い出す。

 その資料は、遺体安置における遺体損壊事件についてのものだ。


「濡れ衣だ!!!」


シャーっと猫宮は威嚇する。

 猫宮は東雲に「落ち着いて」となだめられるがあまり効果はない様子だ。今にも飛びかかりそうな猫宮を、見藤は彼の頭をむぎゅっと手のひらで抑え込み、久保との間に割って入る。

 そして、今朝方の変な記者の件を説明した。


「あくまでもそれは素人が調査した内容だ。俺の仕事ではないし、なんなら猫宮の仕業でもない」

「はい?キヨさんから、正式な書面で依頼が来ていましたよ?」

「は??」


久保の一言に、見藤は思わず眉間に皺を寄せた。

 人間、嫌な予感というものは当たるものだ。見藤は何かの間違いであってくれ、と思いながらもローテーブルを改めて見てみると、何やら書類が増えている。その傍には茶封筒があり、それは確かにキヨからの依頼を示すものだった。


 恐らく猫宮が先に開封し、それを久保が見てしまったのか。あの饅頭のような猫の手で一体どうやって開封したのかは謎であるのだが、久保が勝手に開封したとは思えないため、やはり猫宮の仕業だろう。

 ここ最近は怪異調査に忙殺されていたにも関わらず、まだ依頼をもってくるのか、と流石にキヨに対して怒りが湧いて来る。

 そのお陰で疲れた体を癒す時間、霧子と過ごす時間も減っていることが見藤の苛つきをさらに加速させるのだ。


「あのババァ……、少しは遠慮を知れ……」


―― 珍しく、見藤の口調が粗暴になった。


 こうして久保と東雲が事務所を訪れる日は、書類関係を頼めるため少しは気が楽なのだが、やはり現地調査は見藤でなければ務まらない。

 依頼内容は、檜山が口にした内容とおおよそ同じだった。

『遺体安置所にて遺体損壊、事例多数。怪異または妖怪とおぼしき検討はついているものの、何であるか断定はできず。速やかな解決を依頼する。』との内容だった。

―― そうと決まれば、手っ取り早く仕事を終わらせて休暇をもぎ取るまでだ。

 見藤は不敵に笑うと、猫宮に挑発するような口ぶりで言葉を掛ける。


「猫宮、この濡れ衣晴らせよ?」

「けっ、俺が同行してやるんだから速攻でケリをつけるまでだろう」


悪態をつきながらも猫宮は東雲に抱かれたまま、見藤を見上げる。

 久保からかけられた濡れ衣をそのまま口で否定しても面白くない、そんな猫宮の性格を熟知しているのか、今回の依頼は猫宮が同行することになった。流石に、遺体安置所に学生を連れて行く訳にもいかない。今回は、下手をすれば凄惨な現場を目の当たりにすることが容易に予想されるのだ。



 しかし、遥か昔のように風葬、土葬が主流であった時代ではない。妖怪が遺体を食い散らかすなど、人の目もあり到底できないことだと容易に想像できる。


「にしても、遺体安置所なんざァ。人の目につくような場所をわざわざ選ぶようじゃ、退治してくれと言ってるようなものだろ」


猫宮はそう言うと、同意を求めるように鼻を鳴らす。彼の言葉に見藤は頷いた。

 今回の事件。病理解剖や司法解剖が必要な病死による一部組織変性、もともと損壊している遺体ではなく、天寿を全うした遺体が妖怪によって食い荒らされているというのだ。死者への冒涜も甚だしい、なんとも気分が悪い事件だ。

 見藤は先程の猫宮の疑問に対して、事件背景について補足を入れておく。


「……ここみたいな都会だと、一般家庭向けに葬儀までの間だが一時的に遺体を預かる業者が数件ある。綺麗な状態の遺体というのは妖怪にとっては贅沢なんじゃないか?まぁ、今回起きたことは、そう言った業者で起こっているらしい。都会はアパート、マンション住まいが多いからな。葬儀までの間、マンションの一室に遺体を安置しておくと隣人やら管理会社やらが、とやかくうるさいらしい」

「うげぇ……いずれ自分の番がくるのにか?人間は面倒だなァ」

「あぁ、そうだな」


 猫宮の悪態に賛同する見藤。彼らの会話の内容があまりに刺激的だったのか、久保と東雲は顔を青くしている。少し配慮に欠けていたかもしれないと見藤は心の内で反省する。

 そんな陰鬱とした雰囲気を払拭するかのように、見藤は咳ばらいをした。


「まぁ、二人は事務所で書類関係を頼むよ……。ここの所、キヨさんに忙殺されそうでな……」

「任されました!」「はい」


頼りになる助手たちだと、見藤が呟くと二人も嬉しそうに頷いた。



 それにしても、今年の夏は異常だと見藤も感じていた。先の京都出張の折に、キヨが言っていた言葉にも何か意味があるのだろうか。彼女はただ、「大変そうだ」と言っていた。

 その言葉がこの多発する怪異妖怪が関連した事件のことなのか、生まれたばかりの認知の広がっていない怪異が霊魂を喰らい実体を得ることを指しているのか、分からない。

―― 分からないのであれば、せめてこの二人は少しでも遠ざけねばならない、見藤はそう考えていた。


「で、何か当てはあるのか?」

「まぁな。キヨさんの伝手で、その業者には既に連絡してあるらしい。まぁ、こういう業界だ、連携先も多いだろうな」


 元々、遺体の一時的な預かりを行う業者など、そうそう数がある訳ではないのだ。キヨの手腕もあるのだろうか、滞りなく事が行えるよう段取りは完璧だった。

 あとは、その問題の存在が姿を現す条件なのだが ――。見藤の挑戦的な言葉に、猫宮はにやりと笑った。


「大方、検討はつくだろ?」

「まァな。大体、死体を漁る妖怪なんてのは新月の夜に現れる。それも今じゃ……街灯のお陰で夜でも明るいからな、あまり意味もない。―― となれば、餌があれば食いつくだろうなァ、その程度の相手だ」


そう言うと、猫宮は東雲の腕の中から床に飛び降りた。その小太りな体からは想像できない軽やかな身のこなしで床に着地する。


 大昔には電気といった光源など存在しなかったため、月明かりだけが人々の頼りだった時代だ。風葬や土葬にされた遺体を怪異や妖怪が食い漁るには、新月の夜はただ都合がよかっただけの話である。

 それも現代においては夜中であっても煌々と灯りが差しているため、月の満ち欠けは関係ないのだという。

 それならば、次に件の妖怪が姿を現すのは ――、


「次に新しい遺体が運ばれてきた時、だな……不謹慎で申し訳ないが」

「まぁ、死は生物の定めだ。仕方ない」


 見藤の気持ちも理解できなくはないが、怪異や妖怪の行動は所詮、人間の倫理感には当てはまらないのだ。仕方ない、そう言うと猫宮は大きな欠伸をひとつ。


 そうして、キヨの指示の元。新たな遺体が運び込まれるのは、数少ない遺体安置所のうち、ただ一つに集約されることとなった。




* * *


「今日の晩だそうだ」

「あいよ」


 それから数日後のことだ、業者から見藤の事務所に連絡が入ったのだ。彼の言葉に、猫宮は準備運動と言わんばかりに伸びをした。

 猫宮のその小太りな体でどう妖怪を蹴散らすのか ――。見藤は少し不安を覚えるのだが、やる気に満ちている猫宮に野暮な事は言うまいと口を閉ざした。

 すると、伸びを終えた猫宮は見藤を見上げ、尻尾をピンと伸ばした。


「お、そうだ、見藤。先に連絡しておけ、棺桶は少なくても二つ用意しろ。そのうちの一つにはなんでもいい、何か肉が腐ったものでも詰めて置け。それを安置所におけとな」

「詳しいな……。それは囮か?」

「先人の知恵だなァ」


猫宮は自慢げに言うと、顔を洗っていた。

―― そうして、一人は休暇をもぎ取るため。一匹は濡れ衣を晴らすため、現地へ向かった。

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