番外編 最後にみたもの


 煙谷とひと悶着あってから数日後、見藤の体調は快方へと向かっていた。絞痕こうこんもおおかた薄くなってきた。少し襟のある服を着れば上手く隠せるだろう。


 廃旅館の火災に巻き込まれたことで、調査は一時中断された状態のままだ。その調査を終えなければ、見藤の仕事は溜まっていく一方だ。人間の不幸なことか、体は一つしかないのだ。


「はぁ……」


 溜め息をついても始まらない、いそいそと事務所を発つ準備をするのだった。


 そうして再びレンタカーを走らせる。煙谷がいないだけで心が軽いのは気のせいではないだろう。あの廃旅館へと向かう道中、何を思ったか道の駅へふらりと立ち寄った。

 少し寂れてはいるが、野菜や花などその地域で作られたものが多く並んでいた。


「お、」


そこで見藤の目を引いたのは、この地方で作られている酒だった。

 見藤自身、酒は滅法弱い。だが何気なく酒カップをひとつ、買った。ただの気まぐれだ。



* * *


 明るい時間に訪れてみると、廃旅館がある一帯は昔、温泉街だったのか少なからず建物を残していることが確認できた。だが、そのほとんどが廃ビルと化していた。

 そうしてあの廃旅館にたどり着いたが、前回訪れたときのような禍々しい雰囲気は一切感じられなくなっていた。


(仕事をきっちり終える所だけはまともだな、あいつ)


 あまり思い出したくない顔が頭をよぎり、首を振る。パキッ、と地面に転がった廃材を踏みながら、見藤は再び廃旅館の中へと足を踏み入れた。


 前回訪れた際は久保と東雲の件で余裕がなかったが、ここはあの目玉の怪異を除くと、怪異らしき気配が全くなかった。

 通常、怪異となり得る認知の残滓がいくら小さくとも、多少存在しているものだ。不自然にも思うが、信仰が廃れた山などそういうものなのかもしれない。


 見藤が二階へ足を踏み入れると、火災の名残が目に映る。煤が天井にまで伸び、あたりは広い範囲で焼け焦げている。あの目玉の怪異がいなければ、この廃旅館は全焼していたかもしれない。

 すると、うごうごとした肉塊を引きずる音が足元から聞こえてきた。


「お前……、」


 あの目玉の怪異だ。どこから現れたのか分からないが、見藤を見上げるあの目玉だ。その姿は以前よりもう一回り小さくなり、腕も一つしか残っていない。もう、時間は残されていないのだろう。


 見藤は煤で汚れることを気にも留めず地べたに座り、先ほど買った酒カップを目玉の怪異の前に置いた。


「この地域で作られた酒だそうだ。助けてくれた礼だ」


 カパッと、蓋を開けて置く。目玉の怪異はうごうごと近づくと、一本しかない腕で酒カップを持ち上げようとしたがなかなか上手くいかない。


「かければいいか?」


 見藤の問いに、こくこくと目玉の怪異が頷く。半分ほどかけた当たりだろうか、目玉の怪異は気持ちよさそうに目を細めている。どうやら気に入った様子だ。

 この目玉の怪異のように信仰も認知も薄れた怪異を救う手立てがないことはないが、見藤自らの判断で行うことはしない。自然の摂理とは厄介なものだ。

 目玉の怪異はしばらく酒で濡れた体をもごもご動かしたかと思うと、見藤の方をじっと見つめてきた。


なつかしい、味だ

「……、お前」

わたしの声は届くか

「あぁ」


見藤が少し目を見開く。

 この目玉の怪異に酒を与えたことを、お供え物として受け取ったようだ。その結果、短命ではあるが少しばかり力の補填となったのかもしれない。

 目玉の怪異は見藤を一瞥すると――。


きみの眼はみえすぎている

「……あぁ、これで若い時は苦労したもんだ」

時代がちがえばきっと、

「別にいいさ、今だから得たものもある」

きみに憑いているものか、きみはそうやって笑うんだな……ながくなるが、思い出話をきいてくれるか

「あぁ、」


そうして目玉の怪異は、ぽつり、ぽつりと話し始めた。




 どのくらい昔か、それももう曖昧だがこの辺りは小さな村が点々としていた。人は春になれば山菜を採るために山を訪れ、夏は山間に流れる川で魚を採る。秋は木の実やキノコを採り、冬に備えた。

 その山と自然の恵みに、人々は感謝していた。


 そんな、山と人との共存が心地よかった。人と仲がよかったことを覚えている。人の姿をとり、子どもたちとよく夕暮れになるまで遊んだ。

 その子ども達も大人になるにつれ、わたしのことは視えなくなっていったが、それでもその次の世代の子ども達が次の遊び相手となってくれた。そうして紡がれる人の暮らしが好きだった。


 あそこの子はもう五つになったよ、あそこの子はもう大人になった、村人同士で夫婦となった祝いの席だ、子どもが生まれた、めでたいなぁ、山の恵みに感謝するんだよ、今日のお供え物はこれにしよう、神様だから酒がいいだろう――。

 そんな様子を見守ることが好きだった。



 だがそれもいつしか、廃れていった。気づけば、もともと神とされるものはとうにいなくなっていた。

 そうして時代は流れ、次は徐々に自然が切り開かれていった。自然の恵みで栄えた時とは打って変わり、鉄の塊が次々と山へ入ってきた。

 この時から、怪異や妖怪達は少しずついなくなっていった。中には住処を奪われまいと奮起する妖怪もいたが、既にこの山の信仰は薄れ、大した抵抗にもならなかった。


 そうしてこの辺りは瞬く間に建物が立ち並び、人で賑わい始めた。人が好きだったこともあり、また人の営みを見守ることができるのかと、心が躍った。

 だが、それは決して純粋できれいな物ではなかった。何をそんなに追われていたのだろう。時間、金銭、格差、その時代の人はいろいろなものに追われていた。


 そうしたある日この旅館が建ち、あの一帯は温泉観光地となった。その旅館を訪れたものは皆、笑顔になって帰って行く。

 わたしが見たかったものだ、久しぶりに人の姿を取り人の目の前に降りたが、誰もわたしを視ることはできなかった。人は頑張っていた、何のために頑張っていたのかは分からないが、必死に働いていた。

 しかし、いつからだろう。


この旅館に、開かずの間が設けられたのは。


 それに怯え、残っていた僅かな怪異たちも逃げ出してしまった。開かずの間は繁栄を願い、神を強制的に出入口のない部屋に閉じ込めるもの。必然的に、わたしがおろされることとなった。自由を奪われ、酷い仕打ちをされたと思ったが、わたしには人と過ごした思い出があった。


暗く閉ざされた部屋にずっといた。どのくらいそうしていたのか、分からない。

ただ、向こうから聞こえてくる人々の楽し気な声を聞くだけで、満足だった。


 だが、それも徐々におかしくなっていった。部屋の存在は忘れ去られ、楽し気な声はいつしか聞こえてこなくなった。

 何をきっかけにしたのは分からない。黒く、渦巻いたものが旅館に蔓延るようになっていった。そして、死の連鎖が始まった。止めようとしたが、ここから出られない。

 時代の移り変わりとともに、信仰心を失い、わたしには食い止める手立てはなかった。


 外の明かりを見る頃には、ここ一帯は廃墟となっていた。あるのは、ここで命を落とした者達だろう、その怨念を携えた霊魂だけだった。

 その頃にはもう、わたしに力は残っていなかった。だけれど、ここに留まった。道連れにされていく人を減らそうとした。ここにある思い出を守りたかった。


今でも、思い出す。人と過ごした温かな時間を。




 目玉の怪異は、すこし震えていた。泣いているのだろうか。見藤はただ黙って聞いていた。沈黙が二人の間に流れ、外はおおかた日が傾いていた。

 ふと思い出したかのように、目玉の怪異は隣に座る見藤を見上げる。


ひとと怪異は、じかんの流れがちがう、そのことを忘れないほうがいい

「あぁ、忠告ありがとな」


きみの助力はふようだ、わたしはここで朽ち果てたい

「そうか、」

最後にきみのような人にあえてよかった


見藤は残った酒を目玉の怪異にかけた。酒を浴びた目玉の怪異はゆっくり目を細めた。


なつかしい、思い出と共に逝くよ

「あぁ、」


 そう言い終わるとしばらくして、深く息を吸い込んだかのように一度、少し膨らんだ。そのふくらみが縮まると目玉の怪異の体は、ぽろぽろと崩れ始めた。崩れ落ちた欠片は、更に小さくなって消えていく。

そこには、何も残らない。


 人や動物であればその者を偲んで墓標を立てることもできただろう、だが怪異はただ消えてゆくだけなのだ。そこに在った思い出も、何もかも消えてしまう。

 ただ、その存在を覚えているのは見送った見藤だけだ。そのことが、少しでも目玉の怪異への手向けとなればよい。見藤はその様子をただ、黙って見守っていた。

 そうして夕日に照らし出されたのは、見藤と空になった酒カップだけだった。


「…………帰るか、」


そう独り呟いた見藤の声音は憂いに満ちていた。


 後日、キヨの元へ送られてきた調査報告には「八十ヶ岳の怪異、消滅を確認。他怪異現象なく、別条なし」と記載されていた。


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