第8話 出張、京都旅③


 食事を終えた後、見藤と久保の二人は東雲の自宅へと案内された。そこは神社から少し離れた場所にあり、古風な一軒家だった。

 居間で軽く皆で談笑し、各々身支度を終え、就寝時間を迎える。それはなんら変哲もない日々の一幕であった。



 そうして、夜はさらに深まり ――――。


「流石に夜中だと、まだこの時期は冷えるな……」


深夜一時半。見藤は一人、神社の境内にある少し離れにある例の林にいた。

 祖父から受けた耳打ちの件だ。様子を見てほしいとは、何も現場で見張ってほしい、という訳では決してないだろう。しかし、見藤は不思議と気になって、ここまで足を延ばしていたのだ。


 昼間は活気付いていた神社の境内も、深夜になると打って変わった雰囲気で、不気味さを醸し出していた。上着を羽織ってきたはいいものの、この肌寒さは季節特有のものか、はたまたここの雰囲気によるものか。見藤は少しだけ肩を震わせた。

―― すると、背後から足音がする。


「……!?」


 こんな時間に人の足音がするなど、異変的なことだ。見藤は思わず身構える。

―― 怪異であれば手の打ちようはいくらでもある、人間であれば厄介だ。

 通常は真逆であるように思うが、見藤からすれば人間の方が厄介なのだ。見藤自身、武に通じている訳ではない。多少、護身術ができる程度の人間だ。悪意を持った人間の蛮行に抵抗するには心もとない。


 足音が徐々に近づくにつれ、その間隔は狭まっていく。しかし、そこで耳にしたのは聞き慣れた声だった。


「いた!見藤さん!こんな時間にどこに行くんですか!?」

「久保くん。と、東雲さんか……」


それは見慣れた顔ぶれだった。

 見藤はふぅ、と珍しく安堵の溜息をついた。二人は見藤を心配してここまで追いかけてきたのだろう。

―― が、足音はもう一つあった。三つ目の足音。


「っ、!!!」


見藤は咄嗟に久保と東雲の腕を引っ張る。二人は体制を崩す。ずささっと、二人が地面に倒れこむ音が辺りに響いた。


「え、何、何!?」

「うわ!?」


 突然のことで、何が起きているのか理解が追い付かない二人に対し、見藤は座り込む二人を背に庇うように立っている。


 久保と東雲が、恐る恐る後ろを振り返ると ――――。馬のような牛のような、鶏のような鳴き声を掛け合わせた、なんとも形容しがたい叫び声を上げながら、こちらに鈍器を振り下ろす人影が目に飛び込んできた。


 周囲は月明りだけで、どんな人相をしているのか分からなかったが、妙な事にその目だけはよく見えた。充血し、恨みが籠った目だ。瞬きをせず、こちらへの視線を外すことはなく、凝視している。その視線は ――、悪意を明確に感じさせるものだった。


「走れ!!!!」


 見藤の叫びが木霊する。久保は見藤の声にはっとし、恐怖で震える体を辛うじて動かす。隣の東雲はまだ立ち上がることができていない。咄嗟に手を貸そうと伸ばすが、それでは遅い。


「くそっ!!!」


見藤の悪態が聞こえ、久保の目の前で東雲の体がぐらりと傾いた。咄嗟に視線で追う。

 見藤が東雲を抱きかかえ、走り出したのだ。久保は慌ててその後に続く。駆け出すとき少し滑ってしまい、バランスを崩す。体感、ようやく駆け出した膝は震えていた。

 沸き上がる恐怖と、未知のモノに対する疑念は久保を駆り立てるように追及心となる。


「何ですか、あれ!!!」

「いいから走れ!!!」


しかし、久保の問いに答える余地はない。

 見藤に抱きかかえられている東雲は未だ恐怖で状況が理解できておらず、ガタガタと小刻みに震えている。二人が走り出すと、人影は当然のように追いかけてきた。

 が、その足音があまりにも不自然で、久保は後ろを振り返ってしまった。


―― なんと、その人影は四つん這いになりながらも、器用に地を駆けているではないか。要は四足歩行でこちらを追いかけている。

 得体の知れないモノは長い髪を揺らめかせながら、何やら呻いている。本当に人なのか……?そう疑問を抱かずにはいられない。


すると再び、その人影は依然「ぎゃぎゃぎゃぎゃっ!!!」と耳障りな声を発し始めた。まるで何かを訴えているかのようだ。


「っ、うるせぇ!!!」


その叫び声に久保は思わず耳を塞いだが、東雲を抱きかかえている見藤はその術を持たず、大きく悪態をつく。


 走る、走る、走る、とにかく走った。どこまで追いかけて来るのか、分からない。境内の端の端、鳥居のすぐそこまで走ってきた、そこでその人影は不思議と足を止めた。


「な、何なんだ……」


突如として止まった追跡を不思議に思い、見藤は足を止め、振り返った。

 久保と見藤はぜぇぜぇと肩で息をしながら、人影の動向を注視する。その人影は不意に見藤たちを追いかけまわすのを止め、四つん這いで何やら探し始めたのだ。

 そのとき、ようやく人影の風貌を目視できた。月明りに照らされたそれは、人の形を保っているものの、肉体の一部は歪み、髪や爪は伸び切り、皮膚はただれている。身に着けているものは汚れ、所々破けていた。

 その姿に思わず、久保はさっと視線を逸らした。―― 得体の知れないモノ、そう思う他なかった。


 すると――。鳥居の上から、境内の草陰の中から、小さな白蛇が這い出て来たのだ。それは見藤が昼間、境内に還した小さな白蛇の怪異だ。しかし、その数は一匹ではない。

 蛇の腹が摺れる音が、暗闇に響き渡る。その音は徐々に群れを成したかのように大きくなり、目に視える小さな白蛇はその数を増やしていく。


 みるみるうちに白蛇の群れは人影の行く手を遮り、それは見藤達を守るかのように集まってくる。白蛇の怪異が取った行動の意味を理解した見藤は、はっと腕に抱えたままの東雲を見やる。

 彼女にも白蛇の姿は視えているようで、青白い顔をしながらも状況を必死に理解しようと、目の前の光景を凝視している。


(東雲さんを守ろうとしているのか……?)


東雲の祖父が言っていた、この神社の神は大層、彼女を気に入っていると。


 しかし――。追って来た人影は、行く手を阻むように足元に広がった白い蛇の怪異を鷲掴みにし、喰らい始めたのだ。ぶちぶち、と肉片を噛みちぎる音が辺りに響く。それは一匹、また一匹と数を減らしていく。久保と東雲はその音と咀嚼音に、嘔気を催す。

―― 得体の知れないモノが、怪異を喰らっている。白蛇の怪異を食い千切っては捨て、また違う白蛇を食い千切る。それを何度も繰り返している。


「あいつ……!!!!」


見藤の怒りが籠った声が辺りに響く。

 すると見藤はふと、胸板を軽く叩かれる感覚に視線を下に向ける。青白い顔をしながらも東雲が「もう立てます」と消えそうな声で訴えたのだ。

 そんな彼女の様子を見て見藤は心配そうにするものの、東雲を地面に降ろす。見藤のその手は少しだけ震えていたのだが、今の状況で気付く者は誰もいかなった。


 肉を絶つ音、咀嚼音がしなくなった、と思った瞬間。得体の知れないモノは物凄い勢いでこちらへ振り返り、再びあの奇妙な声で大きく吠えた。その耳障りな声に三人は思わず、両耳を塞ぐ。

 その瞬間を隙と思ったのか。人影は四つん這いの体勢のまま、見藤に飛びかかろうとした。それに気付いた久保が、咄嗟に見藤の名を叫ぶ。


「見藤さん!!!!」


が――――。

 しかし、次には「ぎゃぎゃぎゃぎゃっ!」とあの耳障りな声を上げながら何かに怯え始めたのだ。その様子を見た見藤は思い当たる節があったのか、ふっ、と短く不敵に笑った。

 見藤が一歩前に出ると、それは更に顕著となり、奇妙な声を上げながらどこかに消えてしまった。


「こればかりは、助かった……」


 見藤の独り言に、久保は猫宮の言葉を思い出した。見藤には色々なモノが憑いている、と言っていた。それがどういう訳かあの人影を退ける手立てに繋がったのだろう。

 あまりの出来事に、久保と東雲はへなへなと地面に座り込んでしまった。


「な、何なんですか……あれ、死ぬかと思った……」


 久保の声は震えている。依然、東雲は口も開けないほどだ。流石の見藤も疲労が見えるが、久保の呟きに応えた。


「人だろうな……、」

「そ、んな訳ないじゃないですか!!! あんなの!!!」


久保は思わず、大声で叫んでいた。その言葉に見藤は首を振る。


「あれは……爺さんの依頼の、藁人形を打ち付けた奴だろうな、多分」

「どういうことですか……」

「跳ね返ってきたんだ」

「……のろいが?でも、それで、あんな風に、」

「人をのろい殺したいと思うほどの怨念と執念を持ってやったまじないが、自分に返ってくると、もう人には戻れない……。精神的にも肉体的にも異常をきたし始める……、ゆくゆくは怪異と人の狭間の存在になってしまう」


 見藤の言葉に呆然とする久保。―― あれは怪異でもなければ霊的現象でもないのか、と。

あのような恐ろしいモノが人であり、そして自分たちに危害を加えようとしていた事実に愕然とする。

 途端、昼間に見た、神社へ縁切りを願いに訪れる参拝客達も、気持ち悪く思えてきた。あまりの不快感に胃がむかむかしてきた。

 久保は思わず、口元を押さえた。


「う、吐きそう……、」

「ここで吐くなよ」

「でも、なんで、僕たちを襲ってきたんですか、」

「……十中八九、俺のせいだろう」

「??」


 恐らくだが、呪いの効力がないことを訝しんだあの人物は、丑の刻参りを何度も繰り返していたのだろう。効力がないということは、呪われた相手方も何か対策を講じたのか、呪いがその人物に跳ね返っていった。

 見藤が藁人形を回収したため、見藤が邪魔をしていると考えたのか。完全に、自分の落ち度だ、藁人形の呪いさえ無効にできればよいと考えていたと、二人に頭を下げる。

 そうして見藤は東雲に、咄嗟だったとは言え許可なく体に触れてしまったことを謝罪した。


「すまない」

「いやいや、見藤さんが謝ることじゃないでしょう!」

「そうですよ、私なんて寧ろ足手まといに……、」


見藤は二人の言葉に納得いっていない様子だが何度も久保と東雲の言葉を受け、その場はようやく収まった。そこで、疑問として浮かんでくるのだが。


「あれはあのまま放置でよかったんですか……?」

「あぁ、もう大丈夫だろうな……。ああなった以上、このまま存在し続けることはできない」

「でも、元々人間だったなら、誰か気づかないものなんですか……」

「この国は年間数万人の失踪、行方不明者がでている。よほど血縁関係でもなければ、気にも留まらない。……人を呪わば穴二つだ」


 苦虫を噛み潰したような顔で見藤は言い放った。そういうものなのだろうか。なんとも人間関係なんぞ希薄だと言われている様で納得できない、と久保は心の内に思う。

 そうして見藤はあの人形の呪いは既に無効となっていること、これ以上なにかに遭遇することはないと断定した。


 この件を、祖父に報告すると見藤が話した際、東雲は断固反対した。祖父には心配をかけたくない、何より参拝客達も同列の存在として見てしまいそうになる、それは避けたい、と。見藤は大いに悩んだ末、東雲の意思を尊重してくれた。


「はぁ……、ここの神さまの眷属には悪いことをした」


見藤はそう言うと少しだけ足を進め、しゃがみ込んだ。

 見藤がしゃがみ込んだ場は、あの人影によって喰い散らかされた白蛇の怪異の残骸が散らばった場所だった。

―― 頭がないもの、尾だけになったもの。久保と東雲からすれば、見たくもない残骸だ。その残骸はどういう訳か実体を保ったままだ。それにしても、喰い散らかされた残骸は普通の蛇のようであり、目にして気分がよいものではない。

 それをあろうことか、見藤は素手で掻き集め始めた。そして、まるで弔うように境内の端に埋めてやったのだ。


(……この人、少し、おかしい)


それは久保が抱いた、強烈な違和感。

―― 見藤は怪異に心を砕く。自らは人であるにも関わらず。

 そして、これまで見藤と過ごした短い時間の中で、彼はどこか人との関りが希薄だと久保は感じていた。だが一方で、一度でも自らと関わりを持てば手を差し伸べる。どこか矛盾した行動を見せる。

 久保の中で、見藤の行動原理を理解する答えはいくら考えても導き出せない。それはまだ自分と見藤の関わりが希薄だからであろうか。


(知りたい、もっと)


この世にも奇妙な世界のこと。そして、見藤のこと ――。

 久保が自らの心に抱いた所願を噛みしめていると、不意に東雲の呻き声が聞こえて来た。


「う、ぇ……」

「わーーーー!?まじか!!東雲さん!!!」

「ずみまぜん……」


恐怖と嫌悪感に耐え切れず、胃液を戻してしまった東雲。そんな彼女を介抱したのは言わずもがな、大変申し訳なさそうな顔をした見藤であった。



* * *


 翌朝。祖父は朝早くから神社の仕事で家を発っていた。簡単に朝食を用意してくれており、大変ありがたい。

 三人は軽く朝の挨拶を交わすと、疲労感からか無言で食卓についた。


「久保くんと、東雲さんは参拝に行ってくれ」


すると、薄っすら目の下に隈を浮かべた見藤から、突然そう言われた。

 昨日の今日で少し髪の毛がぼさぼさになっている見藤。普段は見られない見藤の寝起き姿をしばらく眺めていた東雲は、はっとして話を真面目に聞き始めた。彼女は相変わらずだ。


「俺は神に祈るなんて柄じゃないが、君たちは違う。ああいう存在との縁は早めに切っておくべきだ」


見藤の言うことは大いに頷ける。

 そうして神社を参拝することとなり身支度を進める三人にはテレビに映る、谷合の河川敷で発見されたのニュースなど耳に入っていなかった。


 朝食を頂いた後は神社へと赴き、久保と東雲は拝殿へと向かった。途中まで同行していた見藤は、二人を見送ると参道の反対方向へ歩き始める。鳥居の近くまで来ると、ふと視線を感じて鳥居を見上げた。


 白い大蛇の怪異だ。白い大蛇が神額しんがくに巻き付くように居座っている。昨日、喰われてしまった小さな白蛇の主神となるような存在だろう。

 すると、その大蛇は頭を下げた。それはお辞儀をしているようにも見える。見藤はつられてお辞儀を返した。


(何なんだ……、特にお辞儀をされることはしていないが……)


世の中やはり不思議な出来事もあるものだ、と思い留めておく。

 その大蛇は久保と東雲が参拝を終えて見藤の元へやってくるまで、そこに居座っていた。彼らと合流し、見藤が再び鳥居を見上げると、そこに大蛇の姿はない。いつの間にか姿を消したようだ。


「それじゃあ、俺たちは帰るか」

「そうですね……、流石に京都観光!なんて気分じゃないですよ」


久保は東雲と、また大学でねと挨拶を交わし、別れたのであった。



* * *


 久保は出発時とは違った面持ちで帰路に着いていた。見藤のまじないは悪いものではない、その考えは変わらないのだが ――。


 人が人の死を望み、人をのろうことがある、それは明確な人の悪意だ。それを目の当たりにしたのだ。偶発的に遭遇する人を襲う怪異と、その本質は違う。

 寧ろ見藤のようにまじないを得意とする者に、相手を不幸にするようなのろいを施すような依頼をしてくる輩とているかもしれない。その考えに至った久保は、人の醜悪さに気分が悪くなった。


「見藤さんはどうしてこの仕事を?」


座席に深く腰掛ける見藤に、久保は気が付くとそんな質問をしていた。

 見藤は少し考えた後 ――。


「この生き方しか知らん、からな……」


そう答えた。

 彼の答えがどんな意味を含んでいるのか久保には理解できなかった。しかし、唯一想像できること。恐らく、見藤はこの奇妙な世界に身を置く選択肢以外、持ち合わせていなかったのだ。―― 人でありながら、怪異に心を砕く。稀有な存在。


じゃ、いけない気がする……)


久保の中に、そんな想いが浮かんだ。

 新幹線が到着するまで、ただ沈黙が続いていた。


 ようやく事務所の最寄り駅までたどり着く頃には、再び昨日の疲労が見え隠れしていた。事務所の扉を開け、二人は慣れ親しんだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。それだけでも、帰ってきたという安心感が心を満たす。


「お、ようやく帰ったか。遅かったな。って、うわ、何だ! 突然!!?」


 猫宮の出迎えである。あの小さな白蛇の最後を目撃していた見藤は堪らず、猫宮を抱きかかえると撫でまわした。ものの数回撫でただけで、短い毛並みがぼさぼさになっていた。

 しかし、猫宮も所詮、猫である。口では文句をいいつつも喉をゴロゴロ鳴らしていた。久保はその光景を神妙な面持ちで眺めていた。


「そうだ、お前ら。土産はどこだ?」

「…………」

「あ、」


―― しまった。すっかり忘れていた、と久保と見藤の額に冷や汗が浮かんだ。

 お土産がないことを知り、怒り狂った猫宮。そんな猫宮に見藤は強烈な猫パンチを食らい、久保は思い切り脛を噛まれた。

 疲れ切った体に容赦のない仕打ちは、さしずめ流石怪異というところだろうか。痛みに耐えかねた久保の悲痛な叫びが木霊していた。

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