ミロクライスト航行記
ウィステリア
第1話 白い粉
私の名前はシバ・ヤスマロ。
故郷の惑星を後にして、新たな居住地へ向け航行中の宇宙船ミロクライストの乗組員の1人だ。
56億7千万2048年に及ぶ歴史の末、私たちの惑星はついに生命が住める可能性のない環境となった。私はその失われた故郷の歴史を記す役割を担う書記官。
宇宙船の内部環境は、生物がもっとも安定した発展を遂げたとされる第5次と第6次生命大量絶滅の端境期の気候を基盤に作られている。
私は今日も書記官の任務を全うするために宇宙船の職務室へと向かう。
四畳半の草庵が私の作業場だ。
がらんどうの部屋の中央には半透明な球体の容器が宙に浮かんでいる。その中に入っているのが「思念の化石」と呼ばれるものだ。
「思念の化石」とは、この惑星の長い歴史で起こった生命による化学反応の集積の痕跡。私たちホモ・サピエンス・サピエンス・サピエンスのみならず、動物、植物、昆虫、細菌の類に至るまでのそれを封じ込めた不定形のフォグである。
私は眼を閉じ呼吸を整える。それからフォグの入った容器に両手をかざし、精神を集中すると、そこからいくらかの情報を引き出すことができるのだ。それを再生機にかけて文字や時空間を伸縮できるホログラムの形で残していく。
この能力は私に固有のものなのだが、私の一族は代々何らかの形で惑星の歴史を記す職業に就いてきた。語り継ぎや文字という形で。そう私は今は亡き両親から聞かされている。
「今さら過ぎたことに恋々として何になる?こんな非生産的なポンコツ君に僕の宇宙船の貴重な空間や時間に割くべきじゃないね。しかもその再生されたホログラムは伸縮自在に編集可能なんだろ?ならこいつの主観も入ってるんじゃないか?」
このような嫌味を同じ乗組員でありミロクライストの所有者でもある実業家から言われることがある。歴史など意味がない、というお決まりの批判だ。
しかし意味を考えるのは今の私の仕事ではない。惑星での世界政府最後の決定だったのだ。私は私の職責を果たすばかりである。
そういうわけで、フォグに手をかざし、今日は植物史を探った。私の未熟さゆえか、漠然とした絞り込みでしか歴史を触知することできない。
白い、大量の花がホログラムに浮かんできた。緑の穂先に点々と。やがてその一粒一粒が受粉して、辺り一面、見渡す限りが黄金色の細波のように風に
この植物は何?
部屋の外でホラグラムを見ていた植物学者が私の心を読んだように答えてくれた。
「これはコムギ。第5次と第6次の生命大量絶滅の端境期に惑星で最も栄えた3大穀物の一つと言われているわね」
コムギ。これが教科書に出てくるあの伝説のプレデターの風貌なのか。
「時の支配的な霊長類ホモ・サピエンス・サピエンスに主食ともなる魅力的な実を安定的に提供することで自らにかしずかせ、周りから、ライバルの植物は『雑草』として、食べにくる昆虫は『害虫』として、追放した。そしてコムギの王国を築き上げたというわけ。最盛期には自ら『白い粉の下僕』と名乗る食品ブランドまであったほど。ホログラムとはいえ実物を目にするのはわたしもはじめてだわ。今日からわたしの植物園のコレクションとしてコメの隣に加えさせていただくわね」
ここで私の集中力は尽き、ホログラムは唐突に消滅した。これで今日の私の仕事は終了だ。
「おいおい、もうポンコツ様の充電のお時間か」例の実業家は言った。「こんな作業に意味があるのかねえ?」
眠れ眠れ、眠っている間、世界は存在しない。しかし歴史は残り続けるだろう。
「ミルクルミャーオ」、乗組員の猫が同意するように答えてくれた。
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