51.灯火と火種



 瑠佳からの問いかけに、アリサは一つの答えを見出していた。

 それはあまりに信じがたく、けれど確信めいた答え。


「……染井美代さんの方が、――」


 篝乃庭に植えられていた彼岸花は、初代アリスさまの遺物。

 彼岸花を『篝』と呼ぶのは、染井美代の出身に由来するもの。


 加えて、染井美代には生まれながらの事情があり、それが原因で疎んじられていた。

 初代アリスさまが『アリス』という愛称だった理由――もしも、悠芭が話していた推論が正しいとすれば。


「美代さんが抱えていた事情というのが、だったのですか?」


 アリサが導き出した答えに、瑠佳は満足そうに微笑み返す。


「聖澤さんはもう一つ、興味深い推論を立てていたわね。『不思議の国のアリス』の当時の和訳。もしかしたらそれも当たっているかもしれないわ。日本で最初に訳されて出版されたのは『鏡の国のアリス』を翻案した『鏡世界』だけど、そこに登場するアリスの名前は『美イちゃん』というの。これは『美代』という名前をもじった愛称だから……」



 ――『原文通りに「アリス」と書いているものもあれば、中には「愛ちゃん」や「」といった、日本人らしい名前や愛称に変更されていることもあったのです』



「礼さんの方が『あや』と読むから『アリス』は、少し苦しいわね。でもそう考えざるをえなかった理由も分かるわ。伝承では礼さんの方がアリスさまになっているんですもの。まさかここが覆るなんて思ってもみなかったでしょうから」


「美代さんが本当の初代アリスさまなのだとすれば、どうして伝承では……」


「それも、のちの篝乃会の仕業よ――篝乃会の会長を引き継ぐ方がアリスさまと呼ばれるようになったあと、最初のアリスさまである美代さんが殺人を犯し、篝乃会で語るのはタブーになってしまった。だから『花篝の礼』をでっち上げて、あたかも礼さんの方が初代アリスさまであるように偽ったのよ。美代さんに殺されたのではなく、美代さんを救うために命を失ったという美談に仕立て上げてね」


 アリサは言葉を失った。

 瑠佳の話が本当であれば、アリスさまの伝承はすべて虚言であり、友愛を語るものではなくなってしまう。

 それどころか――本当の初代アリスさまは、嫉妬によって大罪を犯している。


「ねえアリサさん。今の話を聞いても、アリスさまが友愛の象徴だなんて言えるかしら」


 甘い囁きが、アリサの心に再び忍び寄ってくる。


「アリスさまなんて、そもそもが嫉妬に塗れた存在で、尊ばれるべきものでもないのよ。むしろ私にこそ相応しい……いいえ、にこそ相応しいものよ。同じ嫉妬を抱える者同士のスリーズ。セイラさんたちのような紛いものではなく、マリアさまのお導きによって真に選ばれた仮初めの姉妹、それが私たちなのよ」


「マリアさまの、お導き――」


「そうよ。それにね、私がアリスさまになることは、アリサさんにとってもいいことなのよ。セイラさんやご両親を見返すチャンスなの」


「チャンス……?」


「そうでしょう? 私がアリスさまになれば、セイラさんはアリスさまにはなれない。けれどアリサさんは、アリスさまである私のスリーズとなり、次期アリスさまの筆頭になる――いいえ、まず間違いなくアリスさまになれるわ。セイラさんさえなれなかった純桜の象徴になれる。はっきりとセイラさんをになれるのよ」


 歩み寄ってきた瑠佳の手が、震えていたアリサの指先を柔らかく包む。

 アリサは思わず後ずさろうとしたが、後ろにあった机に腰をぶつけて退路を失う。同時に、シクラメンを差した硝子瓶の倒れる音が鈍く響いた。


「今のアリサさんを見ているのが辛いの。セイラさんのことを健気に追いかけ続けているのに、セイラさんはアリサさんのことを見ていない。距離が遠過ぎて見えていないのよ。だってアリサさんは、追いかけてはいても追い抜こうとはしていないもの。ただ遠くから眺めて憧れているだけ。実の姉なのに、いつまで経っても近づくことがない。ただ離れていくばかり……。


 ほら、こうやって手を繋いでもらったことはある? 抱き締めてもらったことは? いつか私がしたように髪を梳かしてもらったことは? 泣いている時に傍にいたのは誰? セイラさん? 違うでしょう? 誰があなたの気持ちを分かってあげられる? 本当の気持ちを理解してあげられるの? 痛みを癒やしてあげられるの? 同じ痛みを味わっているとしたら誰? セイラさんだと思う? ねえ――アリサさん?」


「――――…………っ」


 胸の奥底で小さく揺れている灯火の中に、一つ一つの問いかけが火種となって投げ込まれる。目眩がするような錯覚に襲われ、答えを考えるよりも早く飲み込まれそうになる。


 いや――答えなんか、考えるまでもないこと。

 だから答えない。言葉を持てない。持つ必要がない。


 再び抱き締めてきた瑠佳の温もりに、アリサの腕はもう、どうしようもないほど従順に縋りついている。


「ねえ、アリスさまになりましょう。私と一緒に」


「……わたくしに、なにをしろと仰るのですか」


「簡単なことよ。まずは、私がお茶会でやろうとしたことの続き。あの時は、アリサさんのせいでフイにされてしまったから」


「まさか、また舞白さんに……?」瑠佳の腕の中で、アリサは懸命にかぶりを振った。「そんなの、ダメです。舞白さんを傷つけるようなこと……」


「そんなに稲羽さんのことが大事? あの子がこのまま篝乃会にいたら、あなたがアリスさまになるための障害になるかもしれないのに」


「舞白さんは、わたくしの親友です。舞白さんが抱えている問題も、あの子の口から教えてもらいましたわ。わたくしにだけは、胸のうちを明かしてくれたのです」


「胸のうち?」


「だからその、お胸のことを……過去に、男性から暴行を受けて、それでトラウマに」


 アリサの切迫した声に、瑠佳は押し殺すような笑い声を立てた。


「呆れたわ――まさか、それだけのことしか話してもらえていないの? それで親友だなんて、見くびられたものね」


「どういう意味ですか……? それでお姉さまが、同室になられたんじゃ――」


、と言っているのよ。親友のアリサさんにさえ話せない、でもセイラさんは知っている稲羽さんの本当の秘密――知りたいとは思わない?」


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