たった三年で

 テレビで“猫屋敷で白骨死体発見”のニュースを見た時には、とても他人事とは思えなかった。白骨死体が、例えばその家の住人による孤独死によるものなのか、もしくは全く別の他殺体によるものなのか、ニュースでは明らかにされていなかったが、もし前者であれば、北陸の実家に一人で住む母親がまさにそうならないか日々心配している。


 母親はセルフネグレクトの末、家がごみ屋敷と化し、さらに多頭飼育崩壊を起こしている。

 きっかけは三年前の父親の死別である。父は母より三歳年上だったので、先に逝ってしまうのも自然の摂理なのかもしれない。最期は特段大きな病気にかかることもなく、認知症にもならずに、老衰で安らかに亡くなっていった。大往生だっただろう。

 父親がいなくなってから、母親は次第に無気力になっていった。学生の頃から知り合いだった二人は実に半世紀以上の人生を共にしていた。その伴侶がいなくなってしまったのだから、その悲しみは計り知れないだろう。


 父親との死別によって、母親が精神的に不安定になってしまうのではないかと感じ、二週に一度、週末に埼玉の自宅から北陸まで車を走らせ様子を見に行った。

 初めのうちは、雰囲気が暗いなと思う程度であった。母親自身、気持ちの整理が出来ていないのか、父親は今は出かけているだけで、まだ生きていると思い込んでいることもあった。


 それが三ヶ月を過ぎた頃から徐々に異変が起き始めた。

 いつものように二週間ぶりに実家に帰ると、家のキッチンと居間が泥棒にでも入ったかのように散らかっていた。お菓子の包装紙や箱、紙ごみ、新聞やチラシなどが散乱していたのだ。さらに水回りも洗っていない皿が積まれていた。本人の身体からも饐えた臭いがしていた。


 本人に聞くと、これがいつも通りだと言う。あまりにも散らかっていたので、本人に代わってごみを捨てようとすると、「それはいるもんなんだよ!」と急に怒鳴られてしまった。だからその日は明らかにごみと分かるものだけを捨て、皿を洗い、風呂を沸かし母親に入ってもらった。



 それからさらに二週間が経つと、新たな問題を起こしていた。実家に行くと一頭の猫がいたのだ。家に入った時、家中から糞尿の臭いがしたのはそのせいだった。身体は痩せ細っていて、目ヤニをつけた白と黒と黄色の三毛猫。去勢もしていなく、病気も持っていそうな成猫だった。野良猫だろう。


 母に尋ねると家の庭に入ってきたらしく、お腹を空かせてそうだったので、家に入れて食べ物をあげたら棲みつくようになったらしい。

 母親はその猫を「たま」と呼んでかわいがっていた。日を追うごとに家が散らかり、無気力になってきていた母親に、猫を飼うような管理能力はないと分かっていた。ただその一方で、無気力の原因が伴侶を亡くしたことによるのは明らかで、母親には気晴らしに会話ができるような親しい交友関係も、暗い気持ちを忘れさせてくれるような夢中になる趣味も持ち合わせていなかった。


 また、自分自身も来年大学受験を控える娘のことや職場の関係から埼玉の自宅から離れるわけにもいかず、結局のところ実家で一人で暮らしている母親の心の拠り所として猫が必要なのではないかと思ってしまうと、無碍に猫を自然に戻せとは言えなかった。

 さらに母親自身は料理をするのが億劫になってしまったようで、食事をほとんど摂っていなかった。宅配サービスを提案したが「自分でやるからお前は何も言うな!」と拒絶されてしまい、もうしばらく様子を見ることにしたのだ。

 だが、それらの判断がより事態を悪い方向に持っていってしまった。



 次に実家に行った時には、猫は三頭に増えていた。いずれも痩せ細った成猫で腹を空かせたような飢えた眼差しでこちらを物乞いしそうに見ていた。母親はどの猫も「たま」と呼んでいた。オスが二頭、メスが一頭。


 母親自身は以前にも増して痩せ細っていた。本人に聞くと食事は二日に一回しか摂っていないという。風呂も一週間に一回入るぐらいで、家もごみが大量に溢れかえっており、生ごみ、猫の糞尿、さらに母親自身から漂う体臭で、異常な生活環境だった。

 明らかなセルフネグレクトだった。


 セルフネグレクトとは、自己の衛生や健康行動を放任してしまうことで、日本語では「自己放任」あるいは「自己放棄」と訳されている。病気や入院、身内の死去などの環境の変化により、生活すること自体に興味がなくなり無頓着になり、次第に食事がおろそかになったり、風呂に入る頻度や歯磨きをすること、服を着替えることなどが少なくなっていき、不要必要の判断も手間になりごみが溜まったり、または物を溜め込むようになったりして家がごみ屋敷と化していく。さらには無関心による家の無施錠から、野良猫が自由に入り込んで棲みつくことがあったり、寂しさからなのか、収集癖からなのか猫を拾ってきてしまう。猫の糞尿によりますます家の衛生環境は悪化し、去勢も不妊手術もしてなければ、どんどんと子猫が生まれていき、自分の食事も猫の餌もままならず、最終的には多頭飼育崩壊として、生活が破綻してしまう。


 母親がまさにそれだった。母親を含めセルフネグレクトの方は手助けを拒む傾向もあった。いくら家を掃除しようとしても、「これはいるもんだから勝手に触るな!」と怒鳴り出し、食事の心配をして宅配サービスを提案しても「お前に強制される必要はない!」とまた怒鳴られる。

 できる事としては、猫を動物病院に連れていき、健康診断とワクチン接種、去勢・不妊手術などをすること、それから母親と猫たちの食事や生活費代を置いていくことぐらいだった。

 だがそれも次に家に行くと、家は以前よりもごみで溢れかえり、猫の数も増える一方で、こちらの貯金も減っていくばかりだった。


 セルフネグレクトという言葉を知ったのは、母親がその言葉通りの人物になってしまった後のことだった。


 もう少し早い段階で知っていれば、その対処方法も変わっていたかもしれない。

 正確な数は把握できていないが、今や猫は三十頭近く棲みついてしまっている。


 この三年で母親の姿はめっきり変わってしまった。痩せ細り、腰が曲がり、体臭がひどく、虚な目でこちらを見ている。

 介護サービスを提案しても「いらない」と拒否され、地域の支援センターに相談したくても「必要ない」の一点張りが続いており前に進めずにいる。


 いつか家に帰った時に、大量の飢えた猫に囲まれて、母親が息絶えていたらと思うと心配で仕方がない。なんとかしたいが何もできない日々が今も続いている。


 「たま」と名付けられた無数の猫は餌を求め、飢えた目でこちらに訴えかけ続けていた。




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