第3-5話 モフモフを拾う

 三娘は設定を忘れている。などと指摘する余裕はなかった。

 腕をひっぱられ、転びそうになる。


莫迦バカ。危ないから小屋に入っていろ」


 作業小屋は簡易な掘っ立て小屋だ。逃げ込んでも雷が落ちたらひとたまりもない。自然の脅威の前には人間も路傍ろぼうの石も大差ない。

 照勇は襤褸ぼろ小屋の中で身体を縮こめて、嵐が過ぎ去るのをただ祈った。


「二刻もしないうちに通り過ぎる。わしらはただ待ってればええ」


 荷阿一の言葉には重みがあった。なにもできないのなら、ただ受け入れるしかないのだ。


 喉を潤した李高が眠りに落ちたころ、荷老翁の言ったとおり、天候はまもなく回復した。荒天が幻だったのかと思えるほど空は澄み、太陽が輝いた。


「さてと、わしは落雷があったところを見にいってくる」荷阿一が腰をあげた。「火事になるとたいへんだからな」


 火種がくすぶっていたら今のうちに消しておかなくてはならないのだと老翁は言う。


「一緒に行ってもいいですか」


 照勇は老翁を手伝おうとあとに続いた。

 落雷の爪痕をしっかりと見ておこう。すっかり晴れわたったいまなら怖くはないはずだ。

 だが実際に目の前にすると息が止まった。これは災厄だ。天から振り下ろされた雷の斧は見事に巨竹を両断して根元まで──


「根元に転がってる丸いもの、あれはなんですか?」


 動いている。白と黒。照勇は目をみはった。


「おや、おや、おや」


「白と黒か。陰と陽を一身に引き受けたその動物は……?」


 書物で読んだ覚えのない生き物だった。見た目は熊に似ている。


「こいつは珍しい。もっともっと山奥のほうに住んどるはずなんだが。ふうむ。まだ成獣になってなさそうだな。ずっと昔、もっと大きいのをわしは見たことがあるんじゃ」


「近づいて大丈夫でしょうか。黒いところ、もしや火傷したのでは?」


 心配で近寄ってみたが怪我や火傷ではなさそうだ。


「猫の一種かもしれんな」


「猫……」


 手を伸ばす。


「熊かもしれんから気をつけなされ」


「熊……」


 手を引っ込める。

 照勇が挙動不審になっているすきに、横からすいと伸びた手があった。


「やあだああ、かわいい!!」


 それはまぎれもなく三娘の手だったが、三娘の声だとは思わなかった。女の子の声だったからだ。

 三娘はその生き物をぎゅっと抱きしめて頬をすり寄せて、鼻の穴をかっとひろげてくんかくんかした。

 その生き物は明らかに嫌がっていたが、動作が鈍すぎて、三娘の変態的な拘束から逃れられないようすだった。


「温和な性格のよう……ですね」


「お嬢さん、やめなさい。野生動物は甘く見ちゃいかんぞ」


 危険な野生動物はむしろ三娘のほうだろうが無粋な指摘は命取りだ。


「なんていう動物なの?」


 三娘は老翁に問う。老翁は真顔で、「熊猫(パンダ)」と答えた。適当すぎる。


「そうかあ、猫かあ。ようし、お姉さん、飼っちゃおうかな。ね、一緒に旅しようか」


 老翁の忠告など鼓膜に届いていない。


「姉さん、生態がわからないんだから飼えるわけな──」


「生態かあ。この仔なにを食べるんだろう。やっぱ肉かな。あ、あれ食べるかな」


 三娘はくるりと踵を返し、小屋に戻った。老翁と照勇は悲鳴をあげた。李高があぶない。


 さいわい、熊猫の好物は人間ではなかった。

 熊猫は笹布団の真ん中で一心不乱に竹を食んでいる。

 それをニマニマと眺める三娘。

 寿命が縮んだと吐息をつく老翁。

 死んだように眠る李高。

 照勇は熊猫の真似をして笹をかじってみたが不味いだけだった。

 



 荷老翁は一度村に帰るという。


「渓谷を渡った向こう側ですよね。でも橋が流されちゃってましたよ」


 老翁は別の橋を渡ればいいと教えてくれた。山の中腹をつなぐ吊り橋があるのだそうだ。高さがあるので水かさが増していても水没することはない。


「もっとも大風でぶっ飛んでるかもな。うちの村に来るなら家に泊めてあげるぞ」


 はっはと快活に笑った老翁は、小屋に隠してあった干し飯を分けてくれた。


「じゃあ、またな」


 そりに青竹を積んで去っていく姿を見送った。ぼくたちは李高の熱が下がるまで足止めだ。不平を言いそうな三娘が熊猫に夢中になっているのは好都合だった。

 夕暮れになっても老翁が戻ってこないところをみると、吊り橋は無事だったのだろう。

 翌日になると、李高の熱はすとんと下がった。


「もう一日くらい休んだほうがいいよ、李高さん」


「大丈夫だ。歩ける」


 無茶でかためた強がりなんて、かっこわるいのを通り越して悲壮で虚しい。一方、三娘といえば──


「熊猫ちゃーん」


 熊猫を胸に抱きしめて、地面でごろごろしている。

 李高が辛そうに頭を振った。


「……おれ、高熱で脳をやられちまったのかな」


「慣れてください。見慣れれば怖くないです、たぶん」


 かわいいという理由で野生動物を飼うのはどうかと思うし、熊猫にはいい迷惑だろうが、自分にとっては契機になるかもしれないと照勇は考えた。

 熊猫にもっと夢中になって、いや、熊猫でなくてもいい、なにか大切なものができて、石栄のことなんか三娘の心から飛んでいってしまえばいい。


 だが少しだけ不安にもなる。

 三娘の表情はとろけている。雨上がりのぬかるみよりひどい。

 高熱を患った李高よりも症状が悪い。もしや熊猫は毒を持っているのでは。それともかわいらしさとは、それ自体が毒なのか。

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