第2-13話 照勇の屁理屈
「正直者が莫迦をみる世の中だから見逃せと? だが知事であるわたしを謀ろうとしたことは赦しがたい」
言葉とは裏腹に、丁禹はニヤニヤと笑っていた。なるほど、わかった。彼は性格が悪いのだ。
「それは、知事さまのご威光が眩しすぎたせいでしょう。庶民は斧を恐れます」
首を斬りおとす斧は権力の象徴である。
弓月のウソに気づいていながら、じっくりといたぶるつもりだったのではないか。庶民が恐れるのは知事の見識ではなく権力にすぎないのだ。嫌味を言わないとおさまらないくらいには、反抗心がむくむくとわいてきた。
「知事さまにとって我らは道端の虫けらにすぎません。踏みつぶされぬよう身をひそめるのみ」
丁禹はこめかみの血管をぴくりと波打たせた。そしてようやく生意気な妓女見習いに
威圧するように目を据えてくる。
照勇もまっすぐに見つめかえした。
「わたしは虫の声を聞き分けるのが得意だ。言いたいことがあるようだな。事件に関係することであれば聞こう」
「はい、もちろんです。賄賂を受け取ろうとしない清廉潔白で公正無私な知事さまだからこそ、あえて声をあげさせていただきます」
丁禹は片方の眉をあげた。
少々白々しすぎたか。この知事におべっかは通じないようだ。
振り向かせることができたのだ。あとは正面からぶつかってみよう。
「そもそも、客人の死因は額の傷なのでしょうか。わたしは違うと思います」
「……ほう、面白い。そなたの見解は?」
「脳になんらかの損傷が起こったのだと思います。出血か、あるいは血が流れなくなったか」
血の塊ができて血流を滞らせたのだ、という沢蓮至の診立てを、童女が口にしてしても、かえってあやしまれるのがオチだ。首を傾げて無知のふりをした。
「ならば額をぶつけたときに損傷が起こったと考えるのが妥当ではないか。因果関係に矛盾はない」
「ほかに外傷はなかった。わしが保証する」と医者が口添えした。「頭部を強打すれば脳内の血管が破れてもおかしくはない。脳を開けるわけにもいかないから出血か
「血が固まると塞栓症と言うのですね。勉強になります。塞栓だった可能性もあるということですよね。……額の小さなこぶとはどんな関係になるのでしょうか」
照勇は『頭部の強打』を『額の小さなこぶ』と言い換えて、たいした怪我ではなかったことを強調した。
丁禹が「ほう」と言ってにやりと笑んだ。先を読まれているようで、ひやりとする。
「その場合は……」医者は一瞬口ごもった。「偶然となりますかな……」
「はたして偶然なのでしょうか」
「どういう意味だ」
丁禹は
「客人が酔っ払っていたことは大勢が目撃しています。朱老太婆によれば、いつもと同じように大量に飲んでいたとのこと。酒は飲みすぎると毒となり肝臓を壊します」
「では肝臓の病で死んだというのか」
「いいえ、肝臓が死因だとしたらお医者様は見逃さないでしょう」
医者は「もちろん、一目見ればわかります」とうなづく。
照勇は記憶の中の医学書を引っ張り出した。五臓六腑は調和することで健康を保つ。どれかが弱まっても強まってもいけない。
「昨日はかなり酔っておられました。多飲は血のめぐりを乱し、調和を損ないます。血流が増え肝臓を酷使し心臓に負担をかけ、突然不具合が起こることがあります」
「こういう場所ではハメをはずして飲む癖があったのだろう。珍しくはない」
「いえ、妓楼の料理に問題があったのです。どれも味が濃い。だから喉が渇いてついついお酒を飲んでしまうんです。お酒を飲みすぎたお客さんはしばしば厠に行かれます。お医者さま、なにか関係があるのではないでしょうか」
「飲酒にともなって排尿が増えるのは、そのとおりだ。飲みすぎた翌朝、喉がからからに乾いて、尿意で目が覚めるからな。……ああ、体から水分が失われると、血がどろどろになる。つまり……血が詰まりやすくなる……」
「ひいっ……!」
朱老太婆が喉が裂けたような悲鳴をあげた。
すぐに厨師の阿辺が呼ばれた。阿辺は朱老太婆の指示で濃い味付けにしているのだとすぐに白状した。
「客の身体を損なうような味付けにしたのはなぜか」
知事の問いかけに、朱老太婆はすかさず弁解をする。
「妓女を守るためなんです。あの娘たちの身体を少しでも休ませてやろうという親心だったのです」
酔客は妓女と部屋に入れば、たとえ行為に至らずに酔いつぶれてしまったとしても、花代を支払うきまりになっている。線香一本単位の時間売りよりも泊まりのほうが花代が高い。妓女をゆっくり休ませてあげようと配慮したのだと朱老太婆は言う。
「ウソよ」芙蓉が鼻で笑う。「客が寝ているあいだに、空き部屋でほかの客の相手をさせるじゃないか」
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