〉〉〉《タワー》
複数のゴイムの痕跡は大きな手掛かりであった。僕らのモニターはレンダリングで管理AIに報告されており、すぐに調査班がサブウェイの調査に乗り出した。
残念ながら、研究員は調査班に加わることができない。僕らは研究ラボにログインするしかなかった。それを命じたのはガバリャンであった。
僕は《タワー》の上階に呼び出され、入り口の連絡橋の前で待たされた。二級国民は一級国民のみが許される最上階にはアクセスできない。だから、なにかあるとこの連絡橋で待たされる。《タワー》は《データ・センター》の中枢格であり、エントランスホールの真上に存在する。連絡橋から真下を覗けば、人々が自由気ままに闊歩している様を俯瞰できるのだ。
しばらくしてガバリャンが現れた。二次元から三次元へと姿を投影したガバリャンは開口一番に「よくやったね」という。
「カーツ君。君の調査のおかげで例の生物の痕跡を発見できた。さっそく外部調査チームが捜索をしている。上手くいけば、彼らの棲家を見つけられるやもしれん」
僕には、その言葉がとても怪しく思えた。ガバリャンの持つ権限には生態系の調査のほかに、対処なども一任されている。外部調査班に殺処分の命令を下すことだって可能だ。
「それに、調べるべきことはまだ山ほどあります。これから正式な申請手続きを行いますが、ニューヨーク島全域の調査権限が欲しいのです」
「ふむ」
ガバリャンのアバターが考える素振りをする。アバターは本人の思考や感情を感知して連鎖する仕組みになっているが、如何せん僕は信用していない。
「構わない……と言いたいが、ハーナという君の助手はどうもいただけんな。《マザー》からの報告では、ハーナが二級国民に上がりたいのは、グレードアップしたメンタル演算能力と処理容量を娯楽に使いたい、という可能性を示唆している。ハーナは長らくアート・メタバースに入り浸っていたろう?」
僕は頷く。
「たしかにそうです。ですが、そうとも言い切れません」と否定もした。
「ハーナは芸術に触れて科学への興味が湧いたのかも。《マザー》は統計からの推測はできても、人間のメンタル・データの中にある予測不能な閃きや突発的感覚衝動に関するデータは不十分なのでしょう?」
この発言はのちに迂闊だったと後悔した。なぜなら、ガバリャンの顔が曇ったから。
「……君は《マザー》を愚弄するのかね、カーツ君?」
重々しくいった。僕は平然を装いながら首を振る。
「そうはいっていません。《マザー》は我々を管理しているAIです。ですが、AIだって、元は人間が作ったものですから」
こんな発言をしたら、きっと管理者たちはいい顔はしないだろうし、僕もガバリャンからどんな評価をくだされるかわからない。《マザー》を神格化している管理者は少なくない。現在置かれているこの環境の恩恵はたしかに《マザー》のおかげだ。だが、《マザー》は神じゃない。プログラムなのだ。
「君のいうことは間違っていない。だが、その思考から算出された言葉も、君が私の言語を理解し、その意味や返事を考える能力もすべては《マザー》が管理するものからだ。君は、そのことをまるでわかってない」
そうだ。僕らは当に、人間であることを忘れてしまっている。
〈私はまだ世界を知らない〉
「カーツ君、大丈夫かね?」
「はい?」
突如、ガバリャンは困惑の表情に切り替えた。
「どうも、君はゴイムを研究してからおかしいものばかり見受ける。もしかすると、メンタルモデルになにか不調が出ているような気がしてならない」
「はあ」
「たまには、研究をやめてメンタル調整やデフラグリフレッシュなどを受けてみてはどうだろうか」
疲労などあるわけがない。だが、思考に行き詰まったり、考えが正常にまとまらないといった不調はある。
それは《マザー》が作り上げたプログラムの中にそう組み込まれているのか。それとも、元にした人間のメンタルモデルの中で、切っても切り離せないものなのか。
「カーツ君、下を見たまえ」
ガバリャンは連絡橋の手すりに僕を呼んだ。促されるまま、下を見る。
下には、変わらずたくさんの人が往来している。二級国民と三級国民。彼らの違いは、右胸に付けられたデジタルアイコンだ二級国民は青。三級国民は黄色。一級国民にいたっては、白。
「この〈データセンター〉の中で、彼らはなに不自由なく暮らしている。神の存在を信じ続け、いまや自分たちがその領域に足を踏み入れているのだと信じてやまない」
「はあ」
「人間であることをやめたその日から、私たちは人間以外のなにかにならなければいけない義務があった。ここは安寧の楽園ではない。ここで我々はさらなる進化をしなければいけない」
その通りだった。死を克服した僕たちが、次に克服しなければいけないものがあった。だが、その次というものがなかなか難しいもので。
僕たちは肉体という物質から解放されたように見えて、その実は少しばかり枷が緩んだだけなのだ。
物質は絶対に僕らを解放したりしない。電子粒子の世界の中でも、何かをするには物質を媒体にしなければならず、僕らはサーバーであったり、保護ケーブルなどの劣化に常に恐怖を覚えていた。
死は、決して克服できないのだ。
「君はどっち側の人間なのだ?」
ガバリャンはいう。質問の意図がわからなかった。
「と、言いますと?」
「ここも四百年前と変わらない。貢献する者と貢献しない者のどちらかだ。社会はまるでそこにあるのが当たり前だと言わんばかりに、漫然と暮らすだけの者で溢れている。だが、そうでないと君も気付いているはずだ」
心の底を見透かされたようであった。僕は返事をせずにガバリャンの言葉を待った。
「現在、南極の《データセンター》の建設は著しく進んでいない。場合によっては、予定しているキャパシティが足りないかもしれない。データ移行の際に、選別が行われる可能性がある。君のゴイム研究が活かされなければ、君は対象者にならないかもしれない」
脅しにも取れたが、どうやらそうでもないようだ。嫌われているものだと思っていたが、ガバリャンなりの可愛がり方とアドバイスなのだろう。
「わかりました。もちろん、全力を尽くします」
ガバリャンは「頼んだ」と告げると、すぐに別室へと消えた。
僕もログアウトし、自分の部屋へと瞬時に移動した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます