第8話 精いっぱいの意志表示

「なんだよお前、関係ねーだろ!」

 男が怒鳴っても湊は動じない。

「関係ありますよ。友人を傷つけられそうになったら、見過ごせないです」

 至って冷静な態度で相手と対峙する。

「それよりも、いいんですか?」

 湊は穏やかにゆっくりとした口調で、相手に尋ねる。

「な、なにがだよ……」

 男の表情はまだ硬いが、それでも湊の言葉に耳を貸した。

「人の目がある場所、しかも店内で暴力を振ったら警察沙汰になりかねませんよ。ここは働いている方々の写真を勝手に取ることは許されていないようですが、あなたたちの撮影なら、誰かが無断でするかもしれませんし」

 湊が店内をぐるりと見回す。店の人も、客も、みなこちらに視線を向けていた。まだ撮影はされていないようだが、スマホを手元に構えている人もいた。

 店はそこまで広くないので、数えられるほどの客しかいない。とはいえ、この数の証言があれば不利なのはどちらか、言うまでもない。 

 湊は男の腕を徐々におろしながら、慎重に告げる。

「だからここは、引いてくれませんか?」

 男は視線だけ店内に目を向けると、しばらく黙りこんだ。

「お願いします」

 最後に湊が頭を下げると、男は自分から腕を引っ込めた。

「わ、わかったよ。もういい。こんな店二度と来ないしな」

 余計な一言を残しながらも、会計はきっちりとして去っていった。


 そいつらの姿が窓から見えなくなったところで、全身の力が抜けた。

 ……よかった。

 湊が俺を振りかえる。

「無鉄砲にも程がある」

 そう叱られ、俺は視線をさまよわせたあと、祈るように両手を合わせた。そして心臓のあたりで手を握りしめる。

【本当にごめん。命拾いした】

「次はフォローしないからな」

 この言葉を何度聞いたかわからない。湊がいなければ俺の人生は詰んでいる。

【湊が無事でよかった。ありがとな】

 殴る寸前まで怒っていた相手を諫めるなんて、とても俺には出来ない。少し間違えれば警察沙汰になっていた可能性があるし、湊が殴られていたかもしれない。

 もう少し考えて行動しないと、と深く反省した。

「お騒がせしました」

 店員が申し訳なさそうに、だけど明るさを含めた声色で、お客さんたちに謝る。みな会話や食事に戻っていくなかで、おっさんが「平気平気~!」と叫ぶ。ありがとうおっさん。


 俺たちも席に戻ろうとしたところで、「あの」と呼びとめられた。司会者とあんりさんが、湊のほうへ寄っていく。

 司会者は頬を染めながら、もじもじしながら頭を下げる。

「先ほどはありがとうございました」

「いえいえ、俺は何もしてないですよ」

 笑顔で謙虚に否定する湊に、司会者がぽぉーっと立ちつくす。

 おい、そのフラグどうにかしろ。

「すごくすごく、ありがとです」

 湊へ深々と頭をさげるあんりさん。そうだよなぁ、なんて他人事のように眺めていると、湊に背中を押されて前へ出る。

「この人は、あなたのことを庇いました」

 あんりさんに不思議そうに見つめられ、俺は視線をそらした。

 湊にお礼を言っていたから、男たちの悪口には気づいたのだろう。とはいえ、俺は揉めごとを起こした張本人だ。あの場で黙っていれば、男たちと口論にならずに済んでいた。

 怒られる覚悟を決め、目をぎゅっと瞑った。

「わたしのこと、お守りくださいました?」

 しかし、聞こえてきたのは綺麗な声。罵声や怒声なんかじゃない。

 びっくりして、思考が停止した。

 非難されてもおかしくないのに、信じてくれるのか?

 俺の意見を聞いてくれるのならば、店に迷惑をかけたことを謝りたい。

 意志表示をしようとしたが、ジェスチャーする寸前で思い留まる。外人だからジェスチャーで伝わりそうな気がしたが、誠意を表すには他の方法がいいような気がした。

 テーブルの上のメモ帳を引っ掴むが、書いた文字が残っていて、慌ててズボンのポケットに突っこんだ。ページを捲るか破ればいいのに、この時の俺はそこまで思考が及ばなかった。

 左の手のひらに【ごめんなさい】と書いてから、あんりさんに見せる。

 あんりさんは首を傾げた。

「謝ること、しました?」

 男たちとのやり取りをどこまで把握しているかは定かじゃないが、下手をすれば悪者認定される。

 俺は左右に首を振り、精いっぱいの笑顔を浮かべた。とっさにいい方法を思いつけなかったとはいえ、ただの変態に思われないか不安になる。

 必死に頭をひねらせて、誤解を招かない言葉を探る。そして今度は右の手のひらに違う文字を書いた。利き手じゃないので下手くそになってしまったが、なんとか読める。

【ピアノききにくる】

 手のひらを出すと、あんりさんはじっと文字を見つめる。

「はいっ!」

 満面の笑みで答えてくれた。

 眩しさのあまり俺の目が潰れかける。

 司会者とあんりさんが仕事に戻っていったので、俺たちも自分のテーブルへと戻る。天使のようなスマイルはしっかり脳内保存しておいた。

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