夏夜の笑顔。

さんまぐ

第1話 そりゃ少子化も進むわ。

夕方6時。

今日も仕事が終わる。


最近は小さな物忘れも増えてきて、翌日になって慌てることもある。

それもあって、最終確認をしてから仕事を終わらせて帰ろうと思っていると、唯一の従業員である、大橋礼奈ちゃんが普段以上に焦って片付けをしている。


礼奈ちゃんは近頃の子だからなのか、恐ろしくマイペースで、こちらが片付けて欲しい量の6割程度までしか仕事を片付けられない。


だが、真面目だし、こんな零細で、1人でやっていたデザイン会社で、大してお給料も払えないのに辞めることなく勤めてくれている。


そもそも…1人で何年もやれていた仕事だったが、5年前、39歳の時に亡くなった父から「無理ができるのは今だけだ、後はやれた気になって身体を壊すだけだ。健康に勝る財産はない。ペースダウンをするんだ。仕事を減らすか、人を雇いなさい」と言われた。


父が亡くなった時、世界的にコロナが流行ってしまい、嫌でも仕事を減らす事となった。

父はコロナで亡くなった訳でもないのに、ソーシャルディスタンスや行動自粛もあり、ごく一部の家族だけで見送る寂しい葬儀になってしまった。


母は同居の兄夫婦が今まで通り、続投で面倒を見てくれている。

リビングの主が父と母から兄夫婦になっただけで、実家は大きく変わっていない。


コロナは大変だった。

だが、元々対面で仕事はしていないので、メールと電話で済むスタイルは変わらない。

大変だったのは、大口のお客様が廃業して煽りがこちらにもきた事、だがなんとかコロナワクチン関係の仕事や、マスクなどのコロナに関わる仕事で難を逃れて生き残れた。

自粛ムードが明けて、新しいリズムを手に入れて、安定してから父の言葉に従って求人募集を出した。


こんな零細企業なのに応募は殺到した。

異性でも良かったが、トイレを使ったりする手前、どうしても同性が良くて、面接の結果、この大橋礼奈ちゃんを採用した。

まあお給料面でも希望給与が低くて何とかなっていた。


新しいリズムは、ある種余計な贅肉を削ぎ落とした感じだった。

21時まで当たり前に働き、土日は家のマシンで仕事をしたりしたが、今は18時過ぎには終われてしまい、土日にマシンを起動することは余程対応を求められた日だけになった。


独身なのでなんとかなっていたが、それでも変わってみると、つくづく人間らしい生活が手に入ったと思うようになる。

女性の社会進出といえば聞こえはいいし、多様性と騒がれる風潮のおかげで、この生き方を悪く言う者はほぼいなかった。


このまま独身で終わるのかと漠然と将来を考えてしまう夜もある。

兄夫婦の所の甥と姪の世話にはなりたくないが、万一がある以上、お年玉をはずみ、誕生日を兄夫婦や母とは別で祝う事にしている。



今も焦って仕事を片付ける礼奈ちゃんを見て、何かあるんだろうなと思ったが、聞く事すら憚れる世の中、私の頃はすぐに聞かれたし、答えを求められ続けた。

「私の頃は」、もうおばさんの言葉だろう。気をつけないと老害と呼ばれてしまう。


「お先に帰ります!」と言って、普段のんびりの礼奈ちゃんが小走りで帰る。


初めて走った所を見た私は、「なんだ、走れるのね」と閉まる扉に語りかけてから片付けをして帰る。

駅徒歩10分のマンション、あまり贅沢をしない自分の唯一に近い贅沢。


今しがた駅中スーパーで買った夕飯を食べながら、のんびりと過ごす。

今日もタイムサービスのお刺身が美味しかった。

本当に数年前までは考えられなかった。

タイムセールにありつくどころか、下手をしたら店が開いている時間に駅に着けない日もあった。



翌朝、朝から酒臭くてヘトヘトで、眠そうで、むくんだ顔を見ているだけで、「二日酔いしてます」、「居眠りします」、「ミスします」、という文字が背中に見えてきそうな礼奈ちゃん。


最大限の配慮をして「調子悪い?」と聞く。


昨日は焦って早く帰る。

今日はむくんでいて、酒臭くしてヘトヘトの寝不足。


何かあったのはすぐにわかる。

それなのに礼奈ちゃんは「え?わかりますか?」とか返してくる。


これは馬鹿にされているのではなく、なんだかんだと配慮を求められる、私からすると生きにくい世の中で育った結果、見られている自覚、無意識のうちに探られる自覚が養われていない。


「バレバレよ」と笑いながら言うと、「実は昨日、遅くまでご飯に誘われてまして」と照れくさそうに言ってくる。


「何次会までしたの?」

「ニ次会です」


あの時間なら、最初が七時始まり、二次会が九時始まり、どれも2時間で、4時間飲んで午前様になって帰宅。

実家暮らしだから上げ膳据え膳で済むし、掃除洗濯お風呂の全ても問題ない。時間の限り寝てきたが、酒は残るし眠い。

そんな所だろう。


「学校の時の友達?」


この質問に耳まで赤くして「この前、中学時代の飲み会で、10年ぶりに再会して、連絡先を交換するようになった男の子に誘ってもらって」と言う姿は、同性から見ても可愛らしい。


「あら、素敵ね」と返しながら私は仕事をする。

礼奈ちゃんは何故かマルチタスクが無理なので、手を止めて話していて残業確定。

まあ、急ぎの仕事がないから翌日に繰り越させよう。


礼奈ちゃんは超ウルトラマイペース。

残業させたら、30分仕事でもなんでも、のんびりとやらかして、ゴリゴリと残業代を持っていくし、疲れも残して翌日以降に響く、スーパー悪循環。

与えた時間を、後先考えずにひたすら使い切るタイプなので、帰らせた方が万倍いい。


決して代わりにはやらない。

それをやると、本人は無自覚だが、私を待って働かなくなる。

お給料が出来高制ではないので、無意識のコスパ優先なのかも知れない。

勤めてもらって、早々にそれを知り、申し訳ないが、寛大なお客様から順番に礼奈ちゃんに割り振った。


礼奈ちゃんは未だにマウスを持つ右手が動かない。それどころか左手にスマホを持ち出して、男の写真を取り出すと「この人なんですけど、これって…そういう事ですよね?」と聞いてくる。


「そういう事?」


聞きながら「意味はわかる」、「馬鹿じゃない」と心で呟く。


馬鹿にするなと思ってはいけない。

本当に無自覚で、この世代特有なのか、礼奈ちゃん特有なのか、口にせずとも察して貰おうとする。

ダメージコントロールはうまい。


「え…と…、特別な意味とか、その…」


ハッキリと男女の仲になろうとしていると言えない礼奈ちゃん。

可愛いと思えるのか、イライラするのかは、その日のテンションで変わってくる。


まあ、礼奈ちゃんの話を統合すると、自意識過剰と陰口を叩かれる恐れがあるから、自分なんかに好意を向けられるなんて思わないらしい。


そりゃ少子化も進むわ。

まあ、未婚少子化の一翼を担う私が言えた事ではないが、若いんだからバンバン付き合って、ガンガンやる事をやればいい。

この歳になって思うが、人生何事にも旬はある。

「幾つになってもできる」、「やろうと思った時がその時」なんていうのは半分しか同意できない。

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