誘拐されたタチアナ、マトフェイの弱み

(……ここは……どこかしら?)

 タチアナはゆっくりと目を覚ます。

 タチアナは体を動かそうとしたが、上手く動かない。

 手足は縄で縛られていて、身動きが取れないのだ。

(どうして縛られているの……!? そうだ、ラウラは……!?)

 タチアナはラウラがあの後どうなったのか気になった。

 しかし、身動きを封じられている今はどうすることも出来ない。

(とりあえず、わたくしはどこかに閉じ込められているということね……)

 タチアナは冷静に状況を理解した。そして周囲をじっくりと見渡す。

(ここはどこかの倉庫みたいね。外の様子は……見えないわ。でも、雨が酷いことだけは分かる……)

 タチアナが閉じ込められている倉庫の中には、ザーザーと雨音が響いている。更に、雷まで鳴り響いていた。

(アルーシャ様……会いたいわ)

 脳裏に浮かぶのはアルセニーの姿。

 どうして攫われてここに閉じ込められたのか、この先どうなるのかが分からない中、タチアナはただひたすらアルセニーに会いたいと思ってしまう。


 その時、倉庫の扉が開く。

 タチアナは入って来た者達を見て、ヘーゼルの目を大きく見開き驚愕した。

「タチアナ・ミローノヴナ……よくものうのうと社交界復帰しやがったな……! 俺達は貴様のせいで社交界から締め出され、領地も大変なことになっているんだぞ……!」

 タチアナの叔父ジノーヴィーである。

 彼の後ろには、オクサナとスヴェトラーナもいる。


 かつてタチアナを虐げて彼女に自殺未遂させる程追い込んだ叔父一家。

 タチアナにとって叔父達の存在はあれ程恐ろしかったのだが、不思議と落ち着いていた。


何故なぜ……こんなことを……?」

 タチアナは冷静である。

「タチアナ・ミローノヴナ、お前は人質よ。ユスポフ公爵閣下がお前の夫を呼び出す目的で誘拐したの。そして私達はお前に復讐する為にユスポフ公爵閣下と手を組んだのよ」

 高笑いするオクサナ。

(ユスポフ公爵閣下……アルーシャ様の弟君が……。きっとわたくしを人質にアルーシャ様から身代金を取ろうとしているのね……。それならば大丈夫。わたくしが殺されることはないわ)

 最悪の状況にはならないと分かり、タチアナはほんの少しだけ安堵する。

「タチアナ・ミローノヴナ。この前はよくも言ってくれたわね!」

 キッとアズライトの目を吊り上げるスヴェトラーナ。そしてそのままタチアナを近くにあった棒で殴った。

「うっ……!」

 身動きが取れないタチアナはそのまま床に倒れ込む。

「貴様さえいなければ!」

 ジノーヴィーはタチアナのみぞおちを容赦なく蹴り上げる。

 上手く息が出来ず、苦痛な表情のタチアナ。

(大丈夫。きっと死ぬことはないわ。アルーシャ様……わたくしは大丈夫ですから)

 アルセニーの姿を思い浮かべることで、暴力を振るわれても幾分か精神的に楽になったような気がした。

 ジノーヴィー、オクサナ、スヴェトラーナにから容赦ない暴行を受けるタチアナ。

 しかし彼女は決して希望を捨てなかった。






♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔






 一方、急いでユスポフ公爵家の帝都の屋敷タウンハウスにやって来たアルセニー。

「マトフェイ! ターニャ……私の妻はどこにいる!?」

 鬼のような形相のアルセニー。その姿は雨でびしょ濡れである。

「おやおや、兄上。随分と遅いですね。彼女の居場所を教える前に、要求した金額を渡してもらいましょうか」

 余裕そうな表情のマトフェイ。

「何の努力もしていないお前に渡す金などない」

 アルセニーは冷たく言い放つ。

「それなら、タチアナ・ミローノヴナの居場所を教えることは出来ませんね。一応妻なのに、見捨てるのですね」

 鼻で笑うマトフェイ。

「お前にはどのみちターニャの居場所を吐いてもらうことになる。そのうち警察がここに来てお前を拘束するだろう。ターニャの誘拐及び……三年前に私がユスポフ公爵家を追い出される事件となった、皇帝陛下への傷害容疑でな」

 アルセニーが淡々と言い放つと、マトフェイは一瞬だけアクアマリンの目を見開く。しかし、すぐにアルセニーを侮蔑したような表情になる。

「皇帝陛下への傷害? あれは兄上の不注意ですよ。兄上の妻を人質に取ったからと言って、そのような冤罪を」

「残念ながら冤罪ではない。お前が製糸場を壊れるよう設計した証拠は揃っている。……パーヴェルに頼んでそれを皇帝陛下に伝えてもらった」

「そう脅して金を渡さずタチアナ・ミローノヴナを奪還するつもりですか」

 マトフェイは呆れたようにため息をつく。

「そう思いたければそう思えば良い」

 アルセニーは毅然とした態度である。

 そこへ、マトフェイにとっては予想外の人物が入って来た。

「ユスポフ子爵閣下……そのお話は、本当のことでございますか?」


 ダークブロンドの髪にアンバーの目の女性−−マトフェイの妻クレメンチーナである。


「クレーマ……! お茶会に行ったんじゃなかったのか……!?」

 マトフェイはアクアマリンの目を大きく見開き驚愕している。

「パーヴェルから貴方がユスポフ子爵夫人を身代金目当てで誘拐したと聞いて、急いで戻って参りました」

 アルセニーはクレメンチーナにマトフェイがタチアナを誘拐した件を伝えるよう頼んでいたのだ。

「マトフェイ様、どうして……? どうしてこのようなことをなさったのです? ユスポフ公爵領は、わたくしも何とか立て直そうとドレスなどを売っておりますのに。それに、三年前の皇帝陛下の事故も貴方が関わっていたなんて……」

 クレメンチーナは悲しそうに膝から崩れ落ちた。

「クレーマ、それは違うんだ」

「来ないでください!」

 マトフェイは血相を変え、クレメンチーナに駆け寄ろうとするが、彼女に拒絶されてしまう。

(やはりマトフェイの弱みはユスポフ公爵夫人であったか……)


 アルセニーは何故なぜマトフェイが自分に敵意を剥き出しにして来るのかずっと気になっていた。そして、アルセニーかユスポフ公爵家を追い出される前、クレメンチーナと婚約した頃からマトフェイの態度が酷くなったことを思い出した。そしてアルセニーはマトフェイがクレメンチーナに好意を寄せていると推測したのだ。

 そして、その推測は当たった。


「そんな、クレーマ……」

 クレメンチーナに拒絶され、マトフェイは絶望を帯びた表情になる。

 そこへ警察が入って来て、マトフェイはあっという間に拘束された。

 容疑はタチアナ誘拐と皇帝への傷害である。

 マトフェイが警察に連れて行かれる際、アルセニーはタチアナの居場所を聞き出した。

 タチアナはユスポフ公爵家の帝都の屋敷タウンハウスの倉庫にいるそうだ。

 誘拐にはキセリョフ伯爵家の者達に協力してもらっていることも吐いた。

 こうしてアルセニーはタチアナを助けに倉庫に向かうのであった。

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