羽田空港第3要塞
@miyo-zzi
第1話 ようこそ第3要塞へ 初出勤
「ピッ」
室内の環境システムが起動し、快適な温度と湿度に調整される。壁に埋め込まれた大型ディスプレイには、今日の天気予報。快晴、最高気温28度、大気質指数良好。隣には、俺の好みに合わせてパーソナライズされた情報フィードが流れている。国内経済の最新動向、政府推奨のセキュリティソフトのアップデート通知、人気のエンタメチャンネルの更新情報。海外の大きな出来事も、認可報道機関の編集を経た情報としてならアクセスできる。情報自体は豊富だ。ただ、その流れはしっかりと管理されている。
西暦2125年。俺たちの日常は、成熟した『国内ネット』に支えられている。生活に必要なことは、ほぼすべてこの安全なネットワークの中で完結する。…そう、『普通』にしていれば。
窓の外を見る。自動運転の電気自動車が静かに道路を流れ、配達ドローンが低空を飛び交っている。クリーンで、効率的で、よく管理された都市。キッチンへ向かい、コーヒーメーカーが淹れた、これもまた最適化された味のコーヒーを飲む。クローゼットから、今日の予定に合わせて推奨された、シワひとつない機能性素材のスーツを取り出して着る。今日から、俺はこの整然とした日常から少しだけ外れた、奇妙に物質的な場所へ通勤することになる。
家を出て、駅へと向かう。
(羽田空港アクセス線ホーム。やはり、ここだけ様子が違う)
旅行者もまばらな朝の時間帯は,駅のホームも空いている。だが、俺が今立っているこのホーム――古くからある在来線規格、羽田空港アクセス線だけは違う。人でごった返している。まるで、アーカイブ映像で見た「通勤ラッシュ」のようだ。様々な人種、真新しい制服を着た空港職員の研修生。そして、俺と同じように、どこか硬い表情のスーツ姿の人間たち。
(時代錯誤もいいところだ…)
世界がどれだけネットワーク化されようと、リアルな国境はなくならない。そして、その境界線を守るためには、未だにこうして生身の人間が物理的に移動する必要がある、ということか。
やってきた電車に乗り込む。車内も当然、息が詰まるほどの混雑だ。手すりに掴まりながら周囲を見る。スマートグラスに情報を投影しているビジネスマンが眉間に皺を寄せている。隣の女性は、旧式のスマートフォンで、おそらく非合法な手段で入手したであろう古い実写映画を見ている。
『最新型ウェアラブルデバイス登場!生活をよりスマートに!』
『正規輸入品ソフトウェア・ライセンス!お求めは認可ストアで!』
…ああ、そうだ。
『情報』も『データ』も、この国では厳重な輸入品扱いだ。ソフトウェア、設計データ、AIモデル、未加工の文化情報…。『壁』の向こうから来るものには、国家安全保障と国内産業保護を名目にした高額な関税がかかる。だから、検閲されていない生のデータや、最先端の海外技術に触れたい連中は、リスク承知で『裏ルート』を探す。それは重大な犯罪であり、それを水際で食い止め、関税を徴収するのが、今日から始まる俺の仕事だ。
そう思うと、この信じられないほどの満員電車も、少しは我慢できるような気がした。
電車が地上区間に出て速度を落とす。車窓の風景が、ガラスと金属で覆われた高層ビル群から、より水平線が広がる、しかしどこか無機質な埋立地と、巨大なターミナルビルへと変わっていく。
日本の玄関口、羽田空港。そして、俺がこれから向かう場所。
駅に降り立つと、やはり空気が違う。都市部の、あの完全にコントロールされたクリーンさとは異なる、雑多なエネルギーと、ピリピリとした緊張感が混じり合っている。滑らかに動く案内ロボットの横で、人間の地上スタッフがメガホンで声を張り上げ、プラスチック板に印刷された案内表示を持った職員が誘導している。壁には紙のポスターも貼られている。
俺は人混みを抜け、職員専用通路へと足を踏み入れる。ここからは空気がさらに変わる。旅行客向けの華やかさが消え、むき出しの機能性だけが支配する空間。監視カメラの密度が上がり、物理的なセキュリティゲートがいくつも現れる。最新の生体認証システムと並んで、旧式のICカードリーダーや、物理的な鍵穴を持つ分厚い金属製の扉もまだ現役らしい。
(話には聞いていたが、ここまでとは)
目的の部署を示す案内表示に従って、地下へと続く階段を下りる。通路はさらにシンプルになり、壁には太いケーブルダクトや配管が剥き出しになっている。
(時代錯誤…いや、むしろ)
ここでなら、自分の手で、頭で、五感で、本当に何かを『守る』仕事ができるのかもしれない。
静かな興奮が胸の奥で小さく燃え始めるのを感じながら、俺は目的の扉の前にたどり着いた。重々しい金属製の扉。飾り気のないプレートには、こう刻まれている。
『内務省情報通信保安庁 羽田空港電脳税関 第三課』
その下には、盾と鍵、そして古典的な電子回路パターンを組み合わせたような、鋭角的なデザインの部隊章が鈍く光っていた。これが、通称『第三要塞』。
深呼吸を一つ。ポケットから取り出した真新しいIDカード(物理的なカードだ)を、壁の認証スロットに通す。
「認証完了」
低い合成音声。重い金属のロックが解除される機械音がそれに続く。ギィ、とわずかな軋み音を立てて、目の前の扉がゆっくりと内側へと開いていく。
漏れ聞こえてくるのは、物理キーボードを叩くカチャカチャという音。誰かが旧式の有線電話の受話器を取り、低い声で何かを話し,パラパラと本物の紙の資料をめくる音。そして、いくつかの生身の人間の会話。
想像していたよりもずっとレトロで、「博物館」めいたオフィスが広がっている。しかし、その古めかしさの奥に、張り詰めたような集中力と、独特のプロフェッショナルな空気が満ちているのが肌で感じられた。
俺は、小さく息を吸い込み、決意を込めて、その一歩を踏み出した。
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