第二章:8話 怠惰な日常と加速する戦争

 恭平が暴食のダンジョンから生還して以来、安アパートでの生活は、より一層「怠惰」に磨きがかかっていた。彼は、情報屋から得た現金と、アザゼルに渡したマグネタイトの対価を担保に、当座の生活費を確保していた。

​日課は、魔導端末でダンジョン関連のニュースと依頼情報をチェックすること。しかし、そのすべてが、恭平の求める「手堅く儲かる依頼」ではなく、「危険、汚い、キツイ」の度合いを増していた。

​「くそっ。日本の暴食ダンジョンは、完全に荒れてきているな」

​画面に表示されているのは、連日のように発生するモンスターのスタンピード(群れの反乱)と、それに対応するトップ冒険者たちの映像だ。その中には、先日会った配信者「スネーカー」の顔も見えた。彼は、ますます派手な装備と、無謀な立ち回りで、視聴者数を稼いでいた。

​『マスター。彼らは無益な行動を繰り返しています。エネルギー効率が非常に悪い。我々は賢く、静かに『怠惰』を貫きましょう』

​腰のチキンソードが、静かに語りかける。剣の知性は、すでに恭平の思考パターンと一体化しつつあった。剣の助言は、常に彼の「怠慢さ」を肯定し、合理化する。

​恭平は、ベッドから起き上がることすら面倒になり、端末を操作して、ゲーム感覚のギャンブルサイトを開いた。これも彼の「怠惰」の現れだ。できるだけ労力をかけずに大金を掴みたい。

​「アザゼルからもらった情報によると、暴食のマスターは、色欲と傲慢から狙われている。こりゃ、本格的な戦争になる前に、このマグネタイトを元手に、国外へ逃げる準備をした方が賢明か」

​恭平の目標は「安心安全な老後のための貯金」。そのための最大の脅威は、世界の安定を乱すダンジョンマスターの戦争だ。

​彼は立ち上がり、窓の外の鉛色の空を見上げた。ダンジョンが出現してから30年以上。世界は、この異質な存在との共存に慣れてしまったが、その根底で、巨大な悪意が渦巻いていることを知る者は少ない。

​その時、魔導端末が、特定のコードを受信し、特殊な着信音を鳴らした。これは、恭平が過去に所属していた、非公開の情報組織とのコンタクトコードだ。


コード:{緊急:国内のダンジョン資源ルートが断絶。至急、} {暴食-憤怒ルートの開拓を要請する。}


「暴食-憤怒ルート……?」

​憤怒のダンジョンは中国にある。ダンジョンマスター「憤怒のロード」は、全ての支配を目指す急進派として知られている。そこを開拓するなど、常軌を逸した依頼だった。

​恭平は即座に拒否しようと指を動かす。しかし、次の情報が、彼の動きを止めた。


コード:{報酬:マグネタイト現物支給。傲慢のダンジョンの未公開最新構造図を付与。} {理由:暴食のマスターが、我々のルートを意図的に閉鎖した模様。}


「傲慢のダンジョン……フランスか」

​恭平の脳内で、チキンソードの助言が響いた。

​『マスター。これは良い『逃走先』の情報です。傲慢のダンジョンは、暴食と違い、まだ比較的安定しているという情報があります。報酬を受け取り、依頼を放棄するのが最も安全で賢明な選択です』

​「……依頼主が、俺の『怠慢さ』を知っていて、報酬で釣っているとしか思えないな」

​恭平はそう毒づきながらも、指先は依頼を受諾するボタンを押していた。彼の本能が、この依頼をこなすことが、次の「逃走」のための確実なステップになると囁いていた。

​全ては、楽で安全な老後のために。そのために、今は少しだけ「きつい」ことをする必要がある。恭平は、深いため息をついた後、再びタクティカルウェアとレザージャケットを身に纏った。彼の目の下の隈は、今日のミッションの困難さを既に予期していた。

 恭平は、依頼主が指定した中間地点、暴食のダンジョンと、中国の「憤怒」のダンジョンをつなぐゲート型ダンジョンの入口に立っていた。ゲート型ダンジョンは、世界各地に無数に存在するが、その多くが、始まりの塔型ダンジョンに起源を持つ。

​恭平が選んだのは、人里離れた山中のゲートだ。周囲に人の気配はない。

​彼は、魔導端末の画面を凝視した。表示されているのは、依頼主から送られてきた「憤怒」のダンジョンに関する断片的な情報だ。

​「憤怒のロードの支配区域は、常に戦闘が絶えない。彼の軍勢は、休むことなく他のマスターの領地を侵略しようとしている……これは『楽』とは程遠いな」

​『マスター。我々の任務は『ルート開拓』であり、『戦闘』ではありません。憤怒の領域に足を踏み入れず、ルートを特定してすぐに逃げ帰ることが、最も賢明な選択です』

​チキンソードの助言に従い、恭平は、事前に準備していたドローン(科学技術)を取り出し、魔導術式で周囲の魔力を遮断するステルス機能を付与した。

​「正面の衝突は避ける。ドローンでルートを特定し、遠隔操作でマーカーを設置。俺は、ゲートをくぐってすぐに戻る。それが一番楽なルートだ」

​彼は、ダンジョンの入り口であるゲートをくぐり抜けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る