​怠惰を極めるため、世界をリセットしました

@A-Ka2

プロローグ:安全第一の冒険者(2030年、東京・台東区)

 西暦2030年。空は鉛色に曇り、東京の下町、台東区の安アパートは埃と湿気で淀んでいた。

​佐倉恭平は、古びた畳の上に寝転がり、天井のシミを数えていた。彼の体型は痩せ型で、かつて鍛え上げられた名残はあれど、現在は腹回りがわずかに緩んでいる。目の下の隈は深く、常に寝不足気味であることを物語っていた。

​「くそっ、また外れか」

​恭平が手にしていたのは、「魔導端末(まどうターミナル)」と呼ばれる、現代のスマートフォンに酷似したデバイスだ。液晶画面には、今日のダンジョン攻略情報と、いくつかの依頼リストが表示されている。


(E) 危険度: C+ 報酬: 安定

内容: {深層階の鉱石採掘}

{必須:重装甲} {パス}


(E) 危険度: B- 報酬: {高額}

内容: {未発見のゲート探索}

{必須:先鋒職} {パス}


 彼の口癖は「安全第一」。高難度で準備が大変な依頼よりも、手堅く儲かる依頼を好む。しかし、今日はめぼしい依頼がない。

​「3K職業(危険、汚い、キツイ)」から脱却したいと願いながら、そのための努力をしない。それが今の佐倉恭平だった。惰性で冒険者を続けている自分に、同世代のトップ冒険者たちへの嫉妬と、薄い敬意が湧く。ダンジョン配信者を見る視線には、常に偏見が混じっていた。

​恭平は諦めて端末を閉じ、枕元に置いたレザージャケットを羽織った。魔導的な防御術式が刻まれた、くすんだ色のタクティカルウェアと、この古びたジャケット。科学と魔法の融合を示す、安価で実用的な組み合わせだ。

​「……ま、仕方ねえ。マグネタイトの補充が先だ」

​護身用の小型レールガンをホルスターに収め、術式ナイフを予備として懐に忍ばせる。

​彼が向かったのは、街外れのジャンク屋だ。そこは、表向きはガラクタを扱う店だが、裏ではダンジョン資源の取引や、違法な情報交換が行われている場所だった。

​店の奥。顔をフードで隠した情報屋の男が、恭平の警戒心の強い目をちらりと見て、低い声で囁いた。

​「恭平さん。いいモンが入ったぜ」

​恭平はカウンターに肘をつき、目の下の隈をより深く刻んで見せた。

​「俺は楽に稼げる情報しかいらねえ。危険な橋は渡らねえ主義だ」

​「へへ……分かってるさ、あんたは『安全第一』だ。だが、これは本当に『安全』だぜ」

​男が恭平の前に差し出したのは、錆びついた真鍮の筒だった。

​「こいつは『不敗の免罪符(インデムニティ)』の鞘だ。曰くつきだが、効能は保証する」

​恭平は慎重に筒を手に取り、その古びた装飾を調べる。彼は、無駄な戦闘を嫌い、悪魔との交渉や、科学技術を用いたトラップ・欺瞞を優先する。故に、魔導科学知識や、悪魔の性質を熟知した交渉術に長けている。

​「……逃げた分だけ強くなる? 一度の戦闘で効力を失う?」

​「そうだ。そして戦闘後は著しく体力を消耗する。だが、必ず生きて帰れる。『逃げる』という行動がトリガーだ。チキンソードなんて呼ばれてるがな」

​恭平は一瞬、眉をひそめた。チキンソード。逃げを美化するようなその異名が、彼の「できるだけ楽に稼ぐ」という怠慢な信条に、奇妙に合致しているように思えた。

​彼はかつて、若く優秀な冒険者だった。しかし、ある任務で親しい仲間を失った経験が、現在の「慎重」かつ「怠慢」な自分を形作っている。情は移さないと決めたドライな「仲魔」との関係も、この過去のせいだ。

​「安心安全な老後のための貯金」が最大の目標。一発逆転の大金ではなく、地道に安定した収入を得ることを重視している恭平にとって、このアイテムは「生還保証」という意味で、最大の『安全』を約束する代物に見えた。

​「で、取引条件は?」

​「例の暴食のダンジョンの最下層から、『マグネタイトの塊』を一つ。それだけだ」

​恭平は静かに真鍮の筒を握りしめた。

​「暴食か……日本にある、始まりのダンジョン。あの『危険、汚い、キツイ』の極致を、俺にやれってか」

​「安全に、だ。恭平さん。『インデムニティ』が保証してくれる」

​男はニヤリと笑った。それは、悪魔の契約の穴を狙うかのような、嫌な笑みだった。

​恭平は、この依頼が、彼の『怠慢』な冒険者生活を大きく揺さぶる一歩になることを、この時はまだ知らなかった。しかし、彼の指先は、すでに『不敗の免罪符』の鞘を固く握りしめていた。


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