邂逅2
「差し支えなければお伺いしたいのですか」
「ええ、なんでしょうか?」
「先程仕事柄と仰ってましたが、どういったお仕事なのですか?」
蝉の鳴く炎天下の中、真っ黒な装束に身を包んだ二人組が連れ立って歩くのは傍目に異様に映るだろうがすれ違う人びとから見咎められることはない。
一方はそもそも同じ世界に存在しない異なるモノで、一方は存在はするが異なるモノ故存在を稀薄にしている。おかしな取り合わせだが、その道行きは意外に楽しいものだった。
不躾とも思える質問に少し考え込んだ男は薄く口角を上げると小さく口を開いた。
「格好良く言えばヒトに関する理の調整者です」
「おお、それは確かに格好良いです」
「理についてはご存じでしょうか?」
「ざっくりとは。彼方と此方を含めた世界の成り立ちの様なモノで合ってますか?」
「大正解です。理は所謂この世そのものです。成り立ちであって、過去でもあり今であり未来でもあります」
「それの調整者ですか、大変なお仕事ですね」
「いえ、やっていることは地味なものです。理といっても完璧なものではないんです。完璧であるはずなのに常に綻び続けていて世には違和感が産まれ続けています。おかしな話ではありますがそれを修復して存在し続けてるところも含めて理なのです」
「面白いお話です。では貴方はその綻びを繕って歩いている訳ですね」
「ですね。そのような存在は無数にいます。どのような現象にも存在にも綻びはあるので仕事は尽きません」
「その中でもヒトに関わる調整ということですか、私ヒトは好きなので羨ましいです」
「ふふ、此方側のモノはヒト好きが多いですよね」
「ええ、そうですね。見てるとなんだかわくわくしませんか?私は特にヒトの書いた物語が好きです。同じ種なのにてんでばらばらな考え方を持っているのも楽しいと思います」
「…そういうことでしたら貴方にとって羨ましいことではないかもしれませんね」
「といいますと?」
「理の調整と言っても生と死に関するものなので」
「生と死、ですか」
「ええ。おや、どうやら無事たどり着けたようですね」
古い石垣の途切れた場所。格子の門扉は錆びて閉じられている。男は掛けられた表札の名前といつの間にか手元に持ていった本の文字とを見比べて頷いた。
「ありがとうございます。おかげであまり遅くならずに済みました」
「あの、生と死とはつまり」
「簡単に言えば死神です」
くぐもった声がして、見上げた顔には口と目の部分が大きく弧の字に裂けた面が被さっていた。
表情の無い元の男の顔とは対極にある笑い面に一瞬ぎょっとする。
そんな自分の反応に微かに笑った気配がした。
よく見れば本を持っていたはずの手には小ぶりな鎌が握られている。
目を離してはいないし、動作もなかったはずだ。
手品のようにその風体をさらに異様にした男は門扉に手をかけてそれをぐいと押し開ける。
ぎぃと嫌な音を立てて開け放たれると当たり前のように中へと歩を進めた。
「わ、ちょっと待ってください」
「すみませんが、今は普通のヒトにも見えている状態なのでお話の続きは後にして下さい」
「ですが、」
「…では貴方も来ますか?見てあまり楽しいものではないんですが」
「いいんですか…?」
「どうぞお好きに」
ずかずかとアプローチを進み玄関先に置いてあった植木を迷い無くずらす。
隠してあったであろう鍵を手にまた当たり前のように扉に触り解錠した。
この男は自分とは違いちゃんと彼方側に存在しているのだ。
その驚きに呆気に取られながらも置いていかれないよう後に続いた。
古い木造家屋だった。縁側には傾き始めた陽がそれでもさんさんと降り注ぎ、庭の木々の影を濃く落としている。
そんな動作はやはり無かったはずなのにいつの間にか靴を脱いで板間をぎしぎしと鳴らす足元は黒かった。
それほど広くもない家だ。目的の部屋に辿り着いたのだろう、綺麗に張られた障子を静かに開けると音を顰めて中に滑り込んだ。
しんとした部屋に空調の稼働音と微かな寝息が聞こえている。
よく掃除が行き届き整頓された畳敷きにはカーペットが敷かれ、その上に不釣り合いな大きなベッドが置かれていた。
ベッドサイドには吸い飲みと小さな花瓶に活けられたたんほぽの花束。
壁にはクレヨンで描かれた拙い絵や、色紙、それからたくさんの写真が貼られたコルクボード等がひしめき合って飾られている。
「ずいぶん賑やかなお部屋ですね」
「ええ、きっとご家族に大事にされていたのでしょう。もう命日をとうに過ぎているのに魂がとても綺麗な状態です」
「命日、ですか。こんなに穏やかな顔をしているのに」
男に倣いベッドの横から覗き込むと、しわくちゃの老婆がすうすうと寝息をたてている。
その顔は安心しきっていて、とても死に時を通りすぎたモノとは思えない血色の良さだった。
「稀にあるんです。この方のように自分自身ではなく、他の身近なヒトに乞われていき時をなくしてしまう場合が。本人には自覚がないので魂も濁りにくい。本当に稀ですが」
「愛されていたのでしょうね」
「ええ、けれどいずれは肉体は腐り魂は濁り悪霊化します」
「悪霊化ですか」
「貴方もみたことありませんか?ヘドロの様に溶けて彼方の世にへばりついている赤黒い塊のことです。通常命日を過ぎると肉体と魂は剥離し始めます。魂は何度でも洗浄と再生が可能ですが肉体はそうはいかないからです。定められた日を過ぎれば腐敗が始まる。その腐敗にひきずられないよう、抜けやすくなるのです。魂は肉体から離れても長くて7日は現世に留まりますが、余程の未練がない限りは勝手に上へ昇っていきます」
「未練がある場合はそれ以上になるんですか?」
「はい。ですが生きている内は肉体に守られていますが、肉体がないままでいると様々な良くないモノを取り込んで変質してしまうんです。そうなるとそれはもう魂とは言えなくなってしまいます」
「なるほど、洗浄も再生も出来なくなると。その成の果てがあのヘドロですか。では今回の場合はどうなるのですか?」
「まずは肉体が腐敗を始めます。彼女は幸か不幸か、他の誰かの思いに押し留められている状態なので自分で肉体から抜け出ることが出来ません。間もなく肉体も魂も腐り始めるでしょう。腐った魂は再生しても腐ったままです。このままで置けば悪霊化するか、腐敗したまま再生のサイクルに乗ることになります」
「再生のサイクル、輪廻転生の事ですね。腐ったままというのはどういうことですか?」
「ヘドロに成りきる前に上に上がれれば洗浄と再生は一応可能なのです。けれど腐敗してしまった箇所はそのままになってしまいます。そのような魂が転生すると大量殺人者や社会秩序を乱す害悪になるんですよ」
「それは、大変なことじゃないですか」
「そうですね、ある程度はいてもらわなければならない存在ですが多すぎては困ります。今回彼女がリストに上がったのは彼女がそうなるべき存在ではないからです」
「リスト、あの本のことですね。なるほどなるほど。死神と言うからもっと邪悪なモノかと思っていましたが全然イメージと違いました。正に理の調整者です。綻びを繕うですね!」
「楽しそうですね」
「すっ、すいません!つい興奮してしまって。お仕事の邪魔をしてしまいました」
「いえ、今回の様なケースは余り気が乗らないのでそうして肯定していただけると楽になれます」
「そうですか」
「そろそろ始めましょうか」
笑い面の為表情はやはり見えないが声音が柔らかく感じる。
初めの印象通り悪いモノじゃない、そう確信してそれが嬉しくて頬が緩んだ。
「まずは魂を引っ張り出すところからです。これは死神によって好みが別れますし、魂の性質によって手でやる場合も鎌でやる場合もありますね。私は余り魂に傷をつけたくないので手でやる事が多いです」
胸の辺りずぶりと男の手が沈んで、なにかをすくいとるようにまた持ち上げられる。
手のひらには淡く光るおたまじゃくしのようなものが見えた。戸惑うようにうねうねと動く姿はなんだか愛らしい。
「本当に綺麗ですね、それにちょっと可愛いです」
「貴方の案内のおかげで早く来られたからですよ。体から魂を抜いたら体と繋がった尾を切り取ります。これを切るまでは生きている、所謂危篤状態になります」
ピー、ピー、と機械音が鳴り始める。
出所を探せば手首に巻かれた時計のような物が異常を知らせているようだった。
少し離れた所で同じような音がして、がしゃんとなにかが壊れる音に続き足音がどたどたと聞こえた。
「し、死神さん、誰か来てしまいますよ!」
自分はともかく、男は彼方側に存在しているのだ。見られてはまずいのではないか、何故か自分の方が慌ててしまい急かすが男は至って冷静だった。
「これで彼女の今生は終わりです」
さくりと体と魂を繋ぐ尾を鎌が刈り取った。その瞬間襖がターンッと音を立てて開き中年の女性が駆け込んでくる。
老婆の娘なのだろうか、枯れ枝のような手を握り必死に呼び掛けている。
その内騒ぎに気付いたのであろう他の家族もどやどやと集まってきた。部屋は瞬く間に人でいっぱいになり、すすり泣く声や嫌だどうしてと叫ぶ声が鳴り響く。
「尾を刈り取っても肉体は五分~十分程活動を続けています。だいたいの死神はこの間魂に家族やこの世に最後のお別れをさせて上げます」
そう言うと男は手の中に大人しく収まっていた魂を肉体に縋る家族の方へ放ってやる。
彼女はふよふよ戸惑いながら浮かんで自分の肉体の上までいくとしばらくじっと佇んでいた。
それからその場にいた全員にくっついてはなにやらもごもごとしてと繰り返す。
ひとりひとりに挨拶をしているのだろうか、最後に彼らの頭上をぴょんぴょんと元気よく跳ね回ってから戻ってくると震えながらちぎれた尾を男の腕に絡ませ外へと促し始めた。
「行きましょう、死神さん」
何故だか動かない男の腕をひき縁側から外に出ると外はすっかり橙色に染まっていた。
黙ったままふらふらとした男を支えてはみるもののその存在は彼方と此方を行ったり来たりしているようで掴み所がない。
「あの、大丈夫ですか?」
「すみません、問題ありません。貴女も、満足したならもう行って大丈夫ですよ。お疲れ様でした」
頼りない存在感とは逆に笑い面に見合った明るい声だった。
魂は少し逡巡してから強く発光を始める。
端から徐々に溶けるように上へと昇っていき、最後にはしゅんと線香花火が散るように消えて無くなった。
「終わりましたね」
「はい。帰りましょう」
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