終章 白と黒の永遠(4)
足元、カサカサという音に視線を下げれば、ゴキブリが居た。
長い触角を揺らしテラテラと黒光りするナマのクロゴキブリに、カナメと二人して微妙な目を向けていれば、しかし黒の小粒は、その身に静かな光を灯して、瞬く間に人へ変じた。
黒髪を肩口に揺らす、メイド服の蜚廉だ。眠たげな、あるいは睨むような半目を向け、
「お久しぶりですね。お父様、お母様」
「「まだ生んだ覚えはねえよ」」
「『まだ』と来ますかこのバカップル。いや、もはや色ボケ夫婦ですか」
はふぅ、と芝居がかって目を細め、広げた腕に肩を竦める自称我が子に、カナメは、
「おいケリィ。貴様、同族の取りまとめ放り出してなにしとる」
「ジョンソンに全部投げてきました。私、戦争とか興味ないので」
「ジョンソン……、かわいそうに……」
なお最前線で必死に叫び、仲間を鼓舞している小柄な男の子である。見かけによらず豪胆なようで、そろそろ飛竜の弾幕を潜り抜け各個インファイト後に撃破を繰り返していた。
そんな同族の姿へメイドの蜚廉、もといケリィは、うんざりと顔を歪め、
「男って、どうしてこう馬鹿なんでしょう」
「いや貴様もオスじゃろうが。妙な恰好しとらんで加勢せんか」
「心に対して男だの女だの決めつけるのは思考の次元が低過ぎると思うのですよ」
「手の平ドリルかよケリィ。思考が異次元過ぎる……。いやこの世界の馬鹿共なら普通か。カナメさんはお願いだから優しいままでいてね?」
「約束であるからな。必要とあれば厳しくする優しさでいよう」
「仮にも末裔の前でこの速攻イチャラブ、ケリィ感服いたしました。次元が違いますね。ところでつかぬことを申しますがお父様。お母様、まだ幼体なのでキてませんしデキませんよ?」
「――え? カ、カナメさん、デキないのに、あんな……っ!?」
「言うなああああああああッ! つーかケリィ貴様殺すッ!」
「おっと通常物理とはやはりお優しいですねお母様!
次々に繰り出されるカナメの拳を、ケリィはしかし背中に広げた羽を打ち最少限の動きで躱していく。明らかに、最前線の蜚廉たちよりキレがいい。なるほど本気を出さなければ苦労しそうな練度だと、ミズノは蜚廉たちの成長を温かな目で眺めながら、
「なーんか、どっかの羊女みたいになっちまったなあ……」
「メリィ様にはとても良くしていただいております。しかし一体何者なのですかあの方は、時折興味本位で後をつけてもすぐに撒かれてしまいまして」
「魔王を殺すためだけに生まれてきた女だよ」
「ふむ、ならば私はさしずめ黒の……既にお父様が恋殺済みでしたね。失礼しました」
「ぬわあああんミズノぉ! ケリィが、ケリィがいぢめおるうううう!」
「はーい大丈夫だよおカナメさーん。お酒とロリババア本どっちがいいー?」
「ミズノがいい……」
「酒飲みながらエロ本読んで乳繰り合いつつ下々の戦争を見物とは、堕落もここに極わまれりですね。コレが格差社会……!」
「むしろ窓際部署の末路だけどな。そういやケリィもだけど、カナメさんの力回収されたのに羽出せるんだな。物理的に有り得ない変化まで出来てるし」
ああ、とケリィは、背中の羽を振り返る。本来であれば、カナメしか背負えぬその翼。思い在らば量子性質により顕現し、形作られ、持ち主に人智を超えた力をもたらす白燐は、到底その域へ達せないまでも、末裔たちの背に分け隔てなく広げられている。
「恐らくですが、新代蜚廉種が本来持ち得る能力なのでしょう。量子、というものを実感することはできませんが、羽の生成も変化も、こう、なんというか、腹の底から捻り出す……」
「ウンコみたいな言い方するんじゃありません。有り体に言えば魔力的な?」
「そうソレですお父様。まあベタ過ぎますし、よく分からん種族技能に埋め尽くされた世界ですので、ここは個性を出して『
などと、どうでもいい話をしている内に、戦場では飛竜を蹴り炎弾を蹴り軍勢を潜り抜けたジョンソンが、長の巨竜へ良い拳を叩き込んでいた。
そろそろ決着もつきそうかと、酒を一口含みつつ、ミズノの胸に埋まり深呼吸を繰り返しているカナメを心行くまで撫でていれば、またぞろケリィがはふぅと息を吐いた。
「さて、いい感じにサボれたので、私はお暇させていただきますね。
……ところで、お二人の影響でサカリだした同族たちがリンリンリンリン羽鳴らして五月蝿いったらありゃしないのですが、アレ何なのでしょうね。私は鳴ったことないのですけど」
それでは、と軽く頭を下げ、踵を返したケリィが飛び去って行く。フィー、と飛翔速度にしては物静かな、四枚の羽音を遠く見送り、
「カナメさん?」
「知らん」
さらに胸へうずまった顔で、耳が真っ赤に染まっていた。つまりそういうことなのだろう。思えば始めから、随分と心地良い鈴の音を響かせていたものだ。
「今度スる時、出しといてもらってもいい?」
「気が散るじゃろうが……っ!」
鳴ることは確定らしい。
断られてもいないので、また楽しみが増えたことである。
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