第三章 白き過去と黒の未来(1)

 その日から、戦場は変わり果てた。


 否。変わり果てた戦争を、先の見えない闘争が支配する夜闇の中を、ミズノは駆ける。


 触手。触手。ひたすらに触手だった。前後左右、上下以外の視界を埋め尽くす異形の肉塊共を、片っ端から、一匹残らず、手当たり次第に、無心に斬り裂き斬り開き斬り進む。大自然の暴威すら超越する大津波を、真正面から割り裂いて駆け抜ける。


 だが、止まらない。大地を砕いて噴出するソレらは止め処なく溢れ続け、無尽の悪意にも似て世界を犯し這いずり回る。どこかで、見たような光景だと、吐き気を催す思考は奥歯に噛み締めて、飲み込むことさえ、ままならなかった。


「右翼の上位種が潰れるぞ! 誰でもいいからフォロー入れ! 撤退の時間だけでも稼げ!」

「後方も囲まれてんだ、退路なんかねえよ! 治癒術師で陣形の内側に囲い込め!」

「ワーム型だ! 飲み込まれたら終わるぞ! 前衛は砲術師に任せて下がれえ!」

「こっちは手足付きだ、速いぞ! 近接系は前に出ろ、足切り落とせばそれで止まる!」


 悪態を吐く暇すら惜しい。誰かの悲鳴うめき声を遠く、ありったけの速度を威力を、瞬動と影縛りに乗せてぶちかまし続ける。埒外の反動と過負荷に肉体が悲鳴を上げるがどうでもいい。壊れてもすぐに治ると、肌に浮き上がる赤紋様の聖術へ他力本願全部にて暴れ回る。


 ミズノも後ろの馬鹿共もよくやっている。自画自賛にて思う。休む間もない連日連戦、圧倒的な物量差、にもかかわらず次から次へと現れる新種。未知の性質をしかし外見と構造および経験から予測し即座に対処する。手に負えなければ雑に動けるミズノや最上位種に丸投げして撤退する。後方にて対策を講じて実践、試行錯誤を繰り返し戦線を押し上げる。


 本当によくやっていた。


 だが限界だった。首の皮一枚で繋がっているに過ぎなかった。


 ゆえに。


「――クソが。飛行型だ」


 誰かが呟く。見上げれば、骨と皮だけのような醜悪な翼を広げる、細く鋭い形状の肉もどき草もどき金もどきが、薄紫の空を埋め尽くしている。


「いつか来るだろうって予測はしてたんだ。航空系、任せ――」


 ブイィ、と耳障りな羽音。


 一斉に、地上へ向けて落下した。


「「「特攻型じゃねえか……ッ!」」」


 悲鳴に近いぼやきに、ミズノは舌打ちする。アレが落ちれば終わる。せめて一撃、飛行系の種族が迎撃に上がる時間を稼がなければならないと大剣を担ぎ上げ転進、しようとした。


 背後、大地が岩盤から抉り砕かれる震動に、僅かな意識を向ける。


 世界樹の如き威容の、巨大触手。


 アレを潰せば。


「――あ」


 致命的だった。即座に理解した。ほんの一瞬。時間にすれば十分の一秒にも満たない刹那の迷い、たった二択の逡巡が、命運を分けてしまった。間に、合わない。どちらも届かない。二兎を追った愚かの末路、ミズノの目の前で、飛行特攻型の触手が軍勢の頭上に、


『リィン』


 墜落する寸前に、破砕した。


 鳴り響く鈴の音に、ミズノが覚えたのはまず安堵だった。次に苦虫を噛み潰す悔恨だった。振り切るように踵を返す。脳裏、白き羽を広げるカナメの姿を片隅に、地面を蹴り割り蠢く触手共を蹴り潰し、竜さえ飲み込むほどの大目玉に収束する極光へと自ら飛び込み、


「――おおお」


 咆哮。


 両断。


 獄熱の閃光に全身を焼かれながら、滅びの世界樹を伐倒した。


 炭化した視界は、音は感覚は、落下の間に再生され、ネコめいた姿勢制御で着地した。大樹が噴水の如き血飛沫を大雨に変えて降らせる地上では、触手の波が、力を失い萎れていく。


「よう、英雄。よくやった」

「助かった。恩に着るぞ」

「あのタイミングは悪意だわ。手練れほど無理だ。気にすんな」


 ボトボトと、音を立てて落下する触手羽虫を各々の武装にて防ぎながら、戦士たちが声をかけていく。ミズノはただ、肩を落として息を吐き、顔を上げ直す。


「誰にモノ言ってやがる。次もすぐだ、休んどけ」


 馬鹿共はヘッと口の端を上げ、手を振りながら退散する。そうだ、少し前のミズノであれば、背後の本命には即座に反応できず、まず目の前の羽虫を潰したはずだ。今は、瞬時に対応できるだけの力が、身に付いていた。反射で二つの選択肢を、頭に並べられた。


 両方を同時に叩き潰す力は、無かった。


 ギリ、と奥歯を噛む。拳を握り締める。


 ミズノでなければ。カナメであれば、あるいは。


 惰弱に過ぎるもしも・・・を打ち捨てることさえできず、顔を上げれば。


「カナメ、さん?」


 黒の少女は、降り注ぐ血の雨に濡れるまま、呆然と空を見つめていた。


 燐光を散らす四枚羽を、赤の雫が滴る。悲哀を滲ませる横顔に、残る血の跡は、まるで、カナメの心が流す、涙のようで。


「ミズ、ノ」


 力無く、潤んで向けられた瞳に、心が砕けるほどの鈍痛を覚える。


 気付いて、いた。ミズノとて、いい加減に気付いていた。アレが、触手共の剥き出す目が、カナメを見ていることを。祭りの時もそうだった。無数の目玉は、ミズノに熱線を向けていたのではなく、常にミズノの隣にいた、カナメに放っていたことを。


 だから。


 だか、ら。


「帰ろう、か。カナメさん」


 それしか、言えない。


 何もできない拳に、腸が煮えくり返るほどの、憤怒を握り込み。


「……うむ。そうじゃな、ミズノ」


 カナメの浮かべる作り笑いが、それさえ即座に凍らせるほどの、悲嘆を抱かせる。


 互いに、互いの思いを、分かり合えるばかりに。


 何かをしたくて、何もできない苦しみまで、伝えてしまうばかりに。


 どうしようもなく、傷付け合うことしか、できないでいた。


「――クソが。何をしみったれた顔をしている」






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