第二章 白き刃翼と黒の大樹(8)
鼓膜を貫き、脳髄すら掻き毟る、悲鳴の如き絶叫が、世界を引き裂く。犯し尽くす。
地上では幾人もの異種族たちが頭を抱えてうずくまった。ミズノの右耳奥でブツンと何かが弾ける。熱い液体が耳たぶから顎を伝い、視界の右半分が赤く染まる。
「ミズノ。異常があれば余さず挙げよ」
カナメの声。視界の端、耳元から光を散らす彼女は、憮然と異形の巨木を睨む。
その頭上から、伸び散らかした枝葉が、叩きつけられた。
咄嗟に割って入り大剣を掲げ受け止めたのは、カナメを助けようなどという身の程知らずが全てではない。未だ硬直から復帰できない群衆共、さすがに直撃すれば即死に至る。
「デカい、多い、重い。あと、鳴かない……!」
「つまりほぼ全部か。だが、基本的な性質は変わるまい」
道理、であった。圧倒的な質量に圧し潰されそうになったのも一瞬、カナメの声に気勢を張り直し、膝と腰に喝を入れ、一息にカチ上げた極太の枝を両断した。
再び視界が広く開かれる、その、先で。
ぐばり、と。
巨木の幹が、真横に裂け。
見開かれた、大目玉に、光が、収束。
「カナメさん?」
「訂正するぞ。アレは、マズい」
放たれた。一直線に迸る光の奔流が空を焼き貫き地に迫る。
カナメが咄嗟に放り投げた大枝触手の切れ端が、宙できりもみ丸焼かれ数秒と待たず炭と化した。届けば大地ごと焼散するだろう、確信めいた予感に背中を押されミズノは前へ出る。
「ミズノ!?」
「オイお前ら! 俺の後ろに――ッ!」
叫び終わる前に着弾した。大剣を掲げ受け止める。五歩分を押し込まれ足跡を引きずり刻んで止まった。五年の時を共に戦い抜いた白金の刃は決して欠けず怯まない。後退しているのはミズノの方だ。じりじりと踵が地面に埋まる。
太陽の放射熱を凝縮したが如き熱量。生命の存在を許さぬ白亜が世界を灼く。余波でさえ浴びればすぐさま灰に還れるであろう。竜の息吹すらこれほどではなかった。なおも立ち続けていられるのは最強の証明か、皮膚が炭化する傍から再生する聖術の加護か。どちらでも良かった。どちらにせよ足りなかった。底の見えない光線を受け続ければいずれ死ぬ。
奥歯を噛み締める。受けるだけではダメだ。この状況を打開する、もう一手は。
背後を見れば――カナメは、腕を組み、目を眇めていた。
不機嫌そうに。されど、頭の上の触角を、ピコピコと揺らして。
「――ああ、もう」
腹の底からの歓びに、背中を押され、心を決める。
何もかも足らぬ己に許された、たった一つの方法を。
刀身を抑える左手を鍔元へ滑らす。逆手に肘を押し付け右手を解放、間髪入れずに長い柄の先端へ指先を添え、擦り切れた留め金を親指で弾き、
「
割った。
柄頭から切っ先まで一直線、白金の刃に亀裂が走る。
なおも熱線と拮抗し続ける左手の『長剣』は、そのまま。
右手に振り被る『対剣』を、大上段。
振り下ろす。
半身の片刃はさほどの抵抗もなく光を裂き、割り散らし、その先の大目玉まで両断した。
絶叫。滂沱の血涙に駄々をこねる子供のような響きが空を震わせる中で、左の長剣を順手に回して下ろし、右の長剣は肩へ担いだ。刃の断面から吐き出される熱は残心にも似て、振り返れば、目を丸くしたカナメが口まで半開きにしていたので、まあ良しとする。
「せっかく、カナメさん用に隠してたのに」
「す、すまんな。でも、その」
その、なんだろう。とぼけるようにニヤついていれば、硬直から復帰した馬鹿共も同じくニヤついていることに気付いて、カナメは赤面しながらそっぽを向く。
「そ、そのくらい出来ねば、儂に並ぶことなど出来ぬ。満足することなく精進せよ」
「「「ごちそうさまです」」」
「まとめてぶち殺すぞ貴様ら……!」
緩んだ空気は一拍のこと、復讐に猛り狂う触手が一斉に群がりしかしその全てを瞬の剣戟にて薙ぎ払った。重さは二分の一にて威力を減じるが、ならば二倍速く振ればいいだけのこと。左右に二刀あるなら戦力は実際二倍である。計算がおかしい? おあしす。
遠く、大目玉は先の切断面からブチブチと肉塊を盛り上がらせ、傷を埋めた。再びこちらを向く。収束する光、凝りもせずまた熱線かと思えば、ソレは根元で枝分かれ、拡散した。
「うわ、ちょ、やばっ」
十六の光芒が地上へ向けて解き放たれる。初撃に比べれば数以上に減衰したソレなら下位種でも掠って致命傷で済むだろう。だが森がヤバい。ここら一帯が焼け野原になると即断、両手に長剣を構え、瞬動にて触手を左右上下に蹴り飛び撃ち出される傍から斬り落としていく。
だが。
中空にて側転し、見下ろす下方。
視界を埋め尽くして這い回る、触手の海。
その全てから、裂けて剥き出した、無数の目玉が。
光を。
『――リィン』
放つより、速く。
澄み渡って響いた鈴の音に、鮮血を散らして破砕した。
「全く。満足するなと、言った傍からこれよな」
ミズノは着地する。呆れたような声音に上体を起こせば、カナメは既にそこに居た。
ほんの少し、朱を差した微笑みに。
白く透き通る、妖精のような、四枚羽を背負って。
――綺麗だ、と。
そんな月並みな言葉さえ、呆けた頭と、掠れた喉では紡げない。僅かに羽ばたけば、小さな鈴を転がし、淡い燐光を散らすカナメの翼に、ただ呆然と、見惚れ果てて。
「それ――ゴキの羽だよね」
「だから見せたくなかったんじゃ……ッ!」
馬鹿を言わないで欲しい。そんな白蝶よりも美しい虫の羽があってたまるか。天使でさえ嫉妬するだろう、光を透かして七色に煌めく様は、カナメの瞳を一杯に薄く伸ばしたような輝きをもって、彼女を女神などと、千万年の時を経て語り継がせる、証左に他ならない。
おっと、とぼけていたようで良い感じの賛美が出たではないか。今すぐ口に出そうそして求婚しようと決意もとい勇み足は、
「――聞け、人の子らよ」
カナメの、叫ばずとも良く通る声に、止められた。
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