第一章 白き人間と黒の蜚廉(8)
「やって、しまったあああぁぁ……」
完全に拒絶した。
これ以上ないほど、取りつく島もなく。
今度こそ身体を支えきれず地べたへ横倒しになる。顔は覆ったまま、先までの焼けるほどの熱は冷え切って、人目が無いのを良いことにシクシクと涙も鼻水も垂れ流すままにして。
安い共感だ、と。似た境遇への同情だろうと。挙句の果てにはロリコンだのなんだのと。年増ババアがまるで
そうではないと。
ミズノの思いは、そんなものではないと。
同じだからこそ、分かり切っているくせに。
馬鹿なのかコイツは。本当に救いようのない大馬鹿野郎だ。死ね。今すぐになど生温い、永遠に消えることのない後悔に心を殺されながら死に晒せ。ミズノを傷つけた十億倍傷を作りながら死ね。……いや、死ねないんだけど。つまり永遠に苦しめ。上等ではないか。
そうまで考えて、己の心をどん底まで突き落として。
「……ダメじゃな。やはり」
ぽつりと、こぼす。
冷たく、凪いだ心の中で。
「儂は、お主と共に居ることは、できぬよ」
答えは、残酷なほどに、容易に至った。
身体を転がし、背をつけて寝そべる。薄紫の夜空が瞳に染みて、されど、滲むことは無い。右腕を額に乗せて、思い出すように、噛み締めるように、瞼を閉じる。
ミズノとカナメ。二人の出会いは、呪いだったと彼は言った。あの指輪に込められた呪術、それがどのようなものであったかなど、カナメには知る由もなく。けれど互いの思いも尊厳も踏みにじって、無理矢理結びつけられた、がんじがらめの
それでも――、それだけではなかったと、思える。
確かに、思えている。ミズノが曲がりなりにも、腐った虫ケラに過ぎなかったカナメを、救おうとしてくれたことを。そんな日々が楽しくて、嬉しくて、カナメが人に戻ってしまったことも。育まれた思いも、伝えた言葉も行動も、今ここに至る気持ちも何もかも全てが。
作り物ではないと、信じられる。
だから。
だから、こそ。
「ミズノ。お主を、儂なんぞに、縛り付けとうない」
分かっている。
カナメがミズノの呪いになると、分かっている。
二人は、同じだから。救うことなどできないと、分かっている。
否。救いなど不要なのだ。己で決めて己で成した。それが誰にとって救いだったか滅びだったかなどさしたる問題ではなく。ただ愚かな結果が、下らない己の末路が、残っていただけ。
救いたいと思う。助けたいと思う。同じだから、カナメもミズノを。あの色の抜け切った白髪を、澱んで濁り切った赤い瞳を、厚いクマが染み付いて取れない、時折どうしようもなく、寂しそうな笑顔を。幸せになってくれればと、そう思う。
だが。
「共感。同情。それ以外の、何物でもあるまい」
この心を、この身を焼き焦がすような、恋心なる感情でさえ。
そこから生じたものに、過ぎないのだとしたら。
「余りにも、下らなくて」
悲しくて、寂しくて。
「今度こそ本当に、死んでしまうわ」
心が保たないと。
分かり切っている。
捨てよう。忘れてしまおう。カナメはもうダメだ。きっと次は無い。だがミズノは大丈夫だ。まだ若いのだから、きっと『次』を見つけられると、そんな仮初の希望にすら心を抉られながら、頬を伝う滴を、拭い去る。
方法は、ある。あの小箱だ。カナメを永遠の眠りに就かせ、しかしミズノが開いた。二人の出会いとなった、封印箱。アレをこじ開けた、指輪の呪いは失われている。ならば、もう一度カナメがあの中へ収まってしまえば、もう二度とは。
また溢れる涙を振り払い、覚悟を決めて身体を起こした、その時。
カサリ、と背後で音がした。
頭の触角を跳ねさせ、ゆっくりと振り返れば、そこには。
ゴキブリがいた。
ナマの、ゴキブリだ。平たく丸い手の平サイズの大粒にて、しかし妙にテカりのある黒を纏い、長く長い二本の触角をゆるゆると震わせている。
改めて見ると確かに気持ち悪いなコイツ。ミズノはどうしてこんなモノを。控えめに言って狂っているのでは。カナメは己を完全に棚上げしつつ、
「――ジョンソンか?」
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