第39話 世界一格好良い僕の愛機

 11月3日、時刻は午前5時頃。夜明けには、まだいくらか時間がある。


 僕、風祭疾斗かざまつりはやとの前に人生初の愛車がたたずむ。何か途轍とてつもない事実を忘れていた。それを魂の根底から引きり出された。


 友達から正直ちかけている爵藍颯希しゃくらんいぶきと初バイク走行。言うまでもなく僕の心はたかぶっている。


 ───だけど今………。それ処じゃない興奮が目の前で、今や遅しと待ち構えているのだ。


 ストマジッ! 誰が何と言おうが、お前はに取って初めての相棒あいぼうッ! 伯父さんから渡されたKEYをシリンダーに刺し、両手のブレーキペダルを震える手で力強く握り締める。


 右手側にあるIGNITIONエンジン始動ボタンを、俺は初めてこの親指で押すっ! 言い様のない高揚感こうようかん自我じがを押し殺せそうにない。


 高二の夏休みが終わり、ちょっと変わった転校生颯希と、実はとても可愛い幼馴染弘美が、灰色だった17年の人生に突然、様々なでたい花を咲かせてくれた。


 でも此奴は、そんな気持ちとは標識ベクトルが異なる何かを、僕に与えようとしてくれてると確信出来る。


 キュルルルッ、ドドドドドッ………。


 ───す、凄い! もう語彙力ごいりょくなんてものは要らない! 俺はこれからライダーになるッ!


 またがったシートの感触、右手のアクセル。110ccしかない小さなエンジンから、身体を伝わり俺の魂へ繋がる躍動やくどう


 DU◇Eデューク125の二人乗りタンデムで、俺は既に似た様な体験をしている筈だ。それにもかかわらず、ストマジのエンジンと俺の脈拍みゃくはく繋がってシンクロしている気さえ感じた。


「───良い? 出発する前に再度伝えるよ。走り始めてしばらくは時速30kmを必ずキープ。それから無理をしてまで決して私を追い掛けないこと」


「………あ、嗚呼」


 インカムから聴こえてくる颯希からの真剣なアドバイス。とても大切なことを言われてるのに、どうにも上の空となってしまう。


「もしはぐれても必ず私が路肩ろかたに止まって待ってるからね。それから先ず最初に見つけたコンビニへ必ず入るからその……つもり……で」


「………………」


 僕の上の空状態が通じてしまったのだろうか。颯希の声量トーンうたがわしさを帯び始めてゆく。


「あ、最初の走り出し、くれぐれも慎重にアクセルを開く回すこと………って疾斗、ちゃんと聞いてる!?」


 ───大丈夫、ちゃんと俺の耳には届いている。でもこれからの冒険発進につい心がおどり出すのを抑えきれない。


「───COPY了解! YES・SIRイエッサー!」


「───あ、う、うんっ」


 たかぶる想いを容赦ようしゃくなく載せた俺の返事に一瞬だけたじろぐ颯希。だけどきっと彼女もさっしたに違いあるまい。


 初めてDU◇Eデュークで駆け始めた時の興奮ときめきを思い出してくれた筈だ。


「アハハッ!」


「な、何だよ突然……」


 インカム越しでなくとも判る颯希のたのしげな笑い声。だってDU◇Eに跨っている彼女の肩が、地震の様に揺れているからだ。


「───ご、ごめんなさい。いや、疾斗もやっぱ男の子なんだなぁって思ってたら、何だか可笑おかしくなっちゃって」


「待て………初乗りの時、お前だって興奮しただろ?」


 笑い過ぎだろ颯希姫、腹を押さえるのは幾ら何でもやり過ぎだ。それじゃまるで年越しのお笑い番組を視聴している様ではないか。


「ま、まあね……。か、可愛いなあ……ってね」


 ───可愛い!? 俺がっ?


せぬ……」


 俺は思わず口をとがらせる。抗議の腕組みをすべく両手のブレーキを離した処、じわじわストマジが進もうとうずいてるのを感じて止めた。


「さぁ、行くよっ!」

おうっ!」


 右ウインカーで発進の合図を出し、颯希のDU◇E125がゆるやかに発進してゆく。僕も同じく左右両方のブレーキを慎重に開放しつつ、アクセルをジワリと開けていった。


 先述せんじゅつの通り、クラッチ操作とギヤチェンジがない不思議なバイクだ。要はスクーターと同じと割り切れば、どうということはない。


 しばらくは閑静かんせいな住宅街だ。そのままのんびりと進んでゆくだけ。教習所と違うのは周囲が未だ夜、ただそれだけのことだ。人気ひとけも少ないので流石に安心していられる。


 そして遂に県道へ侵入出撃する右折が始まる。これは結構ものがある。交通量が少ないので、飛び出してゆきたい道路上を駆け抜けてゆく車のライトが異様に速い。


 颯希から『時速30kmを厳守げんしゅ』と沙汰さたを受けたのだ。先導車である先生が出来る限り、車間の空いた処を見計らって飛び出してゆく。


「うぉっ!?」


 曲がりながら一気に上限30km狙いでアクセルをひねる。思いの外、速いと感じて正直ビビった。30km位、教習所内で散々出してた速度なのだが………。


 やはり何も守ってくれない公道本番とは恐ろしいものだと考えを改めた。


 やがて目が慣れてくると次の恐怖は、後ろに詰めて来る自動車達だ。向こうもあおり運転を自らの意志でやってる訳ではないのだが、30km上限ではどうしようもない。


 そして実に寒々しい風を感じる。インナー下着は上下共にやり過ぎだろと思う程、着込んだつもりだったのだが。


 つい全身がちぢこまってしまいそうだ。行く時の颯希、特に23区を抜けてからは、仔猫こねこの如く、身体をしなやかに動かしていたのを思い出す。


 も直に慣れるのだろうか、正直少々不安になった。


 出来得る限り左端を走り、早々に御退場追い抜きして頂く繰り返しが続いてゆく。50ccの原付だと、これが日常なのだから、やはり2種で良かったと思わずにはいられない。


 やがて左側にやたらにぎやかな店を見つけた。いやただのコンビニなのだが、店の少ない地域だと随分ずいぶん目立つものだと思った。左ウインカー、最初の約束通り入店した。


「「ふぅ………」」


 サイドスタンドを立てて駐車し、バイクから降りながらメットをぐように脱いだ僕等二人。


 同じタイミングで溜息を吐く。───えっ? 互いに驚き目を合わせ、加えて思わず吹いてしまった。


「───な、何でバイク慣れしてる颯希が溜息なんだよ」


「いやだって、これはこれで気をつかうんだよ。だって初心者とつるんで走るんだから……」


「そ、そっかそっか。そらあ悪うござんした!」


 僕はぶっきらぼうに謝ってから再び破顔はがんする。颯希もしゃべりながら笑い続けた。


 颯希から「せっかくだから少し入ろ」とうながされ、やたら眩しく感じる店内に僕等は入った。


「処でどう? バイクストマジの調子と貴方の具合………」


 此処まで言い掛けた颯希が口をつぐみ、後ろ歩きで可愛い笑顔を覗かせてきた。


「な、何だ、何か聴きたいことあったんじゃないのか? さっきからずっと笑ってばかりだな」


「その顔見たら『大丈夫だ』って書いてあるから、聞くだけ野暮やぼって思っただけだよ。もっと走りたくてウズウズしてる。流石風の使い手フィルニアを生んだ人ね」


 颯希はヤレヤレといった体で肩をすくめると「ちょっとトイレ済ませてくるよ」と言いつつ僕を後にした。


 ───そ、そんなに僕、浮かれているのか?


 ゆっくりと薄明るさを帯びてきたガラス越しに映る愛機ストマジと自分の顔を見比べてみた。


「───違いない、ニヤけ面が収まんないな」


 心の声が勝手に口からこぼれてゆく。大きなDU◇E125と並べると、余計に小さく見える僕のストマジ。


 ───そうだ、アレは誰のものでもない


 誰が何と言おうが、何なら颯希が『可愛い』ってでてくれたとしても、踏んり返って世界一恰好かっこう良いと言い切って反論してやる。


 そんな僕の愛機が『おぃ、早く走ろぜ』とそのライト一つ目で、此方をき立ててくるのであった。

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