第二話 主人公になってよ!!

 次に目覚めたのは何時ごろだろうか。

 まずは今の状況を整理するべきだと思い瞳を焼くような痛みに耐えながら瞼を上げる。

 ここはどこだろうか。


 依然としてぼやけていた視界が少しマシになったので周囲を見回すべく首を動かす。

 自分から見て右手側にカウンター席があり、左手側に大きな窓とテーブル席がある。

 窓はどれもカーテンのようなものが上から伸びていて外の景色を見ることは出来なかったが隙間から覗く陽光から陽は沈んでいない事が分かる。

 そして、天井から吊るされた明るくもない照明が憐れむようにこちらを見下ろしていた。

 コーヒーの落ち着く香りとメープルのような甘ったるい香りが混ざり合い鼻腔を刺激してくる。


 喫茶店。

 そう呼ぶべき場所にどうやらいるようだ。


 おかしな所を一つ指摘するならば―――――

「なんで俺はこんな拉致まがいなことされてるんだよ」

 視界や口までは閉ざされてないが、手や足が椅子に固定されるように縛られていて身動きをとることが出来なかった。

 なぜこんな状況にいるのか、心当たりは全くない。誰かに恨まれることをした記憶はないし、身代金目当てで誘拐されるほど裕福な家庭というわけでもない。

 そもそも俺はどうしてこんな状況になっている。意味不明、理解不能、思考停止。

 まあ取り敢えずの方針としては、痛いことはされたくないので犯人らしき人物の指示には全て従おう。なんなら犯人が見えたらすぐに肩を揉んでお茶を出したいくらいだ。

 そのためのお茶を準備したいのだが、手足を椅子と縛っているこのロープが邪魔だ。

 決して逃げたり警察を呼んだりしないから誰か解いてくれないだろうか。

 もちろん解かれたならすぐさま逃走を図り、警察にも通報する。


 今後わが身に起こる最悪な事態を想像しかけて泣きそうになってしまったので、何か楽しいことを考えようと首を振って頭から最悪な妄想をかき消す。


「ん」

 静かな店内で聞こえた音に閉じかけていた目を開ける。

 その音の主を探すべく視線を彷徨わせていると、ある一点に視線が釘付けにされた。

 いつからそこにいるのか、急に現れたように窓際のテーブル席に彼女は座っていた。

 テーブルの上にそびえていたジェンガを抜き取って上に重ねようと腕を伸ばしている。

 彼女は俺の方を一瞥することも無く黙々とジェンガを抜き取りは重ねていった。


 少し見とれていると椅子の上に膝立となりジェンガを重ね始めた。どうやら俺の存在は眼中にないらしい。彼女がジェンガに夢中になっているのを見つめ木が擦れる優しい音に耳を済ませる。


「あの」


 ずっとそうしているのも悪くなかったが椅子に手足を縛られている状態から早く脱したかった。

 声をかけると彼女の小さな体が少し弾み、

「っ───!!」

 直後ジェンガが音を立てて倒壊した。


 勢いよく彼女が振り返る。

「ごめん」

 睨むように目を細めているのだが、可愛らしさが勝ってしまうのは彼女のその容姿からだった。


 綺麗に結ばれている床に届きそうなほど長いツインテールに、大きな瞳、血色のいい頬が空気を含んで膨らみ、桃色の唇は小さく結ばれている。

 どのパーツ一つを取ってもチャームポイントとなりうるそれらがバランス良く小さな顔に収まっている。


 さっきまで愉快そうに揺らしていたツインテールが怒りに震えていた。

 そうして早足で近づいてくると一発俺の胸の辺りを叩く。

 だけど、痛みは感じない。力が弱いとかそういったのではなくて触れられたという感覚さえもなかった。


「ごめん」

 多少の違和感を覚えつつも謝罪の言葉を述べる。

「―――っ、大っ嫌い」

 すると彼女は俺の言葉に一瞬驚いたように目を開いたあとそう言い放った。


 こう、面と向かって嫌いと言われるのはなかなかに堪える。

 まだ気が治まらないのか数発、ポカポカと追加攻撃をした後に、彼女はカウンターの奥へと行ってしまった。

「ちょっ、ちょっとこの拘束だけでも解いて・・・・」


 この縄を解いて貰うことは叶わず、今度こそこの空間に一人になってしまった。

 静寂の中、また周りを見回す。

 今度こそ誰もいない。

 力を入れて紐と椅子を引き離そうとしてみるが、想像よりきつく縛られていたせいか手首が擦れて痛むだけだった。


 カランコロン。


 店の入口の扉が開かれるのに連動してベルが鳴る。

 入って来たのはセーラー服に身を包んだ女性。

 手に提げているのは大きなアルミのトランクケース。

 トランクケースを入口すぐそばのテーブル席に置くと、次いで腰から本物か偽物か拳銃を取り出しそれもテーブルに置く。

 スカートを僅かに上げるようにして太もものホルスターからも物騒な物を取り出すと、それをスカートに挟むように腰に差し入れた。

 本物だろうか。そんな事を考えることに意味なんてないだろうなと思い彼女の動向を目で追う。

 すらっと長い脚、華奢だがどこか芯を感じさせるようなたたずまい。ここが喫茶店だということもあってか非常に絵になる。そこいらのモデルなんかよりも余程綺麗だ、と少し失礼なことを一瞬でも考えさせるだけの容姿をしている。

 そんな彼女が艶やかな黒い髪を両サイドで揺らしながら振り向いた。


「おはよう。主人公くん」

 恐らく関わってはいけない人種なのだと一目でわかる彼女は手鏡で髪を整えた後こちらに近づいてきた。

 無視しようとしたがどうやら無理そうだと気が付きこちらから口を開く。

「俺をこんなんにしたのはお前か?」

 お前だろうな。多分。

 主人公という呼称が誰かの名前代わりに使われたことを俺の短い人生の中で一度しか耳にしたことがない。そもそも主人公というのは物語の登場人物を指す言葉であって個人の名前では無いのだから当然だ。

 記憶が曖昧だったが拉致された時にその呼称を使っていた人物がいた。


「い、いいや。ち、ちち違うよ。本当だよ?」

 大袈裟に両手を振ってみせた彼女がわざとらしく動揺したように視線をさ迷わせた。

 動揺しすぎだろう、とツッコミそうになったがあまりにもわかりやす過ぎる反応に呆れてしまう。

「早くこの縄解いてくれ」

「まあまあ落ち着こう」


 彼女はカウンター奥から何かを取ろうと体をカウンターの上に乗り上げさせた。

 足が宙に浮き、ぱたぱたと動かすせいで黒いストッキングに覆われた華奢な太ももがあらわになる。少し体を動かせばその先も見えそうだったが、そんなものよりも腰に差された拳銃に目が行った。重厚感がありどこか威圧的な雰囲気を放っている。

「おわっと」

 勢い良く彼女が体を起こす。

 カウンター奥から取り出したのは黒い缶のコーヒー。

「見えた?」

「な、なんのことだ?」

 どちらについて聞かれたのかは分からなかったがニヤニヤとほほ笑んでいるから、スカートの中を見たかについて言及されているのだろう。

 とぼけてみるがそれがむしろ可笑しかったのか彼女は笑ってプルタブに指をかけた。

「動揺しすぎだよ」

 指をかけたのだが、いくらプルタブを起こそうとしてもなかなか缶は開けられず腕をプルプルと震えさせている。

「開けてやるからこの縄解いてくれ」

「さすが主人公く・・・・・危ないところだったよ。キミは見かけによらず策士だね」

 見え透いた誘導につられてくれ無かった事に舌打ちをして、彼女を見守る。それ以外に何もできないのだから仕方がない。


 そうして少しの間、缶コーヒーとかなり規模の小さな格闘を繰り広げ、ようやく彼女の手の中の缶コーヒーが気の抜ける音を立てる。

 次いでポケットから取り出したのはスティックシュガー数本とポーションミルク一つ。

「缶コーヒーに砂糖入れるヤツ初めて見たぞ」

 彼女はスティックシュガーを二本同時に破り開けて慎重に注いだあとポーションミルクも開けて缶の中に入れる。

「そ、それは別にいいだろう!コーヒーは苦手なんだよ!」

「なら飲まなきゃいいのに」

 手に持たれた黒い缶に目をやると彼女はゆっくりと目の前で回して混ぜた後にストローを刺して口に運んだ。

「ん、苦っ―――でも、コーヒー飲んでるとかっこよくない?」

 砂糖やミルクを足してもなお苦かったのか彼女は眉間に皺を寄せ舌を出す。

 取り繕うようこちらを向いてそう聞いてきた。

 むしろかっこ悪いのでは無いだろうか。

 せめてブラックではなく微糖とか、カフェオレとか最初から少し甘いものを飲んでいた方が幾分かかっこいいとさえ思う。さらに言うならプラスチック製の水色のストローが幼稚さに拍車をかけていた。

「それに個性出してかなきゃ世界に忘れられるからね」



「ところで風見かざみ晴人はるとくん」

 先程までは何も思わなかった静けさがこの空間に居るのが自分だけではないのだと認識した瞬間から気まずさを孕むようになった。


 なんで俺の名前を知っているのかとか。

 なんで俺は拉致まがいのことされているのかとか。

 君の名前はなんなんだだとか。

 聞きたいことは沢山あったのに不思議と口を開くことが出来なかった。


 ただ静寂の中で彼女の口から次に続く言葉を待つ。

 言う前に彼女が缶コーヒーを俺に差し出してくる。

 黒い缶のコーヒーに刺されていた水色のストローの中腹辺りには黒い液体が残存している。



「ボクの主人公になってよ」


 これはプロポーズだろうか。

 思いがけない言葉につい天井を仰ぎ見る。

 突拍子もなくそんな事を語った声の主は至って真剣そのもので、少し怖いくらいに真っ直ぐと俺を見つめている。

 両耳の上で結われた髪は、結び慣れていないのか左右で結び目の高さが違っていて根元から細い髪の毛が何本も枝毛のように飛び出ている。

 なんと答えたものか。

 癖で腕を動かそうとしたがそれは叶わず、椅子の背でロープにより拘束された手首が擦れて痛む。

 こんな状況でもやけに頭が冴えていて冷静なのは、目覚めてから止まない微かな頭痛のせいか店内を満たす静寂とコーヒーの香りのせいか。

 目を合わせているのが少しだけ気恥ずかしくなり、天井に視線を上げると依然として大して明るくもない照明が俺を見下ろしていた。




 春だ。

 春だと言うのに物語は始まらない。

 ヒロインは不在だし、非日常なんてものも存在していなかった。

 だけど今、目の前に俺に主人公になってくれと語る女性がいる。


 何秒か思案しながら天井を見あげ、再び視線を戻す。

 もしかして彼女が俺が待ち焦がれていたヒロインなのか?

 いや、それは無い。もし仮にヒロインだったならこちらから丁重にお断りさせていただきたい。なんせ、彼女は俺のことを拉致したのだ。挙句、なんの理由も告げないまま眠らせて拘束までしている。それにさっきの少女に大嫌いだとまで言われてしまった。

 ん?待てよ。今思い返してみるとさっきの少女こそが俺のヒロインだったのでは無かろうか。

 選択肢を間違えてしまっただけで、もっと慎重に声をかけていれば拘束を解いてくれていたのかもしれない。そうしたら彼女と二人で物語はスタートしていた、そうに違いない。

 つまり、目の前の彼女はやはり俺のヒロインでは無いということになる。


「ことわ───」

「残念ながら拒否権は無いよ」

 さっきまで俺に差し出していたストローを咥えた彼女がノーという言葉を遮った。

「拒否したら?」

「死・・・にはしないかな?ギリギリ」

 そして『多分ね』と付け足し、いたずらっぽく笑ってみせた。

 その笑顔につい見とれてしまった。

 やっぱりさっきのセリフは告白だったのかもしれない。そうに違いない。

 我ながらあまりに単純すぎやしないかと不安になってくるが、よくよく考えてみるとヒロインなんて何人いてもいいに決まっているじゃないか。

「そんなに見られると照れる」

 彼女がストローを俺の唇に押し付けた。

 無理矢理押し付けられたストローは少しだけチクリと痛くて、苦かった。

 女性が口をつけたものへの躊躇いなど頭を過ぎる余地もなく、乱雑にかき混ぜられたような頭に冷静さを取り戻そうと内容物を啜る。

「もしかして飲みたかった?」

 傾けられた缶から少し苦い空気だけを音を立てて吸い込んだ。

 全部飲んだのかよ。


 違う。こんな事をしている場合では無かった。

 なぜ俺は現在進行形で拉致まがいの事をされているんだ。

「なんで君がこんな状況に居るのかって?」

 聞いても無い事なのにまるで心を読まれているような気分だった。

「君が主人公だから、この一言で全て説明がつくのだけど」

「意味がわからない」

「だってほら、主人公ってヤツは理不尽に、意味不明な出来事に巻き込まれるものだろう?」

 意味がわからない。

 本当に意味不明だ。

 ずっとやまない頭痛が脳を縛っているようだった。


「そもそもお前は誰なんだ」

木下きのした世界セカイ。愛を込めてセカイと呼んで欲しい。」

「・・・・・そうか。じゃあ木下、早くこの拘束を解いてくれ。手首が痛い」

「無理に藻掻くから痛むんだよ。主人公くん」




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