第一章

幸せのコイン(1)

 ――フィラデルフィア


 ぼくが住むこの街は、アメリカが自由を掴み取り、自らの足で大地を踏みしめ歩き始めた第一歩を語るには、決して外すことのできない街だ。

 ここに、イギリスの植民地下にあった当時の13州の代表者が集まり、独立宣言のための署名が行われた。NYから車で二時間ほどのフィラデルフィアを、街の人たちは親しみを持ってこう呼ぶ。


 ――フィリーと。


 フィリーは、広いアメリカのなかでも最も由緒ある美しい街で、近代的な建物の立ち並ぶ街のメイン通りに、そこから少し外れると洒落た小道沿いに住宅が立ち並ぶ。イギリスなどのヨーロッパを感じさせてくれる雰囲気の街並みは、街の中心に行くほど小道には石畳が敷かれ、ヨーロッパ文化の面影が色濃く残っている。

 しかも、フィリーはアメリカで一番最初に作られたものがたくさんあることでも有名。銀行に造幣局。病院に医学部に動物園。日刊新聞が初めて作られたのも、このフィリーだって学校の先生が言っていた。

 なぜ、こんなにフィリーの話ばかりするのかって? それは、ぼく自身がこのフィラデルフィアをとても他人のようには感じないから。

 ぼくはこの街で生まれ、そしてこの街で育った。つまり、この街で起こるあらゆることや生活すべてが、ぼくにとって初めてのことばかりなんだ。


 そしてぼくの名前。

 本名はフィリップス・カーヴァー。

 そう、愛称はこの街と同じ、フィリーだ。


 ついこの間、学校の社会の授業で、このフィラデルフィアの歴史やアメリカの独立宣言について先生が教えてくれたばかり。

 そのとき先生はこう言った――独立ってのはそれが人であれ国であれ、必ず通過しなくちゃならないとても重要な事なんだって。今はまだ両親の保護下にあるぼくらも、いつかは大人になり、その厚い保護の殻を破って、自分の両足で大地を踏みしめなくちゃならないんだって。

 その独立の先に本当の自由が待っている。先生はそんなふうに、熱い眼差しで教室のぼくら全員の顔を眺め回して言ったんだ。

 でも、正直な話、ぼくには先生のそんな熱い気持ちなんてものは、ちっとも届かなかった。だってぼくはまだ十一歳になったばかりだったし、パパもママもまだまだ元気だし、ついでにアイリーンだって元気すぎるくらいさ。

 裕福な家庭って訳じゃないけど、貧しいって感じたこともない。一般的に普通って呼ばれるような生活環境だ。ぼくのひと月のおこづかいが、高級レストランで運ばれてくるデザートほどにちっぽけだってこと以外は。

 フィラデルフィアは芸術の街としても知られている。街のいたるところで見られる壁画アートや、ヨーロッパを感じさせてくれる建物。美術館や博物館に、芸術系の学校が多いのも特徴なんだ。

 街の中心地、シティーホールから北西に進むと見えてくる《フィラデルフィア美術館》には、あのボクシング映画で有名なロッキーステップっていう階段があって、いつも観光客で賑わっている。フィリーに住む人なら誰でも知ってる街のランドマークだ。ロッキーは、ぼくも毎週末パパに連れていってもらうレンタルビデオ屋で、シリーズを通して三回は見たよ。


     †‡†


 教室の窓から見える青空をなんとなく眺めながら、ぼくは上の空で先生の話を聞いていた。

「フィリップス?」

 先生がぼくの名前を呼ぶ。

「君は将来どんな大人になりたいかい?」

 突然先生に指名されて、ぼくはしどろもどろで答えた。

「えーと……うー。まだわからないや。パパのような仕事につきたいけど、ぼくにはできるかどうかわからないし……」

「違う、違う! 将来やりたい仕事じゃなくて、将来どんな大人になりたいか? だよ」

 吃るぼくに笑いながら、先生は教室の隅々まで見渡しながら続ける。

「たとえば、先生のように仕事一筋で頑張る大人だ!」

 先生がそう言い切ると、クラスのみんながクスクスと笑いだした。

「フィリー、考えてみて。家族との時間を大切にする大人かな? 自分の趣味や友達との時間を大切にする大人? とにかく君たちがやがて大人になり自立するころ、君たちはあらゆる自由を手に入れることになる。それと同時に責任もついてくるようになるんだ」

 ぼくは一応まじめに答えようとしたよ。でもなんにも思い浮かばなかった。

「フィリー、少し難しいかな? つまりね、自立も独立も実はとても似ている言葉でね、自立ってのが個人を指すとすれば、独立ってのは、もっと大きな組織や国なんかを含んだりする。アメリカが植民地時代から独立し、自分たちの足で踏ん張ってここまでやって来たように、いつか君たちも、このアメリカのように自分の足で踏ん張って生きていけるような大人になってほしいって先生は思ってるんだ」

 先生は満足そうな笑顔を浮かべて、ぼくら一人ひとりの顔を眺め回していく。

「学校の授業ももちろん大切だけど、今君たちの目に映るすべてが大事な教材でもある。君たちの周りにいる大人たち、学校の友達、そして家族。そのすべてが君たちを一人前にするための大事なテキストなんだ。色々な人たちや事柄に関わりあって自分を大きく成長させていく。そうしたなかで、さっき先生が言った自由に付随する責任という意味が見えてくるはずだよ」

 ここまで話し終わると、タイミングを見計らったように終業のベルが鳴った。

「じゃあ、今日はここまでだよ。みんな、気をつけて帰るように」

 そういって、先生は全員が教室から出るまでの間、ぼくらに手を振り見送ってくれた。 


     †‡†


「フィリー! 帰ろうぜ!」

 そう話しかけてきたのは、クラスメイトのアーチャーだ。彼とは家も近くて、大昔からの親友。特徴的なのは、燃えるような赤い髪。体が大きく太っちょなアーチャーは、なにかとクラスでは目立つ存在。食べることが大好きで、ぼくも食べ歩きの旅にはよく付き合わされる。

 少ないおこづかいのぼくには大打撃だけど、「食べることこそが人生のすべてだ!」って常日頃から訴えている親友の誘いを断れる訳がないよ。だから可能なかぎり付き合うようにしているんだ。

 学校から出て、クリスチャン通りを西に歩き出すと、アーチャーが笑いながら話し始めた。

「なぁ、フィリー? お前先生に指名されたとき、寝てただろ?」

 クスクスと笑うアーチャーに向かってぼくは首を振る。

「寝てないよ、聞いてもいなかったけど……」

「やっぱりな! 俺もだよ! それに自立だの独立だのって俺たちには全然早いよな!?」

 満足そうに大笑いするアーチャーの言葉にぼくも大きく頷くと、彼と同じように笑った。


 ぼくが住んでいるのは、フィラデルフィアのセンターシティーの南側で、《セントアルバンスプレイス》っていう通りにあるアパートだ。アーチャーの住むアパートも同じ並びにあってものすごく近い。そういう訳もあってぼくらは大昔からの親友なんだ。

 フィラデルフィアの街の通りは、まるでオセロ盤の模様みたいに、東西南北、縦横に走る通りがチェック柄のように入り組んでいる。それぞれの通りには、ちゃんと名前もついているよ。《サウス20番通り》とか《クリスチャン通り》とか……。

 とにかく名前を覚えるだけでも大変さ。

 ぼくらはお互いに馬鹿話をしながら、クリスチャン通りをまっすぐ西に歩いた。しばらくいくと南北に走る大通りのサウス22番通りにぶつかりその交差点を北向き、つまり右に曲がるんだ。

 この交差点のもう少し南側には、『ベアズストレージ』って名前の食品マーケットがあって、ママはそこでレジ打ちのパートをしている。ベアズストレージ――クマの貯蔵庫なんて名前がついてるだけあって、この辺りの食品スーパーのなかでは一番大きい。

 ママの買い物にはよく付き合うけど、そこで偶然アーチャー親子を見かけたときは笑いを堪えるので大変だった。いつもはあまり人のことを揶揄しないママでさえ、「まぁ」と笑ってぼくに目くばせしたくらいさ。だって二人とも体が大きくて太っちょだから、まさにベアズストレージ。広い店内を、カートからこぼれ落ちそうなスナック菓子やフレークに肉や野菜でいっぱいにして、貯蔵庫のように体の大きな二人が楽し気にカートを引っ張りあってウロウロする姿に、なぜだかかわいらしさまで感じたよ。

 ママはとても手先の器用な人だ。ソファーカバー、テーブルクロスからベッドシーツ、カーテンまでなんでも作ってしまう才能の持ち主。バスルームの割れたタイルだって元通り! じゃなくってむしろもっときれいに直してしまう。デザインセンスだって半端ない。

 ママはその昔、服飾デザイナーになりたかったらしい。もちろん、ママが本気を出せば、すごく雰囲気のいいドレスだって作れるよ。ハイスクールに通うアイリーンがダンスパーティーで主役級に注目を集めてしまうほどすごいドレスだ。

 そんな影響からか、アイリーンはハイスクールを卒業したら服飾デザインを本格的に勉強したいって言ってるんだけど、アイリーンにママほどの才能があるとは思えない。でもそれを聞いたママはとても喜んでいた。

 子供のぼくから見ても、ママの手先の器用さとセンスの良さは抜群だと思うよ。でもそんなママの才能をアイリーンが引き継いでるかどうか――それはわからないよね。だって、そういうものじゃない? 偉大なベースボールの選手の息子が、必ずしも父親と同じように偉大な選手になれるとは限らないんだから。

 どちらかと言えば、ママの手先の器用さを引き継いだのはぼくだと思う。ただ、それが服飾の世界で通用するのかって言われると自信がない。だってぼくのファッションセンスはほぼ0に近いんだから。

 フィラデルフィアの公立学校には制服がある。だから、ぼくの私服のセンスがどれほどかってのは、みんなにはわからない。制服を脱いだ後でも遊ぶような関係の友達でなくちゃね。

 アーチャーはそんなプライベートの人物――ってことになるんだけど、ぼくはファッションには無頓着だし、冬は暖かければそれでいいし、ポケットがたくさんついていて、物がたくさん収納できるならなおいいって程度の考え方の持ち主。

 だから、学校のない日に彼と一緒に出かけると、アーチャーはいつも目玉が飛び出そうに驚く。目も口も大きくポカンと開けてしばらく閉じない。最初はすごく嫌な反応だと思ったけど、今ではもう慣れた。それにアーチャーも、ぼくにかけらほどのセンスもないからといって上げ足取って笑うような男じゃないし、とても居心地がいいんだ。

 そんなにセンスが悪いなら、なぜ家族の誰かに見てもらわないのかって? そうしてもらえるなら、もちろんぼくも助かるよ。だけど、ママはだいたいぼくが学校から帰る頃にはスーパーで働いてる時間だし、アイリーンは学校帰りにベビーシッターのアルバイトをしてるから、家に帰ってくるのはママよりも遅いくらい。

 パパは――家にいるんだけど、残念ながら論外。ぼくのセンスのなさはパパからの遺伝みたいだね。以前、クラスメイトの誕生日パーティーに行くときにパパにコーディネートしてもらったことがあるんだけど、そのときのぼくを見たアーチャーの反応はと言えば……普段とまったく変わりなかったんだ。 


     †‡†


 アーチャーと一緒に、サウス22番通りを幾つも交わる道を越えながら帰り道は続いていく。その通りをまっすぐ北へ歩いて何本目かの交差点に、セントアルバンス通りが見えてくるんだ。

 ぼくらの住むアパートのあるセントアルバンスプレイスは、その通りのさらに西側にある。アパートの正面には、街路樹が植えられていて、その街路樹を囲うように金網のフェンスが建っている。

 ママはそのフェンスの街路樹の一画で、誰の許可も得ずに勝手にガーデニングをしていて、年間を通してこのフェンス内には様々な花が咲くからアパートに住む人たちの評判も高い。

「なぁ、フィリー! 明日学校帰りにサウスサイドピザに付き合ってくれよ」

 アパートの前に着くと、玄関のドアハンドルに手を伸ばしたぼくにアーチャーが言った。彼の大好きな食べ歩きのお誘いだ。

「ごめん、アーチャー。ぼく、今月のおこづかいが残りわずかで、とても君に付き合ってあげられないよ」

 アーチャーと一緒にいると楽しいし、ぼくだって行きたい。でもおこづかいが底を尽きてしまうとお手上げだ。パパに頼めば、ぼくに甘いパパはすぐに財布の紐を緩めてくれるだろうけど、そんなのをアイリーンに知られでもしたら、一生小言を言われるはめになる。

 だからパパにすがるのは、本当にここぞ! ってときだけって決めているんだけど、でもそんなタイミングは毎月のようにやってきて、結局いつもチクチクとアイリーンに小言を言われるんだ。

「来月じゃダメかい? アーチャー」

 ぼくが訊ねると、彼は残念そうに言った。

「家でサウスサイドピザのクーポン券を見つけたんだ。その使用期間がちょうど今月までなんだよ」

 確かにそれは来月まで待てない話だ。

「わかった! パパに頼んでみるよ!」

 力強く返すと、アーチャーが笑顔を浮かべた。

「そうか! 俺もママにおこづかい前借りできるか聞いてみるよ! そしたら明日一緒に行こうぜ!」

 二人で話しあったあと、アーチャーは大きく手を振りながら自分のアパートへと帰っていった。


     †‡†


「ただいま!」

 アーチャーを見送って、玄関のドアを開けると元気良く叫ぶ。ぼくの声が部屋いっぱいに響き渡ると、パパがいつもみたいに仕事部屋からひょっこりと顔を出して笑顔で迎えてくれる。

「おかえり、フィリー! ここんところ帰りが早いな」

 そう言いながら部屋から出てくるパパは、古臭いデニム地のエプロン姿。パパの手もエプロンも絵の具を擦りつけた跡でドロドロに汚れている。

 パパはイラストレーターの仕事をしている。もちろん、売れっ子なんて言うには程遠い。しかもデジタルじゃなくてアナログらしい。いまどきエプロンかけてるイラストレーターは珍しいんだって、パパはいつも笑っている。それでもこだわりがあるみたいで、頼まれる仕事もちゃんとあって、食べていけるくらいには稼いでる――ってのがパパの口癖。

 それにぼくのクラスで、パパを知らない奴は誰一人としていない。

 じつはこれがぼくの唯一で最高の自慢なんだ。


 パパがイラストレーターだって知ると、クラスメイトは決まって「どんなの描いてるの?」って聞いてくる。ぼくはそんな質問が飛んでくるのを耳を澄まして待っているんだ。それこそ、全神経を耳に集中させて潜水艦のソナーみたいに、反響音を聞き逃さないよう静かにね。

「あいつのパパって有名なの?」

 こんな小声の質問がどこかで投げかけられても聞き逃さない。そして満面の笑みでこう答えよう。

「ストロベリークリームサンドビスケットのCMを見たことある? フラミンゴのアニメーションのやつさ! アレを描いたのがパパだよ!」

 さあ、得意げにそう言い放てば、たちまちぼくは有名人の息子扱い。それくらいギャレット社のストロベリークリームサンドビスケットは今アメリカ中で大人気。テレビCMを見ない日なんてないんじゃないかな?

 そのビスケットのキャラクターをデザインしたのがぼくのパパだ。ストロベリークリームみたいな色鮮やかなフラミンゴのキャラクター。テレビCMでは、画面中央で、ビスケットを食べている色鮮やかなピンクのフラミンゴの群れに、お腹を空かせた真っ白のフラミンゴがよろけながらやってくる。すると、群れのなかの一羽がビスケットを差し出すんだ。

 白いフラミンゴがビスケットを口に含んだ瞬間、目を大きく見開いてキラキラと輝かせながら両手で頬っぺたを押さえる! そして白いフラミンゴの体はみるみるピンク色に染まっていき、群れと一緒に大空へと跳び上がっていくんだ。

「ただいま! パパ、待ってて、ぼくが今からコーヒーを淹れてあげるよ!」

 アパートに戻ったぼくはキッチンへと走り込む。静まりかえる家のなかで、家族が全員そろう夕方ごろまではパパは部屋で黙々と仕事をしている。なによりも家族との時間を一番に考えるパパは、デザイン事務所には勤めずにフリーランスのスタイルを取っている。だからうちは収入のばらつきがあるんだって、アイリーンが言っていた。

 お金のことはよくわからないけど、うちが貧しいなんて感じたこともないし、なによりパパが一日中家にいてくれるのは嬉しい。だってぼくはパパが大好きだし、いつか自分もパパのようなイラストレーターになりたいって思っているから。

 でもそんなぼくの夢の話を聞くと、決まってパパはブラックのコーヒーを飲んだときみたいに苦い顔をしてこう言うんだ。

「パパはあまりお前にオススメしたくないなぁ」そしてぼくの頭を撫でながら続ける。「今はとにかく、いっぱい勉強して、クタクタになるまで遊ぶことだ。将来どうなりたいか? って考えるのはとても重要だけど、毎日精一杯生きることを怠ってると、大人になったときにとても視野が狭くなってしまうからね」 

 将来のことを考えるのはまだ少し荷が重いけど、芸術家として生きるなら広い視野を持ってた方が良いってことだけはぼくにもわかるよ、パパが言うみたいにね。

 そんな訳で、その日から虫眼鏡で目を凝らしながらじゃないと見えない虫ケラほどのおこづかいを握りしめて、ぼくはいろんな場所に行くようになった。学校帰りに街のあちこちに出かけては、様々な物を見たり買い物を楽しんだりする。とにかく色々と体験して、心の視野を広げようとしてるんだ。

 だからアーチャーとの食べ歩きだって、視野を広げるための大事な勉強さ。でもどれだけ節約してやり繰りしても、月末を待たずにぼくのおこづかいは消し飛んでしまう。跡形もなくね。そうなると、ぼくはまっすぐ家に帰って、パパにおこづかいをねだるんだ。今日みたいにコーヒーを淹れたり、パパの手伝いをしたりして。

「パパ! コーヒーが入ったよ! ミルク1にダイエットシュガーをたっぷり!」

 淹れたてのコーヒーを持っていくと、すでにテーブルに着いていたパパはニコニコしながらぼくを待っていた。

「フィリー、お前またパパからお金をたかる気だろう?」

 毎月末、恒例となってきた行事に、さすがのパパもぼくの手の内を読んでいるようだ。

「まあね、でも今月はよく持ちこたえた方だよ! それにぼくは自分の視野を広げるための投資をしてるんだ! パパだってぼくに広い視野を持ってほしいでしょ?」

 ぼくにはここぞ! って思うタイミングがそれこそ毎日やってくる。今日もそのうちのひとつだ。パパのアドバイスをちゃんと聞こうとしている結果だから、なんとか許してほしいな。パパは黙って、ぼくの苦しい言い訳を笑いながら聞いてくれる。

 パパはどんなときだって頭ごなしに否定なんてしない。ちゃんと相手の言い分を聞いてから、自分の意見を言ってくれる人だ。

「それで? どうしてお金が要るんだい?」

 パパはコーヒーを飲みながら訊ねた。

「あのね、アーチャーが家でサウスサイドピザの割引クーポン券を見つけたんだ! でもクーポンの使用期限が今月末までで、来月には使えなくなるんだよ!」

 それを聞くと、パパは思わず口に含んだコーヒーを吹きこぼした。

「あははは! それは大変だ! じゃあなにかい? お前は割引されたサウスサイドピザの代金さえ払えないくらい、おこづかいを使い込んでしまったって言うんだね?」

 大笑いしながら、パパはこぼしたコーヒーをクロスで拭く。

 ぼくは肩をすぼめて酸っぱい顔をするのが精一杯だ。パパが笑うのも仕方ないよ、だってサウスサイドピザはもともととっても安いからね……。

「OK! フィリー。じゃあ、帰りにパパの分のピザを一切れテイクアウトしてくれるかい? そうしてくれたら、パパはお前にアルバイト代としてピザの代金を支払うよ」

 酸っぱい顔で立ち尽くす息子を見ながら、パパは笑ってぼくに5ドルくれた。

「ありがとう、パパ! それでね、あの……このことはアイリーンには……」

 申し訳なさそうにぼくが吃ると、やっぱり笑いながら大きく頷く。

「もちろん、これは二人だけの秘密だ。でもね、フィリー、毎月こんなことを繰り返してたら、お前だってパパに対して心苦しいだろう? 違うかい?」

 こんなふうに毎回頼ってばかりじゃダメなのは明らかさ。なによりパパはぼくに対してものすごく甘いから、息子のぼくが要求すればそのすべてに理解を示そうとしてくれる。そんなパパに後ろめたさを感じてしまうことだってあるよ。

「どうすればいいか、お前なりに少し考えてごらんよ。そうやって考えたり、行動してみたりすることも、十分お前の視野を広げる助けになるはずだよ」

 パパはぼくの頭を撫でると、再び仕事部屋へと戻っていった。


     †‡†


 ベッドの上で『お金の使い方』ってのをぼんやりと考えてみる。ぼくのおこづかいはクラスメイトよりはたぶん少ないけど、少なすぎるって訳でもない。ぼくの場合は、雑貨屋なんかであれこれと細かい物を買ってしまうのが浪費の原因だってわかってもいるんだ。

 たとえば、動物のイラストの描かれたポストカード。パパのようなイラストレーターになるために、自分の資料兼コレクションとして、つい買ってしまう。

 素人のぼくが見ても「これは下手だぞっ」て思うものもあれば、正直悔しいけど、パパよりも「上手い!」と感じるやつだってある。両方買い集めるのには訳があるんだ。

 本当に残念なことに、ぼくは絵を描く才能をパパから引き継がなかった。手本にするカードを並べてじっくり見比べながら描き写しても、最終的にぼくが描いた絵は名前もわからないような珍獣になってしまう。

「パパだって、お前くらいのときにはちっとも上手くなかったよ。でも毎日描きまくったんだ! とにかく絵を描くことが好きだったからね。ちっとも苦じゃなかったよ」

 そんなパパの言葉を信じて、ポストカードのコレクションから毎日ランダムに選んで描き写してるよ。パパと違って、自分の絵の下手さがいつも苦しいんだけどね。

 下手だと思うカードまで買うのは、もちろん自分を励ますため! こんなひどい絵を描く人でも、プロとしてやっていけるんだって自分に言い聞かせてるんだ! もちろん本心は、パパを越えるすごいイラストレーターになるのが夢だから、「上手い!」と思うポストカードを買うのも忘れない。そうやって毎日一枚ずつ練習して書き写したノートはもう十冊を超えたところ。

 ずいぶん昔に描いたスケッチから、昨日描いたものまで、ノートをパラパラとめくってはどれくらい上達したのかを見比べたりする。ちょっと珍獣、だいぶ珍獣、めちゃくちゃ珍獣……上達のスピードとしては、まぁ……そうだな、人類が猿から人間に進化したくらいのスピードでは、きっと上達してると思うよ、うん。

 昔、アーチャーが家に遊びにきたとき、一度だけノートを見せたことがある。アーチャーはノートの絵を見て、珍獣動物園だと大笑いしていた。不思議と悔しくはなかったよ。だって絵を描いたぼく自身がアーチャーと同じことを思っていたんだから。 

 あと、手頃に集めているものと言えばピンバッジくらい。バスケのシクサーズのピンバッジやベースボールのフィリーズのバッジ。アニメのキャラクターから、スポーツカーまで。

 とにかくぼくは細々としたものが好きみたいだ。

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