3・中庭の幽霊
女性を背負ったまま歩く何て経験は今までに一度もなかったため、比較する対象は無い。
しかし、まるで大きな岩を背負っているような感覚に陥ってしまう程、体は重く、思うように足を踏み出す事が出来ない。
真冬にまさか汗だくになる何て思ってもいなかった。
頬を伝う汗は顎を伝って地面に落下する。
服がべったりと体にくっついて気持ち悪い。
ずっしりとした重さが背中にのしかかっているため、足の疲労度は半端ない。
歩くたびに体力が大幅に削られているような気がする。
呼吸が乱れる。
「やだ、ちょっと九条君機嫌悪すぎじゃない?」
「遠回りになるけど、北校舎を通って正面玄関に向かおう。近づくと何をされるやら」
遠くで男子高生と女子高生のカップルが本音を漏らす。
このまま真っすぐ廊下を突っ切れば正面玄関へ出る事が出来るのに、わざわざ北校舎へ移動してから彼らは正面玄関へ移動するらしい。
決して俺は機嫌が悪いわけではない。
背中にずっしりとした重さがのしかかっているため息苦しいだけなのに、生徒達は勝手に勘違いをする。
重たい足を引きずりながら、何とか中庭に到着した。
妙子は中庭に兄貴が横たわっていると言っていた。
ここ最近の天気はずっと晴れた日が続いている。
真冬だから風は肌を刺すように冷たいけれど、雪が降るような天候ではない。
兄が倒れていた時の天候とは真逆であるにも拘わらず、本当に兄の姿はあるのだろうか。
はやる気持ちを抑えながら、ひょいっと顔を覗かせて窓から中庭を見渡した。
兄が倒れているのはどこら辺なのか。
中庭を見渡してみるけど、その姿は見当たらない。
眩しい日差しが中庭を照らしている。
妙子は昨夜中庭で兄の姿を見かけたと言っていた。もしかしたら、まだ時間が早すぎるのかもしれない。
もう少し日が暮れると兄の姿が見えるだろうか。ガラッと窓を開いてみるけど、冷たい風が頬を撫でるだけだった。
鉄製の窓枠はひんやりと冷たくて、熱で火照る体を冷やすには丁度いい。
窓枠の上に体を伏せようとしていた所で、急に背中にのしかかっていた女性が身を引いたようで、体が軽くなる。
ホッと息を吐き出した所で背後から聞きなれた声がした。
人の弟に手を出すとはどういう事ですか。
兄と最後に話したのは、俺が兄に向かってクッションを投げつけた日。
そろそろ戻るね。 そういって部屋を出ようとした兄に俺は淡々とした口調で呟いた。
もう来るなよ……と。
だから後悔していた。
なんで兄を引きとめなかったのだろうかと。
それからだっただろうか、俺が霊に話しかけるようになったのは。
人間に害のある幽霊もいる。
しかし、そうじゃない奴もいるって事を霊に話しかけるようになってから知った。
顔がぐしゃぐしゃでも、血だらけだったとしても話しかけてみれば案外良い奴だっている。
中には襲いかかってくる奴もいたけど、幽霊に襲われた事によって気づいた事もある。
普通だったら、生きている人間は幽霊に触れる事が出来ない。
俺自身幽霊を見る事は出来ても触れる事は出来ないだろうと思っていた。
しかし、襲ってきた幽霊から身を守ろうとして、咄嗟に拳を突き出したため気が付いた。
俺の突き出した拳は霊の頬を捉えて殴り飛ばす事が出来るのだと。
殴り飛ばされた幽霊は全く予想していなかった出来事に驚いたのだろう。
尻尾を巻いて逃げて行った。
声のした方を振り向くと、よれよれのシャツと曲がったネクタイを身につけている兄の姿があり、黒縁眼鏡を通して女性の幽霊を見つめている。
背後を振り向き呆然と兄の姿を眺めていると、突然女性から視線をそらした兄と視線が交わった。
霊体である自分が俺に見えているわけがないと思っているのだろう。
目が合っているのにも拘わらず話しかけてくる事は無い。
へぇ、この子弟さんなんだ。
だったら話は早いわね。
弟さんに頼んでよ。
木の枝に引っかかっているのよ。
私の結婚指輪。
とってきて欲しいのよ。
ねぇ、と言葉を続けた女性に兄はすぐに首を左右に振る。
弟にそんな危険な真似はさせないよ。
それに、僕達の姿は彼には見えていないよ。
兄は俺が人には見えないものが見える事実を知らない。
そのため、女性の申し出を断った。
学校の中庭には背の高い木があった。
てっぺんにある枝は、3階建ての学校の屋上に届きそうなほど。
木の枝には気温が高くなってくると鳥たちが巣を作り出す。
兄から視線を逸らして、じっくりと木の枝を眺める。
女性の言っている結婚指輪とは一体何処に引っかかっているのだろうと、目をこらして眺めていると視界に赤く輝く宝石が取り付けられている指輪が入り込む。
それは屋上にのぼって柵に手をかけて身を乗り出せば届きそうな距離にある。
しかし、一歩間違えば大惨事につながるだろう。
私はこの子に聞いているのよ。
私は指輪が雨や風に晒されている事が嫌なの。
指輪を取ってきてくれたら成仏するから。
ねぇ、お願いよ。
祈るように、胸の前で両手を組んだ女性。白い服は血で真っ赤に染まっていたため、気づかなかったけど、よく見ると彼女の身につけている服は、保健室にいる教師が身につけているものと同じ。
もともとは、この学校の教師を努めている人だったらしい。
「とってくるよ。だから、兄貴を解放して欲しい」
きっと彼女は指輪が戻ってくるまで、兄を拘束するだろう。
そうすれば兄はいつまで経ってもこの学校から抜け出す事は出来ないだろう。
まさか自分たちの声が届くはずがないと思っていたようだ。
兄は女性の幽霊に返事をした俺を見て、唖然とする。
いつも兄が顔に張り付けていた笑みが見事に消えていた。
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