第3話 両想い

   ◇ ◇ ◇


「――獅子原君、よければなんだけど、今日も泊めてくれない……?」


 バイトが終わって帰ろうとしていたら、灰咲さんに呼び止められた。


「今日は金曜ですもんね……。いいっすよ」

「ありがとう。話が早くて助かるよ」

「正直言うと、俺のほうから声をかけようか迷ってたんですよね」


 土日よりは可能性は低いと思うが、金曜でも仕事が終わった後に灰咲さんの元カレがこっちに来る恐れがある。


 だから、うちに来るか灰咲さんに訊こうかな? と何度も思っていた。

 それに俺の精神衛生上、うちに来てくれたほうが安心するという個人的な事情もある。


 でも事情を知っているとはいえ、男の俺から家に誘うのはあまり良くないかと思い至り遠慮してしまった。


「灰咲さんのほうから言ってくれて助かりました」

「全然言ってくれて良かったのに。まあ、頼むのは私のほうだから、こっちから声をかけるのが筋だとは思うけど」

「事情は知ってますし、筋とか気にしなくていいですよ」

「そう? ありがとう。でも獅子原君には嫌われたくないし、無遠慮なこともしたくないから、ちゃんと筋は通すことにするよ」

「俺に嫌われたら泊まれるところがなくなってしまいますもんね」

「……そんな打算的な理由で嫌われたくないんじゃないよ」


 拗ねたように小さく頬を膨らませる灰咲さん。


「……灰咲さんもそんな表情するんですね」


 意外感に包まれた俺は無意識にそう口にしていた。


「……そりゃ、するよ」

「かわいいっすね」

「……揶揄からかってる?」

「本心です」


 普段クールな灰咲さんだからこそギャップがあって破壊力がある。一瞬だけ見惚れてしまった。


「ふ~ん、そっか。悪い気はしないね」


 ボソッとそう呟いた灰咲さんは、既にいつものクールな表情に戻っていた。――いや、心なしか表情が緩んでいる気がする。


「私は、純粋に獅子原君には嫌われたくないと思ってるんだよ。友達だから」


 灰咲さんって、東京には友達いないのかな……?

 こっちに来た理由的にいなくてもおかしくはないけど……。


 もしそうだったら俺が唯一の友達ということになる。そりゃ、嫌われたくないと思うよな。


 嫌われたくないっていうのは同感だ。

 灰咲さんのことを〝特別な人〟と自覚した今となっては、尚更その気持ちが強い。

 だから余程のことがない限りは仲違いをするつもりはない。


「俺も灰咲さんには嫌われたくないと思ってます」

「ふふ、両想いだね」

「それは違う意味になりません……?」

「そう? 両想いには違いないでしょ?」


 同じ気持ちという意味では正しいけど、言い方がズルいと思う。


「灰咲さんって意外と小悪魔なんですね。そういうの勘違いする男が多いから気をつけたほうがいいっすよ」

「別に誰彼構わず言うわけじゃないよ。ちゃんと人を選んでるから」


 一応、その辺の危機管理はしっかりしているんだな。

 まあ、灰咲さんは大人だから当たり前なんだろうけど。


「獅子原君だから言ってるんだよ」

「……信頼してくれるのは嬉しいですけど、俺も男なんで、あまり度が過ぎると勘違いしてしまうかもしれませんよ」


 友達としての距離感を保ちたいと言った手前、変な気を起こすことはない。

 だが、俺も一応、若い男なわけで、理性や性欲を刺激されると平静でいられる保証はない。友達以上の関係になりたいと思ってしまう可能性だってある。


「ただでさえ灰咲さんは魅力的な女性なんですから」


 俺の好みのタイプじゃなければ、そんなに不安になることはない。

 問題なのは、灰咲さんが俺の好みのタイプだということだ。


 好みのタイプが相手だと理性が揺らぎやすい。

 だから気をつけておかないと、勘違いしてしまう時が来るかもしれない。


「……獅子原君も人のこと言えないと思うけど」


 不満げな灰咲さんにジト目を向けられてしまう。


「俺には灰咲さんほどの魅力はないですから」

「謙遜なのか、自覚がないだけなのか……」


 苦笑気味に答えると、呆れたように肩を竦めた灰咲さんが俺にははっきりと聞き取れない声量でなにかを呟いた。


「少なくとも私は獅子原君のことを好意的に想っているってことは覚えておいて」

「……わかりました。ありがとうございます」


 一つ前の呟きをちゃんと聞き取れていなかった俺は、言葉の前後関係がわからなかった。

 だからそれに関しては一旦考えないことにして、俺が口にした言葉に対する返答だと思って頷いた。


 そもそも呟かれた言葉は灰咲さんの独り言で、俺に伝えるために口にしたものではないだろうしな。


「それじゃ、俺は下の喫茶店で待ってますね」


 仕事中の灰咲さんをいつまでも引き止めるわけにはいかないので、さっさと去ることにする。――引き止めたのは灰咲さんのほうだ、という空気の読めないツッコミを脳内でする俺の存在は無視だ。


「家はわかってるから、先に帰っててもいいよ?」

「いや、一時間ちょっとですし、待ってますよ」


 もう夜だから危ないし、一緒に帰ったほうがいいだろう。

 それに灰咲さんのバイトが終わるのは約一時間後だから、元カレがこっちに来る可能性がより上がってしまう。


 元カレの仕事が終わるのは何時頃なのかわからないが、少なくとも今よりも遅い時間のほうがこっちに来る余裕があるはずだ。

 だからあまり灰咲さんを一人にしないほうがいい。


 なにより、そのほうが俺が安心できるからな。万が一のことを考えたら不安でしょうがないし。


「それに小腹いてるので、なにか食べておきたいんですよ」


 本当はそんなに腹は減っていないのだが、こう言っておけば灰咲さんの罪悪感を軽くできるだろう。


「……そうなの?」


 小首を傾げた灰咲さんに対して、すかさず「はい」と答える。


 すると彼女は納得したように頷き返し、「わかった。終わったらそっち行くね」と口にした。


「――それじゃ、今度こそまた後で」


 幸いにも押し問答を続けずに済んだので、灰咲さんにはそう告げて店を後にする。

 そして「ん」と頷いた彼女に見送られながら、地下一階にある喫茶店へと足を向けた。

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