第22話 ぶきっちょなアリス


 神歴1012年、2月17日――レベランシア帝国、ルナの家のルナの部屋。


 ルナは、なんとも言えない渋い表情でその様子を見つめていた。


「ぐなあーっ、また失敗したーっ! この穴、なかなか通んないーっ!」


「いやなんで通らないんですか!? この穴、めちゃデカいじゃないですか!?」


 デカい。


 針の穴の中でも、相当大きい部類に入る。が、その穴に糸を通すというアリスの挑戦はかれこれ一時間以上も続いていた。その間、衝撃の成功ゼロである。


「……もう今日はあきらめたほうがいいんじゃないですか?」


「あきらめないーっ。ぜったい、今日中に一回通すんだから! ルナ、お菓子持ってきて!」


 言われて、ルナはゆっくりと立ち上がった。


 そのまま、戸棚の上に置いてあった菓子入りのバスケットを手に取り――ついでに二人分の紅茶も淹れて戻ってくる。


「アリスさん、お菓子持ってきましたよ。紅茶も淹れてきました」


「ありがとー」


 それだけ言って、またすぐ穴通しに戻る。アリスの根気はすさまじかった。


 ルナはアリスの正面に座ると、両手で頬づえをつきながら、 


「別に不器用でもいいじゃないですか。そんな練習してまで克服することですか?」


「……器用なルナには分かんない。ぶきっちょなせいで、散々馬鹿にされてきたんだから……」


「それは馬鹿にするほうが悪いです。アリスさんは悪くなんてないですよ」


「……ルナはあたしのぶきっちょ知らないから、そんなことが言えるのよ……」


「……少しは知ってますけど。今も目の当たりにしてますし。でも、そんなに気にするほどのことでは……」


 気にするほどのことだった。


 その後、アリスの口から語られたエピソードは、ルナの度肝を激烈豪快にぶち抜いた。



 ☆ アリス・ルージュの不器用ぶきっちょな事例。



 その1 生卵を割ったときに出てくる白いヤツを取るのに三時間かかる。

     

 最初は箸でやるもまったく取れず、最後は口でチュッて吸ってペッて捨てる。以降、取らずに白いヤツごと食べている。



 その2 汁物を無傷で飲めたことがない。

   

 どんなに気をつけていても、どこかのタイミングで必ず一度はこぼす。飲めた量よりこぼした量のほうが多いという奇跡の記録を作ったこともある。



 その3 積み木で一段目に棒を置いてしまうと、詰む。

 

 一段目に棒を立ててしまうと、二段目以降を崩さず積むことができない。だから棒を使いたいときは、一段目に大量に棒を並べて楽しんでいた。作品名、『並べられた棒』である。



 その4 固結びしかできない。



 全てを聞き終えたルナは、開口一番、


「えげつないほど不器用じゃないですか!? 並べられた棒ってなんなんですか!? めちゃ悲しくなるタイトルじゃないですか! もうわたしがお城作ってあげますよ!」


「ぐなあーっ、ヒトに作ってもらっても嬉しくないーっ! いつか自分で作って子供のときのリベンジ果たすんだから! そのためにも、早くぶきっちょ直したいの!」


 思いのほか、悲愴な決意のもとに始められた特訓らしかった。


 ルナは、声のトーンを若干と落として、


「わたしに手伝えること、なにかありますか……?」


「心の中で応援してて! それだけでいい!」


 ルナは無言で頷いた。そのまま、言われたとおりにただ見守る。


 紅茶を飲みながら。


 あるいは洗濯物を畳みながら。


 はたまたベッドの上に寝そべりながら。


 そうして、彼女たちの時間はあっという間に流れて過ぎた。


 三時間後――。


「なあーっ、できたーっ! 通ったーっ! ルナ、糸が穴に通ったよーっ! 見てー!」


 室内に、歓喜の声が木霊する。満面の笑みを浮かべて、アリスはどうだとばかりに成し遂げた成果を掲げてみせた。


 ルナは、感心の笑みを彼女に返した。


「すごいです。ついにやりましたね。お見事です」


「うなあーっ、ルナー、もっと褒めてーっ」


 アリスが甘えた声をあげて抱きついてくる。ルナは彼女の身体を優しく抱きとめた。


「エラいです。アリスさんは、ホントにホントにエラいです。めちゃエラです」


「ふなあーっ、あたしエラいーっ、めちゃエラーっ」


 良いコ良いコするように頭を撫でながら、これ以上ないほどアリスのことを褒めそやす。


 それは本心から出た言葉だった。本当にすごいと思う。エラいと思う。こういう苦手な分野でも克服しようとがんばるがんばり屋なところは、アリスの最大の長所であり、ルナが心の底からうらやましいと感じる部分でもあった。自分には、おそらくマネできない。マネのできない、部分である。


(……苦手なこととか嫌いなことも、もうちょっとやったほうが良いのかな……)


 例えば、あえて自分の間合いではない間合いで戦う特訓をしてみたり、攻撃ではなく防御に重きを置いて戦う練習をしてみたり、お化けの話を率先して真夜中に聞いてみたり――。


 そこまで考えたところで、ルナはブルブルと首を左右に振った。


 絶対無理だ。


 自分にはできない。主に三番目が無理。というか、三番目だけ無理。


 ルナは奈落の底に特大のため息を落とした。


 と、そのタイミングで、唐突にアリスが言う。発した内容は、まるで予期していなかった想定外のそれだった。


「そう言えば、この前トレドさんにパーティ組まないかって誘われた。断ったけど」


「えっ、アリスさんも誘われたんですか?」


「うん。てゆーことは、ルナも誘われたの?」


「はい。わたしも断りましたけど。めちゃガッカリした顔されたんで、なんかちょっと申し訳なかったです。でも、わたしの居場所はやっぱり、ブレナ・ブレイク率いるブレナ自警団なので」


「うん。ブレナさん、あたしたちがいないとダメダメだもんね。トレドさんは最強無敵だから、一人でも全然大丈夫……でも、ないかな。内面的に」


「意外とブレナさんとそんな大差ないくらい、中身ダメダメな感じですもんね。すぐヒト殺しちゃうし。相手悪党ですけど」


「微妙に空気も読めないしね。探してるっていう相棒が、早く見つかるといいけど」


「そう言えば、その相棒ってどんな『ヒト』なんでしょうね。名前しか聞いてないですけど。旅に出ちゃう前に、特徴とか詳しく訊いてみましょうか。もしかしたら、見かけたことあるヒトかもしれないですし」


「うん、そうだね。まあ、まだあと一週間くらいはブレナさんの家に居候するつもりらしいし、機会があったら訊いてみよ」


「はい」


 頷き、ルナは窓の外へと視線を向けた。


 巨悪の消えた帝都の空は、雲ひとつしかないほどの稀に見る晴天だった。

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