酔っ払いの正体

 一ヶ月いっかげつぶりにる『韋駄天いだてん』。まだまだつよいあき陽射ひざしのなかで、キラキラかがやいてえる。桟橋さんばしあるいていくと、『韋駄天いだてん』のキャビンの屋根でメインセイルをブームにセットしていたデンさんがぼく気付きづいた。

陸斗りくと! 潮気しおけけちまったんじゃないか?」

「デンさんこそ、からびてんじゃないですか?」

 ジブセイルをセットしていたアラさんもめた。

陸斗君りくとくんひさしぶり」

「アラさん、またよろしくおねがいします」

陸斗りくと! あたしもよろしく!」

 キャビンのハッチから陽毬ひまりかおした。

「うん、よろしく!」

「おい、はやってい。メインのクリューをってくれ」

 デンさんはブームにひじをついて、桟橋さんばしぼく見下みおろしている。ぼくいそいで韋駄天いだてんむと、陽毬ひまり荷物にもつあずけた。キャビンのなか片付かたづけておいてもらうためだ。

 メインセイルの下端かたんはブームのみぞとおすんだけど、ブームの半分はんぶんくらいまでしかとおっていない。やくと、みぞやく二人ふたりがいないとスムーズにセットできないんだ。デンさんがセイル後端こうたんかど(クリューってぶ)をブームのはしかってる。ぼくはマストのよこに立って、セイルがみぞにきれいにおさまるようにセイルをおくす。クリューがブームのはしまでて、メインセールをブームいっぱいにれるようになったところで、デンさんがクリューを固定こていした。アラさんもジブの準備じゅんびができたようだ。


 さあ出港しゅっこうだとおもったのに、デンさんもアラさんもフネを気配けはいがない。

「デンさん、ないんですか?」

「ああ、もうすぐるとおもうんだが」

 だれかをってるみたいだ。でもだれだろう?

 デンさんと一緒いっしょ桟橋さんばしていたら、小父おじさんがあるいてきた。たことあるがするけどおもせない。

「デンさん、たせたな」

「いや、こっちこそいろいろ無理むりいてもらってわるいな」

「デンさんには酒瓶さかびんりがいっぱいまってるからな」

「カズさん?!」

 いつもぱらってフラフラしてるのに、今日きょうはシャンとしてるからわからなかった。

今日きょうはカズさんにもってもらって、最後さいごのチェックをしてもらう」

最後さいごのチェック?」

「おう。キールはカズさんがなおしてくれた。修理しゅうり問題もんだいがないかてもらうんだ」

「えっ? カズさんが修理しゅうり?」

 ぼく無意識むいしき不審ふしんかおをしてたみたいだ。

「こら陸斗りくと、なんてかおしてんだ」

 デンさんにたしなめられたけど、ぱらってデンさんにおさけをねだってるところしからないんだから……

「ははは、デンさん、仕方しかたないよ。ぱらってるところしかてないんだから」

 カズさん本人ほんにんにもわかかってるらしい。

陸斗りくと、カズさんはな、このフネ、ストレイをつくったビルダーだ」

「ビルダー?」

造船所ぞうせんじょだよ。もうずいぶんむかし廃業はいぎょうしちゃったけどね」

 カズさんが補足ほそくしてくれた。

「カズさんがこのフネをつくったんですか?」

「そうだよ」

修理しゅうりしたってことは、まだ造船所ぞうせんじょのこってるんですか?」

「いやいや。マリーナに場所ばしょ道具どうぐしてもらったよ。造船所ぞうせんじょはとっくに人手ひとでわたって、いまじゃリゾートマンションだよ」

「それももう廃墟はいきょちかいけどな」

 デンさんの言葉ことば時代じだいながれをかんじる。なんてカッコつけてってみたけど、バブルも、その崩壊ほうかいも、ぼくまれるずっとむかしのことだから、実感じっかんなんていけどね。


        * * *


 マリーナの堤防ていぼうる。一ヶ月いっかげつぶりのうみふか空気くうきむ。ひさしぶりのしおかおり。身体中からだぢゅうわたっていく。なんだかいままで本当ほんとうからびてたんじゃないかって気分きぶんになってくる。


 メインセイル、ジブセイルをげてエンジンをめる。かぜなみおとしかしなくなる。やっぱりヨットはいなあ。一ヶ月いっかげつれなかったから、余計よけいにそうおもう。

 まずはジグザクにはしって風上かざかみかう。一五分じゅうごふんくらいはしったところで反転はんてんして、風下かざしもかう。一ヶ月いっかげつぶりのスピンワーク。やっちゃった。またスピンシートを手すりのしたくぐらせちゃった。夏休なつやすみにはもうそんな失敗しっぱいしなくなってたんだけどな。何事なにごと継続けいぞく大事だいじなんだな。もちろん、デンさんもアラさんもおこったりしない。二回目にかいめにはかんもどってミス出来できた。でも夏休なつやすみのわりにくらべたら、モタモタしてるのが自分じぶんでもわかる。レースまであと一ヶ月いっかげつ。それまでマリーナにかよめてもどさなきゃ駄目だめだな。


陽毬ひまり今日きょうかぜは?」

 デンさんがキャビン入口いりぐちのステップ(すっかり陽毬ひまり定位置ていいちになってる)に陽毬ひまりいた。

予報よほうどお北西ほくせいかぜつづきます。移動性高気圧いどうせいこうきあつがいるからです。ただ、午後ごご海風うみかぜるし、高気圧こうきあつうごいているので、すこ東寄ひがしよりにまわるとおもいます」

 デートの成果せいかだな。ぼく陽毬ひまりはそっとわせてうなずいた。

「なんだかたのもしくなったな」

 デンさんも感心かんしんしている。


 その練習れんしゅう陽毬ひまり予測よそくもとにコースをててはしった。もちろん一〇〇ひゃくパーセント的中てきちゅうというわけにはいかなかったけど、これまでよりさらに精度せいどがってるのはあきらかだ。経験けいけん理論りろんくわわったからだろう。


 午前ごぜん練習れんしゅうえ、海上かいじょう昼食ちゅうしょくませ、午後ごご続行ぞっこうだ。デンさんが練習れんしゅう終了しゅうりょう宣言せんげんしたのは、三時さんじぎだった。

「よし、今日きょう練習れんしゅうわり。陸斗りくと、だいぶもどってきたな」

 自分じぶんでは夏休なつやすみの状態じょうたいもどってきた感覚かんかくっていたけど、自信じしんがなかった。デンさんにわれて安心あんしんした。


「さてカズさん、どうだった?」

練習れんしゅう間中あいだぢゅうずっと、カズさんはキャビンにはいったりたりしてた。船内せんない浸水しんすいいか確認かくにんしてたんだろう。

問題もんだいない。われながら完璧かんぺき修理しゅうりだ」

「そいつはかった」

はしりはどうだ?」

 カズさんがきゃくかえした。

まえよりはしる」

船底せんていみがいておいたからな」

「レース直前ちょくぜんにもたのめるか?」

まかせろ」

「それになんだかのぼ角度かくどがする」

ヨットは四五度よんじゅうごどまで風上かざかみはしれるわけだけど、フネによっては六〇度ろくじゅうどくらいまでしかけなかったり、四〇度よんじゅうど近くまでけたり、ばらつきはある。のぼ角度かくどいっていうのは、より鋭角えいかく風上かざかみかえるってことだ。

「そうか? のせいだろ」

 そうってカズさんはそっぽをいた。デンさんはニヤリとわらったけど、それ以上いじょうなにもわなかった。

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