モモヨ文具店開店中

三日月理音

第1話 鉛筆名入れ承ります

鉛筆名入れ承ります



「本当に、一本からでも名前彫ってくれるんですか? ひらがなでお願いしたいんですけど。ひらいわ ゆうと、で」

「はい。構いません。三分ほどお待ちください」

 戦隊物が描かれた一本九十円のHB鉛筆三本を受け取るとレーザーカッターで【ひらいわ ゆうと】と彫り込んだ。出来上がるとカッターのスウィッチを切り、薄緑の縦長封筒に入れて赤いテープで留める。

「お待たせしました。合計二百七十円になります」

「え、名入れ代金無料なんですか?」

 ゆうとくんのお母さんが驚く。ふつう手間のかかる名入れは鉛筆なら一ダースからと相場が決まっていて、一本からなどという店はない。あっても別料金で五百円くらいは取られる。

「はい。裏に月世野小学校があるでしょう? そこのお母さんたちからの要望でこうなりました。みなさん、いいお得意さんです」

 ゆうとくんのお母さんが「ありがとうございます!」と勢い込んで、お財布を出した。

 息子のゆうとくんは、少々元気のよすぎる子で、貸し借りの際に失せ物が多い。先月は鉛筆だけで十本はなくなっている。一本九十円の安物でも、立て続けになくされると金額よりもまたか、という気持ちになる。

 一計を案じたゆうとくんのお母さんはゆうとくんの通う月世野小学校のママ友の薦めもあり、このモモヨ文具店で名入れをすることを決めたのだった。

「ええ、うちは名入れは何本でも無料ですからどうぞご利用ください」

 柔らかい微笑みを浮かべる人あたりのいい店主が言う。

 店主は三十前後のまだ若い女性だったが、物腰といい言葉遣いといいしっとりとした古めかしい店に馴染んでいた。

「また来ます! 大雪警報が発令されたから、もうどこにも行けなくて! ありがとうございます!」

 ぺこぺこ頭を下げて行くゆうとくんのお母さんを見送り、二百七十円きっかりを受け取った店主は、「またお待ちしております」と会釈した。

 ここは日の出県月世野町二丁目。

 福永百代(ふくなが ももよ)さんのお城である文具店は、月世野県道十二号線に民家と混じって一軒だけ出っ張るように存在している。区画整理で取り残されたのだ。

 ゆうとくんのお母さんが帰ると、少しだけがたつく引き戸を開ける者はいなくなった。小学校の下校時刻には早いし、周囲にある市役所と県庁の定時はまだまだ先だ。

 百代さんは作業台のカッターを脇にどかし、パソコンを広げた。

 ネット注文が入っているかの確認をするのだ。

 雪が降りそうな灰色の空からはすでに音が消えている。シィンとして耳が痛い。百代さんがマウスをクリックする音だけが六坪ほどの狭い店内に響いた。

 この文具屋を百代さんは一人で切り盛りしている。もとは隣町の文具卸問屋で正社員として働いていたのだが、お父さんの栄治さんの急死によってこちらの店を任されるようになった。お母さんの春代さんは去年亡くなっている。

 本来の屋号は福永文具店なのだが、百代さんの代に変ってからモモヨ文具店と呼ばれている。ネットの屋号はモモヨでも福永でもヒットするようにしている。

(鉛筆名入れ無料が効いたわね。鉛筆の注文が倍増したわ)

 ネットを見ていた百代さんは、ちょっと微笑んだ。彼女としてはにやりという笑い方だったのだが、ふっくらとした外見からにっこりとしか見えない。迫力に欠けるのが難点だった。

 注文の一点一点をプリントアウトしていく。

 店に並んだ鉛筆がどかっと動くのは入学式や学年変動のときだけで、あとは大人しい。一応、月世野町一丁目に画家の先生がいるから、デッサンや絵画に最適な一本百四十円の高級鉛筆――考えてみて欲しい。たかだか鉛筆で一本百四十円という値段を。コンビニでペットボトルが買える――も仕入れてはいるが、ほとんどその画家先生が買っていくだけだ。彼の要望で2Bから順に6Bまで仕入れているが、まあ、驚くほど動かない。

 それも当然なのだ。

 鉛筆のなかで一番動くのは格安の六十円の鉛筆や流行りのキャラクター物だ。それもなくしたとか、ふざけて折ったとか急なときだけ。

 だいたい中学生になればシャープペンを使い出すし、鉛筆なんて筆記用具は小学生かよほどの好事家しか買わないのが現状だ。

 おまけに……

(今は割引の効いたネットでなんでも注文できるから定価で買う方が馬鹿らしいって感じなのよねえ。買いに来るのは急なときだけだし。付加価値つけないと、うちみたいな店はやってらんないわ)

 なので無料名入れサービスというわけだ。勤務していた卸問屋では店頭で彫ったこともあるから百代さんにはお手の物だ。

(とはいえ……十ケースが限度ね。発送のスピードもうちは遅いし……なにかほかに無理せず付け加えられる物はないかしらね。発送の簡易化とかどうかしら。あとでなっちゃんに訊いてみよう)

 なっちゃんとは幼なじみの月世野一丁目郵便局員の木佐木夏子(きさぎ なつこ)のことである。彼女は送料軽減の裏技を知っており、店を継ぐにあたってネット販売を開始した百代さんに諸々アドバイスをくれた。

 店頭のプラスチックケース入り鉛筆を十点、注文内容と間違いがないか照らし合わせてから作業台に戻る。彫って欲しい名前をパソコンから入力し、カッターを動かし始める。

 しゃりりりりりと最初の名前が浮き上がってくる。

(新しい機械買うかなあ。でも費用と使用頻度がなあ……)

 始めてしまった以上、これからも名入れ無料はずっと続く。買い手はそのサービスがあって当然だと思うのだ。

 見切り発車でやりだしたのではないが、代替案もなければやっていけない。

 なにしろこの店は二十四時間営業なのだから。

 百代さんの複雑な心中をよそに、レーザーは規則正しく名前を刻んでいく。

 はせがわ なおや、NODA MASAKI、塚本 心和……ひらがな、ローマ字、漢字がきちきちと刻まれていくのは見ていて気持ちがいい。報われないことが多い小売業だが、アイディア次第でなんとかなることも多い。

 だが、先日月世野一丁目の定食屋・まかない亭がついに潰れたという話を思い出してキリキリと胸と胃が痛んだ。もっともまかない亭は立地が悪かったのをなんとかカバーしようとして価格帯を大幅に下げたのが原因なのだが。

(明日は我が身、か。気をつけないと)

 そのとき丹念に手入れしてある引き戸がカラカラと音を立てた。ちらりと目線を上げた百代さんは、そこに深紅の傘を手にした女の子を見た。

「いらっしゃいませ。今ちょっと手が離せないのでお待ちください」

 女の子は、雪のついた傘を――いつの間にか降り出していたらしい――閉じて道路に向ってばさばさっと降ると、きちんと留め具をはめて傘立てに突っ込んだ。

 そのままずかずかとレーザーをいじる百代さんの前にやってくると、

「見てていい?」

 と尋ねた。尋ねると言うよりも、見ていいのは分かってるけどとりあえず確認ね、という具合だった。腕を組んだ女の子からつんと澄ました雰囲気が漂っている。小学校低学年、一年生くらいだろうか。戦闘機の尾翼のようなポニーテールに、こぼれ落ちそうなほど大きく頑固そうな目。尖らせた唇は子どもとは思えないほど真っ赤で形がよかった。惜しむらくは真っ白い頬が北風でリンゴのように真っ赤になっている。だが総じてとても可愛い、おすまし顔の女の子だ。

 女の子の背にランドセルはない。

 下校のチャイムは聞こえなかったのだが、もう学校は終わったのだろうか。

(しかし、なかなか手強そうな子だわ)

 だが、百代さんも小学生相手にひるむ店主ではない。

 一度カッターを止めると、作業台ギリギリにいた女の子をにこーっと脅した。

「いいですよ。でも手を出したりしないでね。指に穴が開きますよ」

「……あっそ。分かったわ」

 女の子はふて腐れたように、ちょっと身を引いた。だが目線だけは百代さんの手元を見ている。

 なんとか勝ったらしい。

 ひとまず残り五本まで来たので、さっさと仕上げる。

 女の子は、なにが面白いのかじぃっと目を皿のようにしてレーザーによって描き出される文字を見ていた。

 残り一本を仕上げると、スウィッチを切る。出来上がった物をプラスチックケースに戻し、作業台に置いてある注文箱に入れた。

「はい、お待たせしました。なにをお探しですか?」

 女の子は腕を腰にやってふんぞり返った。小さな身体がぐぃんと仰け反って、百代さんは微笑ましくなった。

「鉛筆」

「鉛筆? 鉛筆だと、このあたりが人気ですねえ」

 小学生相手にもあくまで丁寧な姿勢を崩さない百代さんが、店内に三列に並んだ一番左の棚に案内する。棚の二列目、身長の低い子たちにも取れる定番位置にある女の子向けキャラクター鉛筆やポップなイラストの鉛筆を指すと、女の子は「違うの!」と手足をバタバタさせ地団駄を踏んだ。

「よく書けるやつがいいの! これ! インターネットで調べたの!」

 女の子がポケットからプリントアウトした鉛筆の画像を出す。

 そこに出力されていたのは、知る人ぞ知る鉛筆だった。

 画家先生が愛用しているのがクロッキー帳に吸いつくような柔らかくデッサン重視の鉛筆ならば、この女の子が所望しているのは紙へのタッチが硬めながら力を入れることなくサラサラ書けるという一品だった。実は学習用に最適なのだ。

 なんとマニアックな選択だろうと文具マニアが講じて文具屋に勤めて店主にまでなった百代さんは胸の裡で万歳した。

 マニアはいるところにはいるのだ。それがたとえ小学生であっても。

「ありますよ。こっちです」

 視線を上の三段目の棚に。ずらりと並んだ鉛筆ケースの最上段。

 漆黒の百五十円は、蛍光灯の明かりを弾いていた。

 女の子の顔が、わっと華やぐ。目をまん丸くして漆黒を吸い取った。

「十本ちょうだい! それで名前入れて! 一本からでも入れてくれるんでしょ?」

 たしかに引き戸には【鉛筆一本より無料名入れ承ります】と書いたPOPが張ってある。だが、とりあえず十本取った百代さんはちょっと困惑した。

「いいですけど……十本だと、千五百円になっちゃいますよ」

 大丈夫ですか? の言葉を、女の子は嫌った。まるで子ども扱いされるのを嫌がっているように百代さんを睨みつけた。

「ある! お金ならあるから! 嘘だって言うなら先に払う!」

 そして本当に赤い財布をポケットから引っ張り出すと、千五百円を百代さんに押しつけた。

 手の中の千五百円。子どものいない百代さんには分からないけれど小学生のお小遣いにしては、大きな額が、手のひらに載っている。

(どうしよう。千円にまけてあげようか)

 受け取った百代さんが迷っているのが分かったのだろう。女の子はなおもぐいっと千五百円を押しつけた。それで百代さんも観念した。

「……たしかに千五百円お預かりしました」

 カウンターに向かいチーンとレジスターを弾き、千五百円のレシートを出す。女の子はそれを大事そうに財布に入れた。

(千五百円……千五百円……この子の千五百円になにがしてあげられるだろう)

 人がよすぎると夏子さんから駄目出しされている百代さんは、悶々と考えた。

 こんなに必死なのだ。なにかしてあげたい。

 でもこの子は絶対に品物は受け取らない、それに金額をまけることも良しとしない。

(どうする、百代!)

「彫るのはひらがなにしますか?」

「漢字で。えっと……こういう字で」

 津久井 礼央

 広げられたメモには、大きく不格好な字でそう書いてあった。

(つくい れお……ライオンだ)

 百代さんは男の子の奇抜な名前に目を見張ったが、なにも言わなかった。

「お願いします。待ってます」

 女の子は祈るように言った。

「分かりました。お待ちください」

 カッターのスウィッチを入れると、津久井 礼央の複雑な名を刻み込んだ。

 暖冬と言われたはずの今年は春めいてきても雪が多く降る。今の月世野町は牡丹雪が降り出して、道路が白く変っている。県道に面したモモヨ文具店の前の道路は人も車も通っていなかった。たしかゆうとくんのお母さんが、大雪警報が出たと言っていた。

 女の子は店の端っこに置かれているだるまストーブの前でじっと手を翳して待っていた。

 全十本。彫り上がるのにそんなに時間はかからなかった。だから百代さんは最上級の漆黒をもう一本持ってくると、「お嬢さんのお名前、なんですか?」とストーブの炎を睨みつける少女に尋ねた。

「……うみ。キスギ ウミ」

「素敵な名前ですねえ。一本彫りましょうか?」

「……でも、お金、もう、ない」

 しょんぼりした女の子は、百代さんの手に握られたHBのブラックを恨めしそうに見ていた。

 そこで百代さんは、ふふんと仰け反ってみせる。

「うみさん。今、サービスしてるんです。なんと、十本買ってくださった方にはサービスで一本同じ物をおつけしてます。どうです? いりませんか?」

 どっちでもいいけど、やった方が得かもね。そんな雰囲気を漂わせると女の子は、じゃあと遠慮がちに切り出した。

「……うみってローマ字で書いて。ほんとはね、深い海でうみって言うの。……変な名前でしょ。しんかいってみんなから呼ばれるんだ。だったら漢字一文字にしてよ」

 笑っちゃうよねと女の子――深海は苦々しく吐き捨てた。小学校低学年にしては、深海はませて自分の名の意味を理解できるほど、利口だった。

 名前には様々な意味が込められているが、彼女の場合、それがいささかずれたらしい。少なくとも深海はお気に召さなかったのだ。昨今の名前事情には色々ある。

 だるまストーブの上に載ったヤカンから、しゅん、しゅんと湯気が出ているきりで、モモヨ文具店は静かなものだった。

 カッターに鉛筆をセットすると、文字を入力し、スウィッチを押した。

「……あのね、礼央くんだけなの。変な名前ってからかわなかったの。深海っていっぱい生き物がいるから、いっぱい色んな絵を描くうみちゃんにこの名前はぴったりだよって言ってくれたんだ。僕の名前もライオンだからって。妙ちくりん同盟って言ってた。礼央くんすっごく頭いいんだ。鉛筆なんかすぐ終わっちゃうの。クラスで一番終わるの早いんだよ」

 しゃりりりりりりとUMIの筆記体が削り出されていく。

 細かい削りカスが出なくなるのと、深海の大きな告白が始まったのは一緒だった。

「でもね、学校行けなくなったの、うみ。礼央くんと喧嘩したんだ。ちょっと礼央くんにいじわるなこと言われたんだ。……それで、嫌だなって思ったら行けなくなっちゃった。でもね、礼央くん毎日うちに来るの。一緒に学校行こうって。お手紙もくれるんだよ」

「じゃあ、仲直りしなきゃ。礼央くん待ってるよ」

「でも……でもね」

 百代さんの言葉に、深海の大きな目からぼろっと涙がこぼれた。そのままストーブの前でぐすぐすと泣き出す。紅葉のような小さな手がぺたぺたと顔を覆う。深海はなんとも壮大な決意を背負ってこの店までやって来たのだ。店に入ってきたときの居丈高な態度は心細さを押し殺すものだったらしい。

 勇敢な彼女の勇気に応えるべく、あらあらと百代が飛んでいって、背中を擦った。鼻を啜り、健気に涙を堪える深海は小刻みに震えていた。

「どうしたらいいかな。どうしたら仲直りできる? 鉛筆いらないって言われたらどうしよう!」

「大丈夫ですよ。礼央くんは絶対、受け取ってくれます」

 自信満々に言う百代さんに、深海は頬を膨らました。

「なんで? だっていらないって言われるかも……もうおこづかいないし、違うの買えないし……」

 百代さんはふっくらした笑みを見せると、長い指を一本立てて深海の鼻先で揺らした。

「だって、毎日喧嘩した深海さんのところへ来てくれるんでしょう? 一緒に学校行こうって。礼央くん悪いって思ってるんだよ。でもなかなか言えないのが男の子なんだなあ。お手紙書いてきてくれる人に鉛筆渡すのぴったりじゃない?」

 そうかなぁ、大丈夫かなあと心細くてひとしきり泣く深海を慰める。

 慰めていた百代さんの目尻が下がり、口元がほころんだ。

 誰だって、こんな小さな時期があって些細なことで不安になって泣いたのだ。

 きっと深海は礼央のことが好きなのだろう。礼央もまた深海を憎からず思っている。

 互いの思いと不安が入り交じって、礼央は手紙を、深海は鉛筆を渡す。

 ごめんねの言葉と共に。

 百代さんは、深海が払った千五百円以上の物をもらった気がした。

(微笑ましいなあ)

 ほくほくが溜まる百代さんと同じく、雪が静かに降り積もっていた。


 

 薄緑色の二つの封筒に礼央の分と、深海の分を入れるとビニール袋に入れて手渡す。

 裏手にある月世野小学校から下校のチャイムが鳴るが、児童は一人も出てこない。ゆうとくんのお母さんの言ったとおり、大雪警報が発令されてみな帰宅させられたらしい。

「送っていきますよ。大雪警報が出ているから、一人だと危ないからね」

 ビニール袋を下げた深海は頷くと、店先に出て傘を取った。

 百代さんは

【外出中 一時間程度で帰る予定 急用の方は下記連絡先まで】

 とミニ黒板にメモして戸締まりをした店の軒下に置いた。

「さ、行こう。滑るから気をつけて」

「うん」

 百代さんが差し出した手を、深海は握った。

 積もった雪はすでにレインブーツを履いた百代さんの足首まで来ている。

「ずいぶん積もったねえ。こんなに積もるのは私の小さい頃以来ですよ」

 ひょえーと辺りを見回して驚いている百代さんを尻目に、長靴を履く深海は雪を蹴飛ばしながら歩いた。ふふふっと笑い声がもれている。雪は被害も甚大だが、適度ならば恰好の遊びになるのだ。

 さくっ、さくっ、さくっ。

 かき氷を突き崩すような音だけが辺りに響く。

「誰もいないねえ」

「いませんねえ。静かですねえ」

 腕時計を確認するとまだ四時にもなっていない。

 月世野町は一面の銀世界で誰もいなかった。ただ雪が静かに静かに降りしきり、家々の明かりが灯っている。

「おうちは一丁目のトモミ薬局の裏でいいんだね?」

 うんと頷く深海は、けれど気乗りしていない。

 ははーんと百代さんは勘づいた。

「もしかして、黙って来ちゃった?」

 うろうろと視線を彷徨わせた深海は、ややぎこちなく「うん」と言う。

「……お母さんに怒られると思って。学校行ってないのに、文具屋さん行ったなんて言ったら……」

(世間体を気にするお母さんなのかしらね)

「じゃあ私から一言付け加えてあげますよ。深海さんは、大事なお客さんですからね」

 にこーっと笑って覗き込むと、深海も笑みを返した。

 子どもっぽい、安心と無邪気さに包まれた笑顔だった。



「まあまあ、ありがとうございました」

 結局、深海は不登校をしてるのに家を出て怒られたのではなく、大雪警報を無視して出かけたことを怒られた。しきりに頭を下げる深海のお母さんに恐縮し「深海さんには、たくさん買っていただきました。またよろしくお願いします」とお願いした。

「本当に申し訳ありません。……あの、福永文具店さんて、小学校の裏の」

「ええ」

 応じるとやっぱり! と百代さんとそんなに変わらないだろう母親が手を打った。

「おじさんよくおまけしてくれたんですよ! 消しゴムとか、鉛筆とか。その節はお世話になりました」

 聞けば父の栄治も、よくおまけだと言って色々くれたらしい。

 百代さんは苦笑するしかなかった。

(これはお父ちゃん譲りか)

「また伺いますね。ほら、深海! 挨拶!」

「あ、ありがとうございました」

 深海が言って、ちょいちょいと百代さんを手招いた。

 屈み込むと、口に手を当てて百代の耳元でこそこそ話す。

「……頑張って鉛筆、礼央くんにあげる。それで一緒に学校行く」

「きっと喜んでくれますよ。受け取ってもらったら、次はおすすめの鉛筆削りも教えるよ」

 笑みを見せた深海は、雪のなかに咲いた可憐な花のようだった。

 ひらひらと手を振られるなか、百代さんは一人文具店に戻っていく。

 いつもと変らぬ日常がちょっとだけほっこりした。

(やっぱいいよなあ。文房具)

 変っていく物、変らない物。

 それぞれの思いが、百代さんの胸に押し寄せ、感無量になった。

 冷たい空気を吸い込んで、一気に吐き出す。

 よし! と気合いを入れた。

(がんばろ)

 ルルルルとポケットの携帯が鳴った。

 どうやらまた一人、雪の中で困っているお客さんがいるようだ。

 百代さんは携帯を耳に当てると、きりっと答えた。

「はい、モモヨ文具店です。はい、もちろん、開店してますよ」


鉛筆名入れ承ります CLOSED

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