『擬態』の魔法

1

 ふわふわと、暗闇の中を彷徨っていた。正確には、浮かんでいた。だって、脚動かないんですもの。

 ゆっくり、何かが遡る気配がする。それが何なのか、私には理解できない。


 あれ……? そもそも、ここはどこなのだろう。

 右を見ても、左を見ても暗闇。それなのに、恐怖なんて感情は抱かなかった。きっと、冷たげな黒の世界が、やけに温かかったからだ。

 私は何をしていたんでしたっけ……。

 何にせよ、不思議な夢だ。……ゆめ?


 暗闇に小さな気泡が浮かぶ。下から上へと、どんどん数を増やしていった。徐々に明るく染まっていく世界。

 そして、視界一面が真っ白に輝いた刹那、意識が覚醒した。


「――……ァー。……ナァー!」


 ぱっと目を開けると、目と鼻の先に黒猫の姿がでかでかとあった。


「ひぃ……!?」


 勢いよく身体を起こすと、黒猫はすいっと私を避ける。その仕草に、思わず目をこする。

 私はまだ、夢を見ている途中なのだろうか。

 だって、猫は空を飛ばないでしょう?


 私の周りをふよふよと浮かぶように飛び回る黒猫に、思わず頭を抱える。まだ、意識がぼんやりしていた。


「ナァー!」


 耳心地の良い鳴き声を一旦、意識の外へと置いて冷静に状況を振り返る。ひんやり四肢を撫でる若草、木漏れ日が射し込む木陰。どうやら、私は大きな木の下で倒れていたらしい。

 ゆっくりと周りを眺望する。そして、思わず息を呑んだ。


「――わぁ……! す、すごい景色……!」


 一面の平原だった。どこまでも続く地平線は終わりが見えない。燦々と降り注ぐ陽射しが、見るもの全てをきらきらと輝かせ、まるで宝石のようだ。

 こんな美しい景色、いつぶりに見ただろうか。


「ナァー! ナァーッ!」


 ちらっと私の視界に入りこむ黒猫に意識を引き戻される。そして、ようやく思いだした。


「そうか……時流しの魔法だ」


 一度、記憶が取り戻されると、まるで濁流のようについ先ほどまでのことが脳内を駆け巡った。



「では、さっそくお仕事ですよ」


 そう言い、タリスさんはにっこりとほほ笑んだ。最初のように純粋な眼差しで彼を見ることが出来ないのは、なぜだろうか。


「い、今からですか?」


 まだ、店に連れてこられてから一時間と経っていない。いきなり仕事と言われても、業務内容すらしっかりと聞いていないんだけど。


 ちりんっと店の呼び鈴が鳴る。すると、タリスさんは早急に、かつ柔らかな動作で入口の方へと身体を向ける。遅れて、私もそれにならう。

 扉の前に、ずんぐりとした体型の男性がいた。もじゃもじゃの髭に、恰幅の良い小柄な体躯。間違いない、ドワーフ族だ。

 その男性はなぜか少し頭を下げて店内に入った。


「いらっしゃいませ、お待ちしておりましたロムガさん」


 タリスさんが言うから、


「い、いらっしゃいませ……」


 遅れて私もひとまず同じように口にした。

 一応、もう店員ってことらしいですし?

 言い慣れない挨拶にぎこちなさが浮かぶ。前世もこんな不自由な身体だったから、アルバイトすらしたことなかった。


「ふんっ、二度手間だわい。――それで、今日は買い取ってもらえるんだろうな?」


「はい、その予定です。といっても、まずはこちらの者による軽い調査をさせていただきますね」


 タリスさんが私の背を押す。


「えっ……?」


 ロムガさんと言っただろうか。ずしっと座った大きな瞳が私を力強く捉える。近くに寄られると、余計に圧を感じてしまう。有り体で言えば、ちょっと怖い。

 少しだけ甘い香りがした。失礼な話だけど、似合わないなと素直に思った。


「一体、何を調べられるんだ? 見ての通り、ただの鍛冶師だぞ?」


 見ての通り、なのだろうか。

 ドワーフ族というのは鍛冶技術に優れているから、つまりそういう共通認識なのかな。


 もう一度、タリスさんの手が私の背をぽんっと優しく叩く。


「マナさん、説明して差し上げてください」


「わ、私ですか……?」


「そうです。いいですか、真摯にお客さんと向き合ってくださいね」


 きゅっと喉が締まる。もう一度、ロムガさんを一瞥する。

 ここはちゃんとしたお店で、彼はお客さん。そして、私はもう中古魔法店『ノイアッシェ』の店員なのだ。

 夢心地だった気持ちが、一気に引き絞られる。

 そうだ、私の仕事なんだから、ちゃんとしないと。


「では、今から調査の方法と、内容の方をご説明させていただきます」



 で、実際に時流しの魔法で、過去へと飛んできたと。


「よし、ちゃんと覚えています」


 あまりの壮大で明媚な景色に圧倒されて忘れていたけれど、私は今、絶賛お仕事中なのだ。

 それから、事前にタリスさんに伝えられたことを一つずつ思いだしていく。


 ――1、五日以上、過去に滞在しないこと。

 それ以上は魔力が足りなくなって、帰って来ることが出来なくなる。

 時流しの魔法は過去に飛んでいる間、ずっと魔力を使い続けるらしい。一般的な人だと、ものの数分しか過去に滞在出来ないとのことだ。タリスさんでも、数時間が限界だったとか。

 私くらいの規格外でも、五日以上は危険らしい。


 ――2、過去では人の運命を大きく変えるようなことはしないこと。

 過去で何かを大きく変えると、現実に戻って世界が再構築された際に重大な変革が起きてしまうとか、何とか。

 もしかして、時流しの魔法も実はとんでもない魔法なのではないだろうか……。いや、しないですけどね。そんなこと。


 ――3、万が一、身に危険が及びそうになったら、すぐに戻ってくること。

 過去とはいえ、私は実際にそこにいるわけだ。神様みたいに上空から見渡すことなんて出来ないし、ちゃんと怪我もするらしい。過去で負った怪我は戻っても反映される。つまり、過去で死ねば、現実の私も死んでしまうらしい。

 夢のように思えて、その実、紛れもないリアルなのだ。


「ナァー!」


 そして、最後にこの黒猫だ。


「あなたがタリスさんの言っていた、ケット・シーという生き物なのね」


 タリスさんが私の護衛用に召喚魔法で召喚してくれた魔物だ。見た目は本当、ただの愛らしい黒猫。しかし、飛ぶのである。

 それなりに強い魔物らしいけれど、あんまりそうは見えない。だって、ただの飛ぶ猫だし。

 それでも、独りじゃないのは心細くなくて助かる。私とこの黒猫は一蓮托生だ。


「名前、つけてあげないとね」


 軽く背を撫でる。柔らかな体毛が心地いい。


「あなた、ナァー、ナァーって鳴くから……。あなたの名前はナーです」


 我ながら、何という浅はかなネーミングセンスなのだろうか。しかし、当のナーは私の言葉を理解しているのか、嬉しそうにやっぱり「ナァー! ナァー!」と鳴きながらくるくると私の周りを飛び回った。


「気に入ってくれましたか?」


「ナァー!」


 それなら、よしとしましょう。


「さて、それじゃあ、ナーの名前も決まったことだし、さっそくお仕事に取り掛かりましょう」


 そこでようやく、気が付く。


 一面の平原。そこにポツンと佇む私。もちろん、動かない脚。


「あれ……? 詰んだ……?」


 からっ風が、私とナーの間を通り過ぎて行った。

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