あなたの魔法買い取ります~異世界中古魔法店の日常~

微炭酸

叶わない夢物語

 ――さあ、世界を旅しておいで。


 その一言で、私の意識はすっと微睡む。

 ぬくもりに包まれ、微かに耳に残る黒猫の鳴き声に上がり切った高揚感が少し落ち着く。


 また、この目で色々なものを見れる。この身体で、世界中を飛び回れる。

 わくわくが止まらない。

 今から赴くのは夢の世界ではない。実際の過去だ。もちろん、頬を抓れば痛いし、転んだら膝から血が滲む。


 この動かない脚でも世界中を見て回ることが出来るんだ。


 おっと、本来の目的も忘れないようにしないとですね。


 中古魔法店『ノイアッシェ』の店員として、あなたの魔法を調査させていただきます!


         *


 窓の庇から、私に向けて朝陽が降り注ぐ。

 ここが地球とは異なる世界だろうと、やっぱり太陽は眩しいし、憎らしい。わざわざ遥か上空から世界の全てを見渡すなんて、傲慢もいいところだ。


 銀灰色の長い髪が陽射しを反射し、きらきらと輝いている。ただただ、美しい。いつ見ても、うっとりしてしまう。

 あっ、待ってほしい。決して、私はナルシシズムな傾向があるわけではない。

 もちろん、この身体は正真正銘、私のものだ。だけど、どうしても前世の日本人特有の黒髪に比べたら、まだこの透き通るような髪色は憧れのまま。ある意味、他人のような気がしてならない。

 この考えは、異世界に転生してから十五年経っても薄れることは無い。


 呆ける意識が、ドアをノックする音で引き戻される。


「マナ、朝食の準備が出来たよー!」


 いつも通り、ローズの声が向こう側から聞こえてきた。


「うん、お願いします」


 返事をすると、白塗りの木ドアが微かに軋む音を鳴らして開く。

 私は椅子に座ったまま、上半身だけをドアの方へ向ける。エプロン姿の小柄な少女がもちろんそこにいた。いつ見ても、小金色の髪にちょこんと生えた狐耳が愛らしい。


「いつもごめんね」


 そう言うと、ローズは不思議そうに首を傾げながら、私に寄り添う。


「何言ってるの。今さら」


 ローズが私の肩下に腕を回し、ぐいっと身体を持ち上げてくれる。私は抵抗することもなく、彼女に身体を預けた。

 ロングワンピースの裾が床を離れる。

 ローズは私よりも身体が小さいのに、慣れた仕草で歩き出す。合わせて、ずるっと私のつま先が床を引きずる。


 いつも感じる罪悪感。こればっかりは前世での二十年も合わせて、三十五年の付き合いだ。


 異世界に転生したときは、ようやく不自由な身体とおさらばできると思ったんだけどなぁ……。


 結局、前世と容姿が変わろうと、私は全く同じ障害を携えて生きる羽目になった。

 こういうのって、普通死後に女神様とかが現れて、異世界に生まれ変わる代わりに好きな力を授けましょう、ってなるものじゃないのだろうか。そうしたら、私は絶対に何不自由ない身体を真っ先に要求したというのに。

 しかし、実際は前世で冷たくなっていく意識が暗転した次の瞬間には、この世界で赤子として生まれ落ちていた。そして、脚に不自由を抱えた私は両親に孤児院の前へと捨て置かれたのだ。

 両親は知るはずもないのだろうけど、あなたたちの子供は〇歳にしてニ十歳の記憶を持ちうる。もちろん、親の顔も住まいもばっちり記憶済みだ。

 だからといって、今さらどうしようとも思わないけど。というか、この脚じゃ何も出来ないんですよね。


 ローズに連れられ、食堂に向かうと、孤児院の全員が椅子に座って湯気の立つ食事を前に私たちを待っていた。


「おはよう、マナ」


 長いテーブルの上座に座る老年の修道女が、柔らかな声で私に挨拶をする。


「おはようございます、ルルナーゼさん」


 ルルナーゼさんは軽く頷き、視線をローズへ向ける。


「ローズもありがとう」


「もー、マナもお母さんも今日はどうしたの?」


 ローズのぼふっと生えた尻尾が左右に揺れる。

 孤児院の皆はルルナーゼさんをお母さんと呼ぶ。私たち全員にとっての親だから当たり前のこと。この孤児院で彼女を名前呼びするのは私くらいだ。


「さて、それではいただくとしましょう」


 ルルナーゼさんの一言で、皆が食事を始める。異世界でのいつもの一日のスタートだ。

 談笑に華を咲かせ、食事を終えると各々やるべきことを始める。幼い子たちは院内と庭の掃除、年長の者たちは裁縫やら、ルルナーゼさんの付き添い、昼食の仕込みなどまちまちだ。


 私もいつも通り作業に取り掛かろうと思う。

 木籠に山盛りになった片手サイズの黒い結晶を一つ手に取る。重厚な見た目に反して、すごく軽い。まるで大きなピンポン玉のようだ。

 ぐっと魔力を手に集中させる。徐々に温かくなって集うそれを手のひらから結晶に流し込むイメージで、魔力を放出していく。すると、底の見えない結晶に小さな青い光が灯る。光は徐々に大きくなっていき、ものの数十秒で全体に行き渡った。


「――ふぅ……」


 すっかり青く輝く魔結晶を眺め、心の中で大きく頷く。今日は調子が良いみたいだ。いつも以上に青さが際立っている気がする。

 気のせいかもしれないですが。


「ほう、これは素晴らしいですね」


 瞬間、真後ろから声が通り、身体が飛び跳ねる。その反動で手から滑り落ちる魔結晶。咄嗟に手を伸ばすけれど、僅かに届かず落ちていく。


 魔力が満ちた結晶は砕けやすい。石床に落ちようものなら、確実に粉々だ。

 やってしまった。

 そう思っていると、魔結晶が淡い光の枠を帯び、ふわりとその場に浮き留まる。


「えっ……?」


 思わず声が漏れる。そして、その後すぐにこの院に魔法が使える者などいないことを思いだす。だから、余計に困惑した。


 背後からすっと手が伸び、魔結晶を掴み取る。すらりと長い、綺麗な白磁の腕だ。

 振り向くと、見知らぬ若い男性とルルナーゼさんがそこにいた。


「シスター、これは想像以上です」


「そうですか。お眼鏡にかなったのでしたら、是非マナへと話を通しましょう」


 お客さんだろうか。しかし、孤児の私には知り合いなどほとんどいない。それこそ、この孤児院の人たちと、街の医者数名くらいなものだ。

 いくらか会話を交わす二人を一瞥する。

 男性は私よりもずっと背が高い。ゆるりとした黒紫のローブに隠れているものの、細身なのだろう。その腕を見ればわかる。男性にしてはやや長い茶褐色の髪はとても軽そうだ。やけに整った目鼻立ちと端正な輪郭に思わず息を呑む。


 不躾な観察が終わるのと、男性が私に向き直るのはほぼ同時だった。


「初めまして、マナさん。私はこの街で魔法店を営んでおります、タリスと言います。よろしくお願いしますね」


 柔らかな物腰で手を差し出された。

 ずいっと向けられる視線。丸メガネの奥に見える瞳は神秘的なほど深みがある。まるで絵本から飛び出してきた魔法使いみたいだ。魔力の通ったローブを着ているから、本当に魔法使いなんだろうけど


「ど、どうも……」


 おずおずとその手を軽く握ると、思ったよりしっかり握り返された。


「お仕事の邪魔をしても何ですし、端的に。――今日はあなたを勧誘に来ました」


「勧誘、ですか……?」


 一体、何のスカウトなんだろう。さっき、魔法店とか言っていたけれど、それと関係があるのだろうか。そもそも、魔法店なんてものは聞いたことがない。

 魔法は先天的に与えられるもの。成人となる十五までに才能が開花しない者は、生涯使えることはない。そう、私のように周りを凌駕する莫大な魔力を内在させていたとしてもだ。

 神様、こんなチートじみた魔力量にするのなら、魔法の一つでも授けてくれればいいのに。本当、気の利かない神様なのだろう。存在するのかすらわからないけど、愚痴でも零さなければやってられない。


「マナさんの話はシスターからお聞きしました。自由に出歩くことが出来ないと」


 ルルナーゼさんが勝手に話すくらいだ。とりあえず、怪しい人ではないのだろう。

 一つ小さく頷く。


「失礼ですが、この街を出たことは?」


「……無いです。生まれてから、ずっとこの鳥かごの中です」


 せっかく異世界に転生したというのに、私はこの世界のことを全然知らない。いくつかの書物で学んだ知識だけが、私にとって新鮮なこの世界の情報だった。

 永遠に燃え続ける炎の海があるらしい。妖精とエルフが住まう神秘の森があるらしい。魔物が跋扈ばっこしていて、その最たる王である魔王と勇者が何年も熾烈な戦いを繰り広げているらしい。

 全部、実際に見たわけじゃない。この街の門の外にどんな景色が広がっているのかを、私はずっと知らないままだ。


 渇望する外の世界への欲は、虚しくなるだけだから胸の奥底にしまい込んだ。

 それを見透かしたような質問に、思わず視線が下がる。


「世界は広いですよ」


 タリスさんがわざわざ膝をついて、私と目を合わせる。

 ちょっと、むっとした。この人は私の事情を知っているのにも関わらず、平気でそんなことを言うのだ。


「知っています」


「いいえ、あなたはまだ知らない」


 射抜くような瞳に吸い込まれそうで、思わず目を逸らす。


「じゃあ、仕方が無いのです。街の一番良いお医者さんにも治療法は不明と言われましたし」


 異世界の薬も、治癒魔法も出来る限り試した。それでも、私の脚はうんともすんとも言わない。


「だから、私は勧誘に来ました」


 タリスさんは何を言っているのだろうか。だから、次の言葉を理解できなかった。


「――私が、あなたにこの世界を見せてあげましょう」


 その言葉が嘘だとしても、じわっと滲んでしまった。

 この世界を見てみたい。そんな叶わない夢物語を。

 無意識に、彼の手をぎゅっと強く握り返していた。

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