第40話 こどもの時間
今年の魔獣討伐はビックリするほど順調に終わり、秋もいよいよ終わりに近づいてきた。
ジオさまは上下水道や治水事業のノウハウを纏めた報告書と企画書を仕上げるために最近はこちらに建てた邸に篭りがちで、オッフィさまもその手伝いに忙しいらしい。
私は漸く執務を解禁され、昼は執務室で書類仕事に追われている。
冬支度もあり、サミエルとカタリナは商会をクリスとフィンは港からの輸出入の作業に忙しい。
肌寒い程度の過ごしやすい日が続いた休日にサミエルが私たちを誘って港から少し離れた海辺に朝早くから向かった。
いつの間に建てたのかこじんまりとしたロッジが浜辺近くに建っていた。
「釣りをしましょう」
物凄く唐突に笑顔でそう告げたサミエルがクリスとジオさまを半ば強引に連れ出した。
残された私とオッフィさまにカタリナが事情を話してくれた。
発案者はサミエルだったらしい。
「義兄さんとグラジオラスさまはもう少し話す時間が必要なんだよ」
そう言い出したのはセオドアが産まれるより前だったらしい。
それから準備をして今日を迎えた、もうすぐ王都に帰るジオさまのために。
「そう、ありがとう」
オッフィさまが泣きながらカタリナに抱きついていた。
「王都に帰れば彼はもう王太子として生きなければならない、これからの長い時間でカルバーノで過ごした日々はきっと彼にも私にも大きなものになるわ」
憂のないオッフィさまの笑顔はとても美しく見えた。
現在どれほど望んでも陛下や王妃殿下がクリスやセオドアに会いに来れないように、王太子としての職務に戻ればもう自由は無くなるだろう、次に会えば廃嫡されているクリスとは兄弟として会えないし、勿論会いに来ることも難しい。
「さ、しんみりするのはここまで!私たちも楽しみましょう」
パンっと手を打ったオッフィさまが軽やかな笑顔を見せた。
サミエルからの指示で夕方まで私たちはロッジに、三人は海へ釣りに出かけたままやっとロッジに戻った三人は何故か頭から爪先までびしょ濡れだった。
「ほら見て!大漁!」
嬉しそうに笑って魚籠を見せる三人に私たちの眦が上がる。
「ちょっと!風邪ひいたらどうするの!」
慌てて使用人たちが湯殿を用意して風呂に三人を突っ込んだ。
「怒られちゃったね」「お前のせいだろ」「いや二人のせいだよね、私は巻き込まれただけだし」「え?でも義兄さんも楽しそうでしたよね?」
風呂に向かいながら戯れる三人の背中を私たちは苦笑いで見送った。
夕陽を眺めるロッジの庭に屋外グリルを風呂上がりの三人が設置する。
敢えて使用人にさせないのはサミエルの指示らしい、使用人は三人が釣ってきた魚の下拵えをしているし私たちは椅子に座らされて何もさせてもらえない。
「さあ、準備できたよ!」
サミエルが振り返り手招きするので私たちは漸く彼らの元に歩き出した。
既に芳ばしい匂いが漂っているグリルを見ると、良い感じに焼かれた魚介類があった。
「一番大物を釣り上げたのは義兄さんで数は僕、この貝とかはグラジオラスさまが獲ったんですよ」
はいっと渡された小皿にトングを使って焼けた魚や貝を乗せられる。
そして回されたグラスに麦酒が、私のものにだけ炭酸水が注がれて乾杯をする。
「さあ、遠慮しないで食べてくれ、フィーこれ私が獲ったものだよ」
「まあ、ジオが?ありがとうございます」
甲斐甲斐しくオッフィさまの小皿に焼けた貝を乗せるジオさまは憑き物が落ちたかのように鮮やかな笑顔だ。
「ありがとう」
ふっと肩に手がかかり耳元でクリスがつぶやいた。
「私は何もしていませんよ?」
「ずっと黙って見守ってくれていたろう?」
新緑の瞳が真っ直ぐに私を見ている、私が気恥ずかしさに視線を逸らすとクリスは小さく笑った。
「君は不本意だったかもしれないけれど、私は君と結婚してからずっと幸せなんだ、毎回これ以上の幸せはないと思うのに次から次に幸福がやってくる」
君のおかげだよと小さく囁いた言葉に私は肩に乗るクリスの手に手を添えた。
早朝、我が家から長距離用の馬車を二台用意した。
一台は今回王都に行けない私たちの名代としてサミエルと婚約者であるカタリナを乗せる馬車、もう一台は私たち夫婦から家族であるグラジオラス殿下と婚約者オフィリアさまに贈る馬車。
我が家の紋章ではなく王家の紋が入れてある、これの許可はクリスが陛下に連絡して取ってくれた。
長距離移動のため室内を広くフルフラットにした馬車はサスペンションという技術がなかったこの国に私が伝えて開発させた衝撃に強い車体と木材のみで作られていた車輪に被せるように伸びの良い魔獣の革を滑して巻きつけた車輪に変わっている。
魔導石には魔獣除けの結界が施されているその馬車はジオさまがずっと欲しがっていたもの。
どうしても視察など移動が多い王太子の職務で、若い頃の陛下は臀部への蓄積したダメージのためとても辛い出口の病に悩まされていたらしい、ジオさまもそれをかなり危惧していたとか。
クリスがその話を聞いて居た堪れない顔をしていたので事実なのでしょう。
まあ私もあの乗り心地の悪さが嫌すぎて馬車を魔改造したわけだし。
「着いたら連絡するよ」
「サミエルとカタリナも、お祖父さまによろしくね」
口々に別れを惜しみながら王都に向けて馬車が出発する。
腕の中でセオドアが小さくなる馬車をじっとみていた。
走り出した馬車の中から窓の外を名残惜しげにずっと見ていたグラジオラスは見えなくなったカルバーノ邸に長い息を吐いて目を閉じた。
暖かな家庭の中で穏やかに作らない笑顔を浮かべる兄夫婦、小さな甥っ子と生意気な義兄、兄に控えるレスターには随分助けてもらった。
フィンは知らなかったことを笑うでもなく分かるまで理解できるまで丁寧に教えてくれた、街の人々の優しさ港に商船が着く度に祭りのように賑わう人々、見るもの触れるもの全てが真新しく、新しい人脈を増やし新しい知識と技術を貰った。
「好きにさせてもらったんだ、ちゃんと活かさなきゃね」
そう決心したように呟いて開いた瞳には強い意志が潜んでいた。
「大丈夫、私も居ます」
オフィリアもまたたくさんの経験と心許せる友人たち、それらカルバーノで得たものを胸に新たな決心を持って目の前のグラジオラスの手を取った。
子どもでいて良い時間は本当ならばとっくに終わっていた。
それを延長してくれたのは国王と王妃だ。
甘えていい時間は終わる、この先は魑魅魍魎のような王宮での戦いが待っている。
兄さんは優しすぎた、魔窟で生きていられるほど強くなかった。
私は支えられなかった、そんな後悔がずっとあった。
「フィー、これからも一緒に戦ってくれるかい?」
「ええ、いつまでもジオと一緒に」
冬の気配が近づいていた。
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