カマイタチ

 今夜はサヤカと夕食だ。


「やっぱりそれ狙いだったんだ」


 なにがやっぱりだ。バイクに乗ったのはツーリングを楽しむのが目的で男をハントするためじゃないぞ。あれはたまたまツーリング先で出会いがあって、そこからたまたまで付き合いが続いてるだけなんだ。手段と目的をゴッチャにしてもらったら困る。


「でも期待ぐらいしてたでしょ」


 だから手段と目的をゴッチャにするな。ツーリングの目的はバイク旅を楽しむことだけど、楽しむ中に旅先での出会いは余裕で含まれるだろうが。ツーリングする時に出会いを禁止する法律とか、バイク乗りのマナーなんてあるものか。


 ハントするってのは、最初からハントを目的とした行動だろうが。たとえば街中で見境なく声をかけたり、少々嫌がっても強引に飲みに連れ込むとかだ。


「それはハントいうよりナンパでしょ」


 ハントもナンパも同じだろうが。出会いはハントでは断じてない。あくまでも偶然だし、その時の流れがそうなった結果だよ。恋ってそうやって始まる清らかなものだ。


「結果として恋人を作る目的は同じだよ」


 作ろうとして作ったものと、たまたま出来たものを一緒にするな。それにまだ恋人関係になってない。あくまでも異性の仲の良い友人だ、


「そこはまあ良いとして秋野瞬とは驚いた」


 サヤカも作家の秋野瞬を知ってたものな。


「秋野瞬って雛形商事に勤めてたよね」


 なんでそれを知ってるんだ。著者のプロフィールでも元会社員までは書いてあっても、勤めていた会社までなかったはずだぞ。


「知ってるに決まってるじゃない。わたしを誰だと思ってるのよ」


 サヤカだけど。


「そうじゃなくて、これでも社長なんだよ」


 それも知ってるけど、それが秋野瞬の勤めていた会社を知っているのにどんな関係あるって言うんだよ。


「関係あるに決まってるじゃない」


 会社の社長って、よその会社のすべての従業員まで名前まで記憶しないといけない商売なのか。


「そんなこと出来る訳ないでしょうが。世の中にサラリーマンがどれだけいると思ってるのよ」


 知らないけど何千万人だろうな。だったら、


「業界ってなんだかんだとお付き合いがあるのよ」


 バカにするな。それぐらい知ってる。経団連とかそういうところだろ、


「あれもその一つだけど、交流会とか懇親会とか色々あるのよ」


 それも聞いたことはあるな。でもそういうのって、会社員なら全員参加とか、希望すれば誰でも出席できるようなものじゃないだろうが。会社員だって色んなクラスがあり、交流会とか親睦会だって同じぐらいのクラスの会社員しか出席できないぐらいは知ってるぞ。


 会社員のクラスでも特に大きく別れるのは従業員であるか経営者なのかはある。経営者だって会社の規模で変わるし、元受け下請けでピンからキリまであるぐらいは知ってるけど、サヤカの会社なら上位グループだろうが。


 瞬さんはエリート社員だったけどまだ部長ぐらいだったはず。いくら雛形商事が大きいと言っても経営者じゃなく従業員だ。サヤカが出席するような交流会なり、親睦会に顔出すはずがないじゃないか。


「意外と詳しいのね。マナミの言ってることは間違ってないけど、経営者と従業員のグループ分けはさらにってのがあるのよ」


 はぁ?


「経営者グループに入れるのは社長とかだけじゃなく、その予備軍も含まれるの。秋野瞬が入ってない訳ないじゃない。彼は次期次期社長になるはず、いやならなければならない人だったのよ」


 たしかに次期社長有力候補の専務派だったし、その専務の娘婿だったけど。


「ちょっと長い話になるけど・・・」


 雛形商事は世襲会社だったのか。今は三代目か四代目ぐらいらしいけど、


「世襲だからトップの能力にムラが出るでしょ」


 名君も出るけど凡君や暗君も出るってやつか。だから世襲は悪なんだ。


「そうでもないのよ。世襲だから会社の継承がスムーズに行くメリットはあるわ」


 でも凡君や暗君が出ちゃうじゃないの。


「だからと言って世襲にしなかったら優れた経営者が必ず出るってわけでもないのよ。世襲じゃなくても実態的に世襲みたいになってる会社だって多いのよ。政略結婚だってそうだもの」


 雲の上の世界は複雑だな。それは置いとくとして、


「今の雛形商事がどうなってるかぐらい聞いたことがあるでしょうが」


 あんまり興味はないけど、赤字が出たとか、株主総会でもめたぐらい読んだことがある気がする。なんたらファンドがって話もあったはず。


「実態は倒産の危機に瀕してるよ。これは秋野瞬がいた頃には既に始まっていたの。社内でも危機感が高まっていて社長交代だけでなく、世襲打破が盛り上がってたぐらい」


 会社再建の切り札として期待を一身に集めていたのが専務だったのか。


「そうよ。とにかくカミソリって異名があるほどの切れ者だったからね」


 そんなに凄かったのか。


「でもね、専務が期待されていたのはそれだけじゃない。専務の後継者が秋野瞬だったのもある。専務が社長になればその次は秋野瞬じゃない、切れ者社長が二代続いてくれたら雛形商事は立ち直るし将来だって安泰じゃない」


 瞬さんってそんなに期待されていたのか。


「だからわたしも良く知ってるの。専務はカミソリだったけど、秋野瞬になるとカマイタチって呼ばれたぐらい」


 カマイタチって褒めてるのか貶しているのか微妙な異名だな。


「まあね。強いて言えば畏怖されてたぐらいかな。専務のカミソリの意味は良く切れるって意味なんだけど、いくら切れると言っても皮とかせいぜい肉まででしょ。骨なんて絶対に切れないじゃない」


 えらい喩えだけどカミソリで骨まで切れないだろうな。


「それにカミソリで切られたら、誰にどうやって切られたぐらいわかるじゃない」


 レディースの喧嘩みたいな話だけど、カミソリじゃなくたってそうだろ。


「でもね、カマイタチになると、いつどうやって切られたかもわからないし、腕どころか胴体だって真っ二つにされるんだ」


 それって実際に人を切るって話じゃないけど、瞬さんの凄みがなんとなくわかる。でもさぁ、そこまでの切れ者だったら専務が飛行機事故で急死したって専務派を引き継いで社長になれたのじゃないの。


「そうなると思ってた。でもね、秋野瞬はまだ若すぎた。専務が長年培って築き上げた人望や求心力がなかったからね。世襲派の猛反撃を支えきれなかったぐらいで良いと思う。奥さんのこともあったし」


 専務が急死した二年後に奥さんが亡くなっているのか。


「たぶん、もうウンザリしたんじゃないかな。あの時点からだって巻き返せないことはなかったとは思うけど、そのためには世襲派と熾烈な社内抗争を戦い、これに勝たないといけないじゃない」


 想像しただけでドロドロの世界だ。


「雛形商事だって経営が傾き出してるでしょ。それなのにノンビリ社内抗争なんてやってる時間なんてないじゃない。雛形商事が立ち直るには専務の時点でギリギリだったのじゃないかと思ってる。秋野瞬は内部にいたから、それが良くわかってたはずよ」


 火中の栗に手を出さなかったのか、


「あらマナミにしたら難しい言葉を知ってるじゃない」


 うるさいわ。


「あれは火中の栗と言うより泥船から逃げ出した気がしてる。雛形商事は秋野瞬に見切られたのよ」


 ところで奥さんも知ってるの。


「知ってるよ。専務に連れられて顔を出していたもの」


 セレブの世界だ。社交界へのデビューってやつだろ。


「美人だったのは認めるけど、絵に描いたような高慢なお嬢さんだったかな。わざわざあんなのと思ったけど政略結婚だから仕方ないかな」


 なんかそんな世界なんだろうな。今の日本に身分制はないし、誰だって平等の実力主義が原則にはなってると思う。


「そうだな。部長ぐらいまで出世するのは実力主義で良いと思う。だけどそこから経営者サイドを目指すと世界が違うのよ。あそこは魑魅魍魎が蠢く世界になるのよね。秋野瞬があの若さであそこまでの地位になろうと思ったら、どんな相手であっても結婚ぐらいするよ」


 それはそれで嫌な世界だ。となるとサヤカもそんな魑魅魍魎の眷属の一人だ。


「そうならないと食い殺されるだけ。マナミもそうなりたい?」


 ゴメンだ。もう結婚で地獄を味わったから、これから魑魅魍魎の世界なんて誰が行くものか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る