対話③
「……羅刹様」
『……のう、空砂よ。直接対話をするのは久方ぶりじゃな』
社の奥、神様を祀る様に厳重に管理され、姿を目の当たりにする事は出来ないが、しっかりと声が聞こえてくる。年齢は不確かだが、人間で考えた際不惑程のように思えた。鬼族としての品格と威厳さを持ち合わせていて、そしてその声は、確かに眠っている間に聞いた声と同じだった。
私は隣にいる深守に「羅刹様だわ……」と呟く。
空砂さんは私と違い、はっきりと意識のある状態で羅刹様と向き合っていた。何より、物静かな雰囲気の彼が、少しだけだけれど焦った様子にも見えた。
「羅刹様、儂は何も間違っておらぬ……、儂は鬼族の為に生きてきたのじゃから」
『お主が鬼族を愛しておるのは知っておる……。我が息子として苦労を掛けていることもな』
労いの言葉を伝える羅刹様は、自身の知る鬼族とは思えない程優しく、あたたかみのある声音で語りかけた。
「息子……っ!?」昂枝は驚いて声を上げる。「……折成お前は知っていたのか?」
「いや、初めて知った……」
折成さんはこめかみを掻きながら答えた。
それに対して想埜は口を抑えながら、
「え……、という事は結望と異母兄妹……ってこと?」
「……本気かよ」
「……知りたくなかったな」
昂枝と折成さんはにわかに信じ難いといった様子で頭を抱えた。
「は? つまりなんだ……テメェの実の妹達を生贄にってか? ……頭がいかれてるっ!」
昂枝は自身の太ももを強く殴る。怒りの矛先を身の内に抑えて、何とか理性を保つ。
空砂さんは我々の言葉等に耳を傾ける事はせず、羅刹様と対話を続ける。
「羅刹様、死にたいと仰ったのは本当か? ……羅刹様が死にたいと言ったのも所詮、……生贄が吐いた嘘じゃろう……?」
『……空砂よ、あの娘は嘘を吐いておらぬ』羅刹様は静かに、そして、切実な声で伝えた。『……私はもう、疲れてしまったのじゃ……』
「―――」
『確かに、生きねばならぬ。私が長生きして、鬼族を守っていかねばならぬ――そう思っていた時期もあった。……それ故過ちも犯した事もある。じゃが……、私の中へ入ってきた生贄の意識と対話していく内に、私は間違っていたと。……そう感じたのじゃ』
羅刹様は祠から出てくると、空砂さんの方へ歩み寄るのが見えた。
――とはいえ正確には実態が無いのだけれど、婚礼の時に見た朧気で、灰色でいて紫色の様な気配を纏わせたその姿を、空砂さんの方へ行くのを瞳が捉えていたのだ。
「では……儂は、いつから間違っていたと言うのじゃ。今までのは……無意味じゃったと」
『そうでは無い。そうでは無いのじゃ空砂よ』
羅刹様は空砂さんの手を取る。
『私はお主に救われておるのじゃ…。二つの血が流れるお前は、どちらの力も大切にしてくれたであろう』
「……儂は――」
「おい。ちょっと待て」昂枝は手を挙げて、二人の会話を遮る。「話についていけん。空砂、お前は一体何者なんだ」
昂枝は刀を持ったままの状態で、空砂さんの方へと一歩踏み出した。
「儂は羅刹様――鬼族の長である父上と、烏天狗の母上を持つ。それ以上も以下もない」
「は……? 純血じゃないのか?」話を聞いた折成さんも、困惑しながら割って入る。「空砂……さんよ、黙って聞いてりゃ……なんだよ、それ。俺の妹を殺しといて純血じゃなかったのかよ……っ!」
「折成さんっ!」
「ふざけるな! 純血以外認めねぇ素振り見せといて、テメェが純血じゃねぇのかよ……っ!! しかもテメェの身内を殺してたって、なんだよ……意味がわからねぇよ!」
今にも飛び掛りそうな勢いで折成さんは叫んだ。想埜と海祢さんが両脇から抑えるが、“純血”であり、大切な家族の成兎さんを殺された現実は無くならない。膝を折り「クソッ!」と大粒の涙を零す姿に、私はどう声を掛けたら正解なのかわからなくて、慰める事さえ出来なかった。
「それで……、羅刹様のお気持ち聞いて、アンタは……何をしたら満足なんだい」
深守は私の肩を抱きながら問い掛ける。
私達の足元で狐達も行く末を見守っている様だ。
「……儂は」
『……空砂は私と一緒に死ぬのが一番じゃ。お主によって救われたのも事実。じゃが……お主が犯した罪も、私と同様等しく裁かれなくてはならぬ』
「羅刹様……っ」
『――何、今更怖気付いておるのか。人を殺める事、それは何れ自身にも返ってくるものじゃ』
羅刹様はただ、ただ優しく言った。優しく死を促す姿が、反対に恐怖心を煽っている。これなら直接死ねと言われた方がまだ良い方だ。
当事者でなくとも、目の前でこんな事を言われたら足がガクガクと震え出してしまう。それに気づいた深守はすかさず「アタシに引っ付いてなさい」と私を寄りかからせた。
瞠目する空砂さんに耳を傾けず、羅刹様は微笑むだけだ。微笑んでいる、様に見える。
一方で空砂さんは表情は余り変わらなくとも、死に対する脅威から逃れようとしていた。だけど、羅刹様の灰色の気配は空砂さんを離さない。
「……駄目、なのか。これから……罪滅ぼしをしながら生きてゆくという…選択肢は、存在しないというのか」
空砂さんは呟く。
すると、ずっと平伏していた鬼族の上役の一人が顔を上げて「……羅刹様の最後の願いを叶える生贄は空砂様じゃ」と口にするのが聞こえてきた。
「そうじゃ、そうしてしまえば良い。親子じゃからのぅ」
隣に伏せていた鬼族も言った。
凶暴化していた彼らは、どうやら元に戻ったようだった。心臓を撃たれていた為心配していたが、命に別状が無いとわかり安堵する。
「羅刹様と共に死ぬのは空砂様で決まりじゃ」
「これで女子を食わせる必要も無くなる」
「……良い最期では無いか。一つの時代の終わりじゃ」
彼らは思い立った様に話し始める。
どうやら彼らは、羅刹様が空砂さんを選んだ事に喜んでいるようだった。ただ、生贄の仕来りに懲り懲りしているというよりは、笹野結望の代わりになる存在がいれば良い――という意味合いだったけれど。
「……逃げ場が無くなりましたね、彼」
海祢さんは静かに言った。
「でも……、どうするんだろう」と、想埜は海祢さんの方を向く。
「……ここまで来たら見守るしか、ないかもね」
「…………」
心配そうな想埜の左肩を海祢さんはぽんぽんと優しく叩くと、先程海萊さんが腰を下ろしていた木箱に腰を下ろさせた。
「……っ何故じゃ、何故……抜け出せぬのじゃ」
羅刹様は逃げ出そうと幾度となく試みるが、やはり動けずにいた。
その間にも羅刹様は、黒い霧の様なもので空砂さんをがっちりと固定してしまう。絶対にもう逃げられないと確信した彼は、実の父親である羅刹様を目の前に初めて絶望の色を見せた。
『……さぁ、空砂よ。その刀で貫くが良い』
威厳に満ちた声で鬼族の長は言った。
空砂さんの身体が、空砂さんの意思とは反対に動き出す。刀を両手で構えると「やり直せぬのか……」と、反抗する度にガクガクと揺れる手を見詰める。
「……っ」
私は咄嗟に深守に抱き着いた。
いくら敵で、忌み嫌う人達が多い存在でも、彼にも意思があって己の信じるままに生きてきたのだから、死ぬところなんて見たくなかった。本当ならば全員生きるべきなのは変わらない。
だけど、羅刹様の意向に従うのも里で生きるなら大切で、長が決めた事に反論することは出来なかった。
「結望」
深守は私を離さんとばかりに抱き締める。
――そして、その時はやってくる。
深守に抱き締められて、目を閉じて、それから腹部に鋭い痛みが走った。
「……っ結望!!!」
猛烈な痛みと、脱力感に直ぐさま目を開ける。視界が少し不鮮明だったけれど、深守が私の事を血相を変えて見ているのがわかった。
「え……」
私は自身の腹部の違和感と、ぬるっとした感触に言葉を失った。
「儂が……、儂が、死ぬべきならば……一族諸共滅べば良いのじゃ。……故に、お前も共に死ね、生贄」
空砂さんは羅刹様を貫きながら言った。貫いている彼もまた、腹部を赤く染めている。
「やはり……他人には作用するのう、この力は……」
そう言いながら空砂さんは、羅刹様の力が弱った事を良い事に刀を引き抜いた。
「いっ……!」
「結望……っ!! 待って頂戴今すぐ治すから……っ、死んじゃ嫌よ」
深守は焦りながら言った。私を抱き締めたまま膝を着くと、傷口を治癒しようと試みる。勿論狐達も一緒にだ。
だけど、見越してか空砂さんは、もう一度羅刹様を貫いた。空砂さんはもう自分に後がないのをわかっているからか、自暴自棄になっている様にも思えた。そして、彼は血の繋がった私を道ずれにして、三人で死のうとしている。
グサリ、グサリと刺した激痛がまた襲ってくる。私は「ぁぁあっ!」と声にならない声を上げた。
それが数度繰り返される。
「嫌、やめて……、痛い……っあぁ……、いや……っ! 助け……っぁぁ……」
肉が抉られる感覚と、内蔵が潰される気持ち悪さで吐き出しそうになった。こんな酷い殺され方で、こんなところで死んでしまうのか。痛くて、怖くて、目の前のものに縋る事しか出来なくて、私はぼろぼろと涙を零した。
本当に何度も続くものだから、深守の治癒も追いついていなかった。ずっと私を抱き締めながら、溢れる血を受け止める事しか出来ず「結望っ……結望……」とただ名前をひたすら呼び続けた。
「……まさか、烏天狗って事は時を操ったのか」
折成さんは思いついたように言った。
「いか、にも……。生贄が……羅刹、さまと…繋がっている……身体に、戻したのじゃ」空砂さんは浅い呼吸で答える。「さすれば……、否が応でも儂と同じ結末を、迎えよう……」
「そんなの、都合が良すぎるだろ……! 何故黙っていた!」
今度は昂枝が叫ぶ。
「何を言う……。己の力を、易々と言うものか……」
そう言いながら、刀をもう一度振りかざす。
(あぁ……もう、楽になりたい)
私は地獄の中で願ってしまった。
空砂さんも、私も、この状態でまだ生きているのだから、鬼族が死ぬには相当な衝撃が必要なのだと、身を持って学んだのだった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます