婚礼の儀

「これより婚礼の儀を執り行う」

 時間は正午頃だろうか。空砂さんが私に告げる。

 普段長が鎮座していると言われている社は、生活する為の屋敷からは少し離れている。そこで祝言を挙げるとの事だった為、空砂さんに連れられて転ばぬようゆっくりと足を運んだ。社の前に着くと、中から声が漏れていることに気づいた。鬼族の上役が列席しているのだろう。待ち望んだ数十年ぶりの婚礼、生贄の嫁入りに喜びの声が溢れているに違いない。

 尺八の音色と共に空砂さんに手を取られ、私は恐る恐る社へと入る。列席している上役達と目が合った。本当に角の長さ、種類は人それぞれだと言うことが目の前に広がる異様な空間で見て取れる。

 この人達は、全てを知っている。

 この人達は、私の敵だ。

 あぁ、婚礼の儀が始まってしまった――。



 ――同時刻、森林。

 結望との取引を遂行する為に、折成は隙を突いて村の方へ戻っていた。

 狐も宮守も無事なんだろうか。それに(あのガキ……は?)

 定期的に宮守が見ていたあの青年だ。きっとそいつもいるだろうと折成は考えていた。そもそも妖葬班の根城から出られているのだろうか。思考しながら駆け抜ける。先程は結望を運んでいたが今はいない。怪我を諸共せず、先程よりも速度を上げて彼らの元へ向かった。

 少し経つと、森の中でも開けた場所に出た。此処が村と里の中間地点くらい――だと折成は感覚的に覚えている。

「もう少し……」そう思っていると、どこか聞き慣れた声が響いたのを耳が拾った。

「き、狐!」折成は声の方へ呼びかける。「無事だったか……っ」

 いつもの様に狐と呼ばれた深守はどうやら人型だ。まだへばってはないらしい。折成はほっと胸を撫で下ろした。

「折成ちゃん……っ結望は」

「すまんが説明は後だ。時間がない」

 有無を言わさず折成は昂枝を担いだ。「うわっ」という声が聞こえた様に思えたが気にしない。深守は青年――想埜を担いでおり、此処まで何とかして辿り着いたのだと把握出来た。

「狐、速度合わせられるか」

「……やるしかないわ。だって、結望が待っているんだもの」

 深守はそう言うと、先程まで意識がなかったらしい、まだ意識がはっきりしていない想埜へ声をかけた。「想埜ちゃん、行くわよ」

 折成は三人を見据えると、また里の方へ走り出した。なんだかんだ無事に合流出来てよかった、折成は後ろを必死についてくる深守に対して安堵した。

(とはいえ若干おぼつかないようだが……大丈夫か?)

 ただ、きっと妖葬班も黙ってはいない。絶対に追いかけてきているのは確かで、いつ追いつくか時間の問題だった。それまでに結望だけは助けないと、彼女は“怪物”に妊娠させられてしまう。

 急げ、急げ、急げ急げ急げ――折成達は木漏れ日の中を疾走した。

 


 私は高砂に腰を下ろすと、隣の夫となる男性の方へ視線を移す。だけど、そこに居るはずの長の姿が朧気で、自身の瞳が霞んでいるのかと目を疑った。

(一体どういう事……?)

 気配は感じるのに存在が確認できないなんて、そんな事があるのだろうか。お母様も、お祖母様も、同じことを経験しているの…? 何が何だかわからない空間に飲み込まれそうになりながら、私は必死に平常心を保つ。

 目の前には三つの杯が並んでいる。これから夫婦となる者達が杯を交わす夫婦杯が行われる。見えない夫が一杯目を飲むのが確認できた。上役達の視線がこちらへ集中している。私も恐る恐る杯に口を付けると、一杯目を喉へと流し込んだ。

「――っ!」

 その瞬間違和感を覚えた。これ以上杯を交わしてはだめだ、そう脳の司令を受ける。両手で持った杯が小刻みに揺れた。

 早く来て、皆…これ以上は、耐えられないかもしれない。

「何をしておるのじゃ」

 夫婦杯を見守る空砂さんが言った。

「あ………ぁ、……すみ、ません……」

「何か」

「いえ……」

 どうしよう、飲めない。

 私は目の前にある二杯目の杯を飲むことが出来ない。

 杯の中に汗が滴り落ちてしまいそうな程、緊張感で押し潰されそうになっている。空砂さんだけではない、上役もおよそ二十人私を見ているのだ。それでいて動けなくなっているなんて、長の婚約者として恥晒しになる行為だ。長との結婚を認めたくないと言っているようなものなのだ。

 だけど、だけど――。

 拒否反応から来る身体の硬直が溶けずにいると、空砂さんが立ち上がりこちらへ歩を進めるのが見えた。何をされるのだろう、目が泳いで合わせられない。目線を下げて、目を閉じる。一瞬でも良いからと、現実から逃げようとした。

「んんっ!」

 突如両頬を固定され、唇に柔らかい物が触れたのを感じた。目を開けると、空砂さんが私に口付けをしていた。正確には、口移しだ。杯がトンッと畳に落ちる音が静かに響く。

「ん、ん……っ」

 私があまりにも飲まないから、空砂さんは無理矢理にでも液体を飲ませようとしたのだ。夫となる人の目の前で、と思うけれど、きっと彼にとってそんな事はどうでもいい事だった。この液体を花嫁に飲ませられれば、都合良く事が進めばそれで良いのだ。

 引き剥がそうにも私の力ではどうにもならず、ごくごくと喉を鳴らす。その度に身体に異変が起きるのを実感する。身体が別の意味で動かず、身動きが取れなくなってしまったのだ。思考回路はまだ回っているはずなのに、言うことを聞かない。声を出す事が出来ない。助けを呼べない。空砂さんが身体を離した時には自然と倒れ込んでしまった。

「抵抗しようがしまいが、結局は同じことじゃ」

 空砂さんは倒れる私の元に膝を着くと、「ただ暴れなかっただけ良い方かのう。暴れておったら、二度と狐達に会えなくなっていたところじゃ。…まぁ、逃げなかったお前には慈悲を与えてやろう」そう言い私の額に手を置いた。

 そこで私の意識は途絶えてしまった。



「――もうすぐじゃ、あやつらはもうすぐ儂を殺そうとしに来るであろう。しかし儂が何もせず待ち構えるわけがない…杯さえ交わす事が出来ればこちらのものじゃ。鬼族を守る為には生贄は必要不可欠。それを邪魔する者は絶対に許さぬ」

 空砂は上役達に聞こえるように言った。結望を抱きかかえると、建物の少しばかり奥、座布団が三枚敷いてある場所へ移動する。そこへ結望を寝かすと、自身に似つかわしくない溜息を漏らした。

「たかが小娘一人に何故そんな命を賭けれるのじゃ。生贄がいなければこの里はきっと滅びる。それはわかっておるじゃろうに。鬼族は、妖の中で一番じゃ。強い者が残れば良いのじゃ。……そうじゃろう、羅刹様」

 弓矢を手に取ると、空砂は戸口の方を見据える。此処にいる鬼族も皆、思い思いの武器を構える。


 ――その瞬間を見計らったかの様に、戸口が勢いよく開かれた。


「来たか。随分早かったのう」

 空砂はそう言うが否や、外に向かい矢を放った。戸口を開けた深守の顔面目掛けて真っ直ぐに飛んだ矢を、手に持っていた鉄扇子を使って勢い良く弾く。

「結望を返しなさい」

「……ふん、まだ動けるようじゃな」

 もう一度、空砂は弓を引いた。

 深守の隣には宮守だけでなく、鬼族の折成も武器を構えて立っている。いつ、どう動こうか勘案しているところだろう。

 そしてその後ろで狼狽えているのは想埜だ。見る限り戦う脳が無さそうな彼に、上役の数人は真っ先に目を付け、脈略もなく飛びかかっていた。想埜は「わわっ」と言いながらも何とか避け続けると、周りに集まった上役を囲うように水を出現させた。陸地で溺れるという予想外の出来事に、大量の叫び声が上がった。

「やるじゃない想埜ちゃん!」

 深守は想埜に満面の笑みを向ける。

 想埜は本調子じゃないのか、自分の力に圧倒されているようだった。それもそのはず、想埜が自分の能力に気づいたのはついさっきの事なのだから。

「クソッ、やっぱお偉いさん方は一際強いですね!」

 戦闘開始と言わんばかりに右から左からやって来る鬼族の上役達に、槍で蹴散らしながら折成は叫んだ。

「チッ、馬鹿狐! お前は結望の元へ…っ!」

 折成に加勢しながら昂枝は言った。言われなくとも、と深守は隙間をぬって駆ける。その際も正面から空砂の矢を受け続けるが、一つ一つ弾いていく。しかも、丁寧に致命傷を避けながら、尚且つ上役達に刺さるように。

「……っ結望!」深守は奥で眠る結望に手を伸ばす。そのまま眠る彼女を抱き締めると「遅くなってごめんなさい。もう大丈夫よ……」と呟いた。

 空砂はそれを見て、

「……何が大丈夫、じゃ。夫婦杯に間に合わなかった癖によく言えるものじゃ。……のう、折成よ」

「な……!? っしま……!」

 折成は空砂の言葉に気を取られ、近くにいた上役に左肩を切られてしまう。血が溢れ出し、折成の着ている朱色の着物を更に赤く染めた。

「杯……、杯って、まさか……」

 深守は気づいた様に青ざめる。

「っ結望! 結望! 起きてちょうだい! 早く、早く目覚めないと……長に飲み込まれてしまうわ……!」

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