妖葬班

 昂枝はあれから、海祢に連れられ本部の中へと入っていた。

 不法侵入という意味でも、帰る家がないという意味でも、妖葬班からは歓迎されている。ただし手首は有無を言わさず縛られてしまった。

(くそ。波柴弟…、やはり弟なだけあって他の奴らより隙がねぇ……)

 視線を落とすと、拘束された手首の縄の先を海祢が引っ張り歩いているのが見える。先程の蔵より一層と罪人感が溢れている。自分よりも歳下で、背も低いこいつに太刀打ち出来ない事に情けなさを抱いてしまう程には。

(結望………)

 溜息を吐きながら、愛おしくて堪らない彼女を思う。結望も、深守達も、ましてや自分もこうなってしまうなんて。あまりにも軽率だったこと、そして、やはり折成は信用出来ない奴だったと、信じた事も後悔する。

 彼女が泣いていないか心配だ。彼女の“役割”を考えたら、すぐに殺されることはないだろう。しかし自分が女だったら…あんな事されるくらいなら、死んだ方がまだ良いとさえ昂枝自身は思う。

 早く助けたい。でもどうやって此処を出れば良いのだろう。家には帰れなくとも何処かへ逃げることは出来たはずなのに、結局逃げる隙を与えなかったのは何なんだ? 期待させといて…というやつか? 昂枝は海祢の考えが理解出来なかった。

(二人の無事が確認出来次第、後ろから蹴飛ばしてでも、重罪になってでも、結望の元へ向かいたい。……いや、三人でぜっっっったいに向かってやる)

 今はどうすることも出来ず辺りを見回す。本部は見た目よりも広く感じる作りだ。座敷も仕切ってしまえばかなり多くあるだろう。

「……普段は此処で業務を?」

「まぁ…そうですね。周回や鍛錬以外だと此処で事務作業を行う時もありますよ」

 そうそう入れる場所ではないのと、少し重たい空気感なのをどうにかしたいと思い話しかけたものの、やはり海祢は冷淡な態度だ。会話をこなしてくれるだけありがたい。

(………いや、こんな時に話す方が馬鹿だが)

 やれやれと昂枝はため息を吐く。

(それにしても、深守と想埜は何処にいるってんだ…? 至って普通の部屋しか見当たらないが…)

 それとも隠し扉か―――。

 はたまた、畳の裏に地下への通路が隠されていたり。

 妖葬班は村の政権も握っているが、やはり罪人がいた場合は拘束や収監もしているだろう。周りの小屋が違うのならば、この中にあるはずなのだが。

「だから何処に……?」

 昂枝は首を捻らせる。

「――そんなに気になるか? あいつらの事が」

「っ!?」

 独り言のつもりが声に出ていたらしい。しまったと思うが、不意に現れた海萊は楽しそうに昂枝の横に立った。

「兄さん………これで良かったですか」

 海祢は後ろを振り向くと様子を伺う。兄弟だというのに恐る恐るといった感じだ。仕事での身分の違いといったところだろう。

「あぁ、助かる。――せっかく此処まで足を踏み入れたご子息さんには…、特別に見せてやろうと思ってな」

「……何が言いたい。そもそも、あいつらは無事なんだろうな」

「そう噛み付くなって。俺は優しいから“まだ”手を付けていないし、これも何かの縁じゃないか」

「ふざけるな! 何が優しいだよ…! 狐を刺した癖しやがって」

 堪忍袋の緒が今にも切れてしまいそうだ。やはり波柴海萊という男は性格が捻じ曲がっている。


 何故こいつはこんなにも楽しそうに嘘をつけるんだ。

 何故こんな奴が村をまとめる統率者の一人なんだ。

 何故、何故、何故―――!


「あれは妖狐が煩かったからだ」

 海萊は少々やりすぎたが、と付け加えながらも反省の色を見せずに舌を出す。

「まともな武器を持たない相手にやる事じゃないだろ――」

「村の決まりだ。ご子息さんならよぉくわかるだろう…?」

 海萊は真剣な顔つきになると、裁縫に使う針のような小さな刃を昂枝へと突きつけた。喉元へ刺さりそうで刺さらない絶妙な位置にあるそれのお陰で、昂枝は一歩たりとも動けなくなってしまう。想埜の家でやられた時と全く同じだ。

「ほらほらご子息さんそんな事よりいいのか? 目の前にご子息さんが気にしてやまない二人が居る部屋の扉があるというのに」

「何…?」

 針を引っ込めると、海萊は手前にある畳を指差した。何の変哲もない畳だが、一番近くにある二枚を外すと下に所謂隠し扉が現れる。

「秘密基地ってやつだな」

 そして懐から取り出した鍵を、扉に付いている海老錠に差し込んで開けると、鼻歌交じりに板を上に持ち上げた。

 一瞬、ゴオッと呻き声に似た風が吹く。

「梯子を降りろ。拒否したら突き落とす」

「……だから刃物を向けるのはやめろと言っている」

「不法侵入したのはどこのどいつだ?」

「…………」

 何も言い返せない昂枝は舌打ちを一つすると、灯りを持っている海祢に続き梯子を降りていった。続いて降りてくる海萊は扉を閉めると、内側に付いているもう一つの海老錠をカチャリと鳴らす。

 絶体絶命とはこの事だと昂枝は実感した。


 梯子を最後まで降り切ると、薄暗い廊下があった。蝋燭でほんのり明るい程度でほぼ暗闇に近いそこを三人で歩いていく。

「なんだ此処…」

「知らなかっただろう。妖葬班でも一部の人間しか入る事を許されない場所だ」

「……へぇ」

 そんな所に部外者の自分を連れ込んで良かったのか? と思ったが罪人を牢屋に拘禁するという意味で、昂枝は適した人材だと言えよう。

 廊下を挟み左右に何箇所か引き戸はあるものの、物音などは聞こえない。海祢に付いて進むのはどうやら一番奥のようだ。彼もまた、懐に仕舞っていたらしい別の鍵を取り出すと、該当する部屋の引き戸に付いた海老錠にそれを差し込んだ。

「…………此処です」

 海萊が来てからというものの更に口数が減っていた海祢は、昂枝の方を向くと中へ案内した。


 ―――そこは罪人を収監する場所でも何でもなく、なんとも惨い現場だった。


「な、……なんだよ、これ…」

 昂枝は目を見開いて、視界に入ってくるものを理解しようと試みる。しかし拒否反応、というか理解した途端人生で信じ込んできたものが崩れ落ちそうで、頭を働かすことが出来なかった。

「――妖の命は人間より長い。妖葬班から引退した村の政治を担う上役達は、人間の寿命を伸ばす為に日々尽くして下さる。それに応えるのが我々若き妖葬班」

「は、待て。じゃあ、妖を退治する理由は…」

「勿論、実験の為だ。妖の能力と寿命を調べるには大量の妖が必要不可欠だろう?」

 何がおかしいといった表情をしながら、部屋に広がる数多の妖の死体と、横たわる人間を一望した。村人なのか、はたまた何処からか連れて来られた者なのかは知らない。だけど、彼らが既に廃人と化している事は一目でわかる。虚ろな目をして口から泡を吐いていたり、異常なまでに痩せ細り白髪を生やしていたり。これらを放置しているという事さえも本来ならば有り得ない光景だ。

「ご子息さんも長生きしたいだろう…? それに村人達の寿命が伸びれば村ももっと栄えるはずだ」

「っ…だからってこれはあんまりだろうが…!」

 妖を倒す事はこの村にとって栄光だ。だけどたったそれだけの理由で行われていたというのか。

「妖は…人を襲うというのも」

「一部だろうな。それはご子息さんが一番わかっているんじゃないか? ――会いたがっている二人、とかな」

「………」

「でも俺は従兄弟である想埜が半妖だと見抜くのに時間がかかった。半妖は珍しいから良い材料になるんだが…」

 海萊は当たり前のように話しているが、想埜は彼らと半分血の繋がった家族だ。家族を材料と言い、視界に入るものと同じ目に合わせようとしている事が残忍で、まるで怪物のように見える。

「こんな小さな村で従兄弟であるというのに叔母の旦那が妖だと知らなかったなんてな~」

「…何が言いたい」

「ご子息さん、あんたのせいじゃないのか? …ずっと隠してきたんだろう。二人も知ってて黙っている事、かなりの重罪だぞ」

 海萊は指を折って数える。

「無報告罪、不法侵入、妖葬班への抵抗、重罪祭りじゃないか」

 けたけたと笑いながら昂枝の肩を軽く叩いた。

「久しぶりに楽しめているぞ」

「……最低な人間だな」

 反面教師のような存在に頭痛が昂枝を襲う。

 肩を抱かれたままこっちだと本題の現場へ引っ張られ歩いて行くと、

「あれだ。左にある部屋にあいつらはいる」

 と彼は指を差す。

 連れられて来た先はまたも鍵で閉じられた部屋。

 閂で閉じられた簡単なものだったが、深守でさえ開けられないとなると、まだ狐のままということだろう。

(それとも…)

 いや、目の前にいるであろう彼らの最悪な事態を考えるにはまだ早い。昂枝は「開けてくれ」と促すと、大人しく海祢はそれを了承する。

 海祢が閂を開き扉を手前へ引くと、扉の先にはしっかりと彼らが存在していた。

「……あ、アンタ……!」

「馬鹿狐ェ…! こんな所にいたのかぁ……」

 昂枝は安堵したように、深守を見ながら呑気に嬉しそうな声をあげた。

「――ということだ。貴様も我々の“実験台”になるがいい」

 海萊は昂枝を部屋へ押し込もうと手を伸ばす。

「っ…昂枝! 危ないわ!」

 深守は咄嗟に叫んだ。その瞬間、海萊が昂枝の後ろから針で何かをしようとするのが見えた。

「っくそ!」

 昂枝は既のことろでそれを躱すと、一蹴り入れる。「やってられっかよ…っ!」

 いくら重罪だろうと今は大人しく捕まっていられない。死ぬのなら全部終わってからにしてくれ! と、一瞬の隙をついて昂枝は今通ったばかりの場所を駆け抜けた。近くにたまたま置いてあった刀を取ると、海老錠に向かってガチャンッ! と勢い良く叩き付けて鍵を壊そうと試みる。

「海祢…!」

 海萊は弟の名前を呼び指示を煽った。海祢も予測していたのか、こちらへと一気に詰める。

「此処まで来て抵抗とは馬鹿ですね…」

「まぁ俺は馬鹿だからな」

 海祢は海萊と違い、すぐ刃を向けることはしないらしい。ただわかるのは、やはり強いということ。壁に押し込まれて結局立ち往生だ。

「昂枝、アンタ弱い癖して無茶し過ぎよ…っ!」

「お前もだろうがっ! バーカ!!」

 狐姿の深守は拘束され横たわりながらも、心配そうに昂枝を見詰める。色々な事が起きすぎて鬱憤が溜まっていた昂枝は、そこまで強いわけではなさそうな割に、鉄扇子だけで立ち向かって行く馬鹿狐に言われるのが癪に触ったのか、周りにお構い無しに声を荒げた。

「あ~~~もう、最悪だ。早く全部終わってくれ…」

「あの…昂枝さん、僕が目の前にいるのわかってますか」

「おう、お前は優しいな。何もせず待っていてくれてるなんて兄上様とは大違いだ」

 昂枝はヤケになり、その場に似つかわしくない笑顔を海祢に向ける。

 海祢は昂枝の胸ぐらを掴んだまま、はぁ、と溜息を漏らした。

「……なぁ、お前は…海萊の言う事しか聞かねぇけどよ。実際のところどうなんだ」

「どう…ってなんですか」

「お前も悩んでないのか。妖葬班の事で」

「…………………悩んでないです」

「大分間が空いたな」

「……………」

 海祢は冷淡な顔立ちで表情もあまり変えないが、心底嫌だという目をしていた。

(だけど絶対、こいつも俺達と同じ立場だろうに…)

 仲間になってくれたらどれ程良いか。昂枝はそう思うが人生とは難しいものだ。今置かれた状況のように。

「海祢、何ぼうっとしているんだ」

 黙り込んで動かない海祢に海萊は少しだけ怒りを見せる。

「海祢……!」

「っ…やめてください!」

「……!」

 海祢は海萊の呼び掛けに対し否定すると、珍しい弟の反発に驚いた海萊は足を止めた。

「何で、…何でそんな事言うんですか…!」

 昂枝の着物を掴んだまま、下を向いて訴える。

「嫌に決まってるじゃないですか…っ。嫌ですよ、こんなの……想埜を見捨てるなんて。出来るわけないじゃないですか…!」

「お前…やっぱり……」

「うるさい…! 僕は妖葬班をより良いものに変えたいんです。でも、いざ上の方の立場になってみて、やっと知った現状はこの有様で、正直…頭がいっぱいいっぱいなんですよ。貴方もそう思うでしょう? これを見たら…、全てが嫌になりますよね」

 昂枝は視界に入る度、ぐらぐらとするような気持ち悪さに襲われる。それは海祢も同じだった事。結望が思っていた通り彼も自分達と似ていて、尚且つ助けたいと思ってしまうくらいには。なんてお人好しな感情だと自身に笑う。

「だけど僕は此処を離れるわけにはいかないんです。兄さんや村の人達の期待を裏切る行為は僕にとって一番の裏切りですから…っ!」

 海祢はもう一度力をぐっと込めた。昂枝は倒れまいと必死に抵抗する。

 涙を流しながら訴えて、だけど自ら悪の手に染まろうとする姿に心臓に針を刺されるような痛みを感じた。

「最悪です」

 海祢は嘆きながら短刀に手を掛けると、勢い良く昂枝の手首へと刃へと向けた。

「……っ!?」

 昂枝は驚き身を竦めるが、手首に巻かれていた縄が解けている事に気づき呆気にとられてしまう。

「二人を連れて行って下さい。兄さんは僕が引き止めます」

 海祢は刀を構えると実の兄である海萊に刃を向けた。同時に昂枝は深守と想埜の元へ駆ける。

「海祢…、お前も俺達に楯突くのか」

「違います、兄さん…。無関係な人達を返すだけです」

 海萊は「馬鹿げた事を…」と呟くと、昂枝を追いかけようとする。しかし海祢はいつもの任務のように、海萊という獲物を狩るかのように刀を振るったことで、弟が本気だと自覚した海萊自身も刀で応戦する事となった。

「――馬鹿狐! 想埜!」

 昂枝は二人の元へ向かうと、先程から手に持っていた刀を使い縄を解いた。

「想埜っ、起きろ想埜!」

 身体を大きく揺らすもののピクリともしない。

「この子ずっと目覚めないのよ…! アタシも何故か人間になれないし…」

「此処に居る事が原因か」

「…そうみたい。この姿じゃ戦えないし、庇ってくれてる間に早く行きましょう」

 眠り続ける想埜を何とかして背中に担ぐと、昂枝と深守は元来た道を戻るように走り出す。

「――っありがとな!」

 去り際に感謝を述べると、海祢は海萊と対峙しながら少しだけ困ったように笑った。

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