不安

「…あ? なんだお揃いか」

 彼は面倒くさそうな顔とは一転、私ともう一人、昂枝がいることが意外だったのか、こちらを見ながらきょとんと表情を変えた。

「結望は渡さねぇぞ、折成」

「まぁしけた面すんな。女を連れてくつもりはねぇよ」

 折成さんは手をひらひらとさせる。

「……信用ならないな」

「本当だっつの」

 二人が会話をしているのを見るのは初めてだが、宮守と鬼族が繋がっているのは本当なのか、顔馴染みのようなやりとりだ。

 だけど折成さんが現れたということは、これから自分にとって良い事が起きるなど考えにくい。私は昂枝の背中から「せ、折成さん……」と声をかける。

「…なんだ小娘」

「………あ、あの……私……、深守達…大切な人達の所に…行かなくてはならないんです。だから、今だけは、見逃して下さいませんか。その後は、何でもしますから…」

 私は昂枝の腕を軽く退かすと、折成さんの方へ一歩出る。そして頭を深く深く下げた。

 それを聞いた折成さんは、少し間を置いて呟く。

「……あぁ、いいぞ」

「…………そ、そう…ですよね……。私なんかの為に……え?」

 今のは聞き間違いだろうか。私は頭をゆっくりと上げると、小首を傾げた。

「はぁ…。だから、いいぞって言ってんだよ。俺はちゃんと狐の事もあのガキの事も知ってるからな。お前らをあいつらの元へ連れてってやる」

「なんでまたお前が…」

 昂枝はまだ信じられないといった面持ちで折成さんを見つめる。そんな中、折成さんは槍を扉の横へ立て掛けると、とぼとぼと蔵の中へ入ってきて私の目の前に立ちはだかった。

「……………」

 こんな近くに折成さんが来るのは、初めて出会ったあの時―――誘拐されそうになった時以来だ。深守と同じくらい、それよりももう少し高く感じる高身長に圧倒されてしまう。ここで負けてしまってはだめだと、ふるふると震えてしまうのを必死に押さえ込んで耐える。

 そんな彼は見かねたのか目線を私に合わせる様に屈むと、ぽんっと私の頭の上に手を置いた。

「……本当にお前は幸せもんだよ」

 折成さんは困ったように笑う。

「あ……」

 それは初めて出会った時には感じなかった彼の一面だ。礼儀のある人だとは思ったが、あの時は互いに必死だった。狩人と獲物の関係性なのだから当たり前で、今もそれは変わらない関係性ではあるが。

「きっと妖葬班の根城だな……」

 折成さんは姿勢を戻すと私を昂枝の方へと向けた。肩を掴まれるが以前のような力強さも痛みもない。

「おい、昂枝」

「なんだ。早く結望を離せ」

「さっさと此処を出て妖葬班の元へ向かうぞ」

「いや、だからお前の言ってることは信用ならねぇって…」

「テメェそれ以上言うと本気でぶっ殺すぞ」

「ふざけるな大体――」

「ま、待って…!」

 私は二人を止める。小気味良く行われる会話は聞いていて気持ちのいいものだったが、こんな時に聞きたいわけではない。

「殺すなんて、絶対にやめて……やめ、て…下さい」

 しかも先程の惨劇を見た直後だ。昂枝まで居なくなるなんて、絶対に考えたくはなかった。

「昂枝も…、折成さんの事少しだけ信じてみましょう…?」

「ゆ、結望…!」

 昂枝は心配だという表情でこちらを見る。

 折成さんとはきっと、私が思うよりずっと前から関係を持っていて、どんな人物なのかを知っている。だからこそ、私と一緒にさせては駄目だと言っている。そこは理解しているつもりではあるし、実際にまだ恐ろしくも感じる。

 だけど、今の状況からしたら折成さんに合わせた方がいい気もするのだ。蔵から出る絶好の機会を掴んだも同然で、尚且つ深守と想埜の元へ連れてってくれると言うではないか。

 万が一それが嘘だとしても、此処から出られるに越したことはない。折成さんが現れた事を幸運と捉えるか、不運と捉えるかは後で考えることにして。

「………わかった」

 昂枝はいろんな感情を抑え込み頷くと、私を引っ張り折成の元から離す。

「――で、何か作戦でもあるのか?」

「あぁ、そうだな。お前んとこの両親はさっき眠らせたし…。他にも数人見張りが居たっぽいが大した敵じゃないだろ」

 折成さんは顎を擦りながら答える。気だるげなのは変わらず、だけど、少し自信ありげだ。

「デカい音がしたと思えばそういう事だったのか……」

 頭を抱えながら昂枝は溜息を吐いた。実の両親が大変な目に会っているのは気が引けるが、今はそれが好都合であることも事実だ。

「そもそも何でお前はこちら側に―――」

「それは移動しながらでいいだろ。笹野結望、お前は走れるか」

「え、…えっと、人並みには…」

「…人並み、か。まぁいいだろ」

 折成さんは「行くぞ」と扉の方を向き歩き始める。そして立て掛けた槍を持ち直すと、大きく欠伸をひとつ零した。

「────こっちだ」

 私達は暗くなり始めた景色を余所に、外へと駆け出した。



 ――一方、同時刻。

 深守は薄暗い部屋でうつらうつらと目を覚ました。

「…………?」

「――ほぅ、まだ生きてたか」

 程近くにいたらしい海萊は、面白いものを見る目で深守を観察していた。腰掛けられる位置にあった木の箱に座り、優雅に腕を組んでいる。

「……あ、アンタ……!」

 そんな海萊を見て憤慨しかける深守だったが、自身が狐姿のままだった事、前足後ろ足を縄で縛られていた事で、怒りに身を任せても意味がないことを悟る。

 正直なところ、あの後目覚められただけ良い方で、最悪、あのまま死んでいたかもしれなかった。

 怪我で死ぬ、と言うよりは寿命が尽きる一歩手前――といったところだろうか。こんな時に限界が来るなんて。

(…つくづくアタシは無能だ)

 後でどう謝ろうか。それより、その後はちゃんと来るのだろうか。

「……結望達は何処」

 ふと、気を失ってからの事が気になった。海萊は大人しくそれに耳を傾けると「何処だと思う?」と悪戯に笑った。

「ふざけないでちょうだい」

「チッ…仕方ない。……そうだ、花嫁さんの必死な訴えは見ものだったぞ。なんせお前を抱き締めて泣き喚いていたんだからな。相当愛されてる幸せ者だな」

 海萊は楽しそうに語る。その姿は村一の英雄とは思えない邪悪なものだ。

「結望…」

 それに、また泣かせてしまっている現実に深守は落胆してしまう。海萊は少し黙った後、

「……因みに花嫁さんとご子息はご実家、想埜は―――」

 と続け、ちらりと自身から見て左側を見遣ると、顎を使って促した。

「野狐は周りを見ることを覚えた方がいいな」

 海萊の言葉に深守は図星を突かれる。海萊が促す方を必死になって向くと、そこには鎖で繋がれて気を失っている想埜の姿があった。

「っ想埜ちゃん…!」

 心配して駆け寄ろうにも、当たり前に縄が邪魔して一歩たりとも動けない。深守は人間に化ける事で縄をどうにか出来ないかと考え念じるものの、いつものように化ける事が出来なくなっているではないか。いくら力がほとんど無い、放っておいてもそのうち死ぬような妖でも、変化くらいは出来るだろう。そう思うのに上手くいかないのだ。

「ど、どうしてなの……」

「…ふん、お前程の妖でも此処の制御には勝てないさ」

 深守の呟きに海萊は意気揚々と返す。

「どういう事…?」

「簡単に教えるわけが無いだろう。………だが一つだけ」

 そう言うなり立ち上がり深守に近づくと、目の前でしゃがみ込んだ。そしていとも簡単に首根っこを掴んでみせる。

「っぐ…」

「我々妖葬班の仕事をよく思い出せ」

 軽々と持ち上げられた深守は、今自身がただの狐でしかないことを実感した。

 想埜の方を一瞥するが、一向に目覚める気配がなく焦りが募る。ただ息はあるのか、呼吸をする度に身体が上下に動いていることだけが救いだった。

「そういう事だから、お前らは暫く此処で大人しくしていろ」

 ぽい、と塵芥を捨てるように深守を手放すと、出入口と思しき扉に向かい手を添えた。その時、小声で何かを話す声が聞こえたが、上手く聞き取ることが出来なかった。おおよそ外にでも立っている見張りに声をかけたのではないかと推測する。

 軽く手を振りながら立ち去る海萊を不服ながら見送ると、深守達は狭い一室に閉じ込められる形となった。

「想埜ちゃん、想埜ちゃん!」

 深守はとにかく彼を目覚めさせようと声を掛ける。ただ揺すって起こすことも、叩き起すことも出来ないのは致命的だ。

「……どうしたもんかね」

 溜息がはぁ、と漏れる。こんなにもがっちりと足が固定されていると、立ち上がることさえままならない。

 そもそも彼はどうして眠っているのだろうか。深守は自身が気を失った理由を理解しているが、想埜が眠りについている理由については全くわからなかった。

「あの子達は家にいると言っていたけれど大丈夫かしら」

 もし、想埜と同じように眠らされていたら?

 それより彼は――昂枝は結望の味方であり続けていてくれるのだろうか。これはあの子一人で戦える問題ではない。宮守家、鬼族の問題なのだ。

 勿論、妖葬班もきっと―――。

 万が一家にいるというのが海萊の嘘で、既に鬼族に手渡されているのなら。

「――こうしてはいられないのに、もう…!」

 深守は動かせない前足を見ながら、やるせなさで心がいっぱいいっぱいになった。

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