あいたい

 深守は婚約の話を聞いた時、内心焦っていた。理由としては、鬼族がこんな堂々と現れるとは思っていなかったから。この前のように折成が、結望が一人の時を狙ってやって来ると信じていた。

 基本我々のような妖葬班に見つかってはならない存在は、こんな表立って来るような事はしない。

 しかし彼らは違う。宮守家の懐の深さを利用して行動に出たのだ。

 婚約の挨拶が終わり空砂が帰った後、同じく深守は狐の姿に戻り身を潜めながら鬼族の元へ向かっていた。

 空砂は鬼族の中でも上位の人物。そんな彼は折成を使わず、一体何故人里に下りてきたのか。

(……圧力でもかけているつもりかしら)

 きっとそうだ。深守は考える。

 その時、ピュンッと何かが通り抜けた。

(今度はこっち)

 もう一度、今度は二発。飛び跳ねながら避ける。そのまま人型に変化して「んもう、空砂ちゃんったらちゃんと目を見て話しましょうよ」

 扇子を取り出し、片方の手のひらに軽く叩きつけながらつまらなさそうに声をかける。

「………貴様と話すことはない」

 空砂は木の上から手にした矢を放つ。

「そうかしらねェ…? 今日のコトとか、あるんじゃないかい?」

 口元を隠しながら深守は真剣な表情を見せる。矢を扇子で華麗に弾くと低い声で言った。

「……ねぇ、まだ本気なの? いい加減にしたらどうなんだい」

「五月蝿い」

 至近距離から弓を放たれ、深守は扇子で受け止めきれず右手から鮮血が溢れ出した。

 空砂の胸ぐらを掴みにかかると「…っ! アンタは絶対に間違ってる! アンタだけじゃない、鬼族そのものが…っ狂ってるのよ…ッ!!」と叫んだ。

「こんなの、誰も望まないわ。考え直して頂戴」

「……執拗い狐じゃ」

 力いっぱい掴んだ手は軽く払い除けられよろめいてしまう。鬼族の力は細かいところでも実力の差を見せつけてくる。

「貴様のような妖狐の中でも下位の者が何出しゃばっておる」

「っぐぅ…!」

 空砂はそのまま懐から短刀を抜くと、深守の右腕に突き刺した。

 舌打ちをする。負けじと扇子を叩きつけ、深守は小さく無数の傷を空砂に負わせてやった。互いに一歩も引かない攻撃を繰り返す。

 だがやはり鬼族は強い。動き、力、全てが深守よりも上だった。何度も何度も怪力を受け止めれば、その分己の体に響いた。それでも深守は必死に抵抗し続ける。

「がはっ…!」

 ドカンッ! と森の奥深くで鳴り響く衝撃音。木の幹にぶつかった深守は倒れ伏せ、息を荒らげながら顔を上げる。空砂を見据えると、ゆっくりとこちらに向かってくるのが見えた。

 決して、深守が弱いわけではない。深守は空砂の動きをちゃんと捉えて避け、隙を見つけては扇子に隠れる刃を突き刺しているのだから。

 気を抜いてはならない。気を抜けば殺される。こいつらの為に毎日鍛えてきたというのに、まだ対抗する程の力がないというのか。

「……たかが小娘ごときに馬鹿なことを」

「たかが小娘なんかじゃない…! あの子は…っアタシの中でとても、とても大切な人なのよ…!」

「ほう…まるで恋しているようじゃな?」

 空砂は深守の目の前まで来ると背中を踏みつけた。

「ばっ…かじゃない…。恋なんて生ぬるいもんじゃないわ……愛よ。アタシはあの子を心から愛してるの。それに……生きてる間に伝えなくちゃいけないことが山ほどあるんだから……」

「…ふん」

 そう鼻を鳴らすと、つまらなさそうに深守から離れた。そのまま踵を返すと、何事も無かったかのようにゆらゆらと帰って行ってしまう。

(……まさか…見逃した……?)

 呼吸を整えながら、ゆっくりと起き上がる。

 空砂が消えた方をしばらく見つめながらこの怪我をどうするか考えた。

 きっとこのまま帰れば結望は心配して、慌てふためくだろう。それを考えたら力を使って何食わぬ顔で帰った方がいい、この程度ならすぐに治せるのだから。だが、使わなくともそこまで完治に時間はかからないとも予測する。

 力はいざという時まで使わないと言ったばかり。

 なにより、

「…………そんなに力残ってない、のよね……」

 血で赤くなった手のひらをまじまじと見る。不甲斐なさを感じながら、回復を諦めてそのまま帰ることにした。

 足を引きずりながら木々の間をぬって歩く。

(やっぱり、話し合い…は、できないのかしら…)

 空砂だろうと、折成だろうと、相対すれば必ず武器を使い、邪魔者を始末しようとした。まるで妖葬班のそれと同じように。

 何も鬼族達と殺り合いたいわけじゃない。自分が扇子だけを持って戦うのは、殺すつもりはないという現れだから。万が一の為に仕込み刀に改造をしてみたものの、致命傷になる程の傷は付けられない事もわかりきっていた。

 はぁ、とため息をつきながら、ようやく見えてきた神社に安堵する。

 ここまで来れば、後は部屋に戻るだけ。裏口からそっと戻れば誰も起こさずに済むだろう。


 そう、思っていた。


「し、…深守」

「……結望…?」

 裏口には結望が立っていた。貸したままだった羽織を肩にかけ、寝巻の状態でこちらを目視した。深守を見るなり涙を流した彼女は「っ…よかった」と頬に伝う水を拭い、駆け足で近づいた。

 また、深守も早く彼女の元へ向かおうと、一直線に歩みを進める。

 どうして起きていたのかわからない。だけど、お互い求めているものが同じだと感じると嬉しくなった。

 結望は深守に優しく抱きつくと、

「深守がいなくなる夢を見たの…」

 と震えた声で言う。体の力が抜け、その場にへたり込む結望を抱きかかえた。深守は困ったように「……寂しくなったのかい?」と呟いた。

「………怖く、なったの……。会えなくなるだけなら……でも、でも……ぅ、っしん、じゅ……っ」

 俯いて両手で顔を覆いながら嗚咽する結望を見て、深守は頬に手を添た。

「えぇ…」と相槌を打つと、結望は手を重ねて縋るように言った。

「もう何処にも行かないで…。私だけの神様……」

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