二章
贈り物
深守と出会ってからひと月程経った。
季節は春の兆しが出始め、気温も過ごしやすくなってきている。
宮守神社で毎日を過ごすようになってからの深守は、私の家事の手伝い、鬼族についての詮索を主にこなしていた。
――そう、深守と初めて出会ったあの日以来鬼族は一度も現れていなかった。
私にとって恐怖の対象である鬼族が現れないことは有難かったが、一ヶ月も音沙汰がないのも底知れない恐怖を植え付けさせていた。
(きっと、あれだけで終わるとは思わない…)
深守が私の元へやって来た理由、鬼族の存在、一般的な妖との違い…。
折成…と名乗った赤色の彼の力はかなりの力で私を引っ張り続けた。しかも、彼は力を入れる素振りを見せなかった。
掴まれた方の手首に触れる。
槍を構えたから怖気付いていたというのもあるけれど、それ以前に身動きひとつ取れなかった。
(男性だから…? いえ、それ以上に…)
怖い……。
暖かい晴れ間だというのに私はふるっと身体を震わせた。二の腕をさすりながら縁側へと腰を下ろす。
その時、ちょうどひと仕事終えたであろう深守も隣へと腰を下ろした。
「珍しく寒そうね。結望」
「あ…えっと……」
「考え事、してたのかい…?」
深守はいつも着ている羽織を私へかける。
「鬼族ってヤツはね、他の妖と違って物理的な力が強いのよ」
と私が考えていたことを見透かすように呟いた。
「………やっぱり、そうなんですね」
「昂枝のような男でも彼らには太刀打ちできない。あれは他の妖には無い強い力……。でもね結望。他の妖にも、鬼族には無い力をちゃんと持ってるの」
深守は人差し指を上げると意気揚々に宣言した。
「それって…」
「……それぞれにね、与えられた役目がちゃんとある。一人一人に違った力。勿論、種族が同じなら能力も似たりする事は多いみたいだけど…それはアタシにもあるの、結望はもう知ってるわよね」
「……治癒の力…?」
「そう。アタシには怪我をした時、熱を出した時、それを即座に回復できる。普通に考えたら不思議な力よね」
「…でも、その力って凄く便利じゃないですか?」
「えぇ、便利。だけど…、アタシは“もう”結望達にしか使いたくないわね」
私は首を傾げる。自分には使わないのだろうか。
深守はそれに気づいたのかまあまあと手を揺らした。
「いつでも使える便利なものはね、本当に必要な時にしか使っちゃダメなのよ。普段から使ってたら、力の大切さが麻痺しちゃうでしょう? だから、アンタ達にしか使わないって決めたのよ」
私の頭をぽんっと撫でると、そうだと懐から小さな棒を取り出した。
「……アタシ、常日頃から結望に護衛の術を付けれるほどの力は無いへっぽこ神様だけど、アンタに出来ることを考えた時にこれしかないって思ったの。……受け取ってくれるかしら」
「これは…笛…?」
私は深守から小さくて可愛らしいそれを受け取ると、興味深く見つめる。
あまりこういうのを触ったことがないので新鮮だった。
「………出来るなら本当、力で解決したかったのよ……? だってほら、その方がイカしてるし、それなんかよりも…ずっと早く駆けつけられると思うの。……ちなみに今のアタシ、ふざけてなんかなくて、これでも大真面目にそれを……今更なのもわかってるんだけど」
深守は珍しく慌てふためきながら言った。なんだか面白くて、ふふっと声を漏らしてしまう。
「…ありがとうございます、深守。私のこと考えてくれてるのがわかって、とても嬉しい…。一人でいる時に万が一があったら、これで貴方を呼びますね。あ、そうだ…首にかけておこう、かしら? それだと紐で括らないと…」
「………結望、それアタシがやってもいいかい?」
そう言うが否や深守は、結んでいた髪の紐を解いた。私から笛を拝借するとそのまま巻き付ける。
私の首元へ腕を伸ばすと髪の毛を避けながら、うなじ辺りで結び始めた。
―――深守の顔が近くで煌めいた。
端正な顔立ちをしていて、見ていて飽きない。だけど、いつもはすぐ目を逸らしてしまうし、抱き締められても顔が見えない状態だったから、こんなにまじまじと見るのは初めてだった。
正直、目が離せない――というのが正しかった。
「なぁに? じっと見て、アタシに惚れてるのかい?」
深守は私に視線を合わせると、楽しそうに茶化す。
「……っちが…!」
「この距離感、接吻できそうよね。アタシで試してみてもイイのよ。んっふふ」
「しんじゅ…冗談でも、だめ…!」
緊張して体が余計に強ばった。心臓がドキドキと早鐘を打つ。
(私、今顔…絶対赤い……)
深守は真剣な表情を見せながらゆっくりと手を動かす。
首筋に彼の大きな手が、触れた。
それが少し冷たくて、私はぴくりと跳ねてしまう。
「ごめんなさい、今冷たかったわよね…」
「い、いえ…っそんな…」
私はじっと結び終わるのを待つ。
早く終わってほしい。だけど、なんだか特別な出来事に、終わってほしくないとも思う。
ふと、下ろされた深守の髪の毛に視線を向ける。ふわっと、そしてさらっとした腰よりも長い白銀色の髪の毛。
風に靡く度に美しく、日差しに当たった池水のようにきらきらと。
私もこのくらい長く、綺麗に伸ばしてみたい。この世の女性の髪は今も尚、長ければ長いほど美しいと言われているから。
だけど、私は黒くもなければそこまで長くもない。芥子色をした小汚い髪…そう言われて引っ張り上げられたこともあった。
いつか普通に伸ばせる時が来たら、この人のような髪になりたい。そんな憧れの眼差しを深守に向ける。
「…結望の髪、とっても綺麗ね」
私は「えっ」と驚く。
まただった。絶対に彼は私の心を読んでいる…ような気がする。
「………深守には隠し事できない…な……」
呟くが、深守は曖昧な面持ちで笑った。
「――よし、できた」
深守は満足そうに呟く。
結ぶだけならすぐ出来てしまいそうな工程なのに、かなり時間がかかったように思う。
私は視線を下ろしながら言う。
「………なんだか、嬉しい」
胸元にある小さな笛を優しく包み込む。深守が私の為にくれた、宝物。
「…深守がここにいるみたい」
「あら、目の前にいるのにねぇ…」
私の手をそっと退けると、そのまま笛を手に取る。深守は顔を近づけると、廬舌を避け、唇を落とした。
「……!」
「これはアタシの結望に対する忠誠の気持ち…って、ヤダ。結望、さっきから顔が真っ赤よ」
「…し、深守…が悪いんです…!」
私は羽織の裾を掴むと俯いた。
しかしすぐに視界は変わる。顎に指を添えられると、くいっと持ち上げられたのだ。
また目の前には深守の微笑む顔が、神様を名乗るだけある圧倒的存在感が、そこにはあった。
どうして、私なんかに……。
深守とずっと居たら心臓が持たない気がして。
「…………」
「……深守、……私、まだやる事が…」
これ以上優しくされたら元に戻れなくなりそうで、途端に怖くなった。
やっぱり早くここから去ろうと、深守の手を軽く払い退け立ち上がる。
笛をそっと内側へしまうと、感触が肌へと伝わるのを感じた。深守が口付けをした小さな笛が着物の中で揺れ動く。
「結望――」
深守は私に声をかけるが、私が彼を見られなかった。
そんな時、おばさんが帰ってきたのかそそくさと私達の所へやって来た。
「結望ちゃん! 結望ちゃん! 良い知らせを伝えに来たわよ!」
深守も立ち上がると、私の隣でおばさんの方を向いた。
「……? 何でしょうか」
「――結望ちゃん、貴女の嫁ぎ先が決まったの!」
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